フユノアルヒノコト

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 昨晩、ベッドに入る前、あたしはお風呂上がりで濡れた髪を乾かしながら、パソコンに向かってレポートを書いていた朋起に「ストーブ切る時、オンタイマーつけてね」と一言伝えていた。朋起も「わかったー」と返事をしていたので、あたしはすっかり安心しきっていた。  時折返事すら返ってこないことがあったから、聞こえているなら大丈夫だろう……とタカをくくっていたのも事実。  しかしたった今、起き上がろうとあたしが布団から出した腕は、それだけで氷漬けになりそうなほど、一瞬で熱を奪われた。  つまり。 「入れたよね」 「あー……えーと」 「いーれーたーよーねー?」  耳に噛みつける距離まで顔を近づけて、声だけを笑わせながら、ゆっくりと囁く。ぞくり、と震えて、朋起の身体に鳥肌が立つのを、あたしは直に感じ取る。  なんならこのまま噛みちぎっても構わない。あんた「わかった」って言ったじゃん。耳に入ったのにわかってないってことは、きっとこの耳が悪いってことだよね。プラモデルみたいに新しい耳に交換してあげたいなって。あっでも部品がないので、代わりにあたしが耳になってあげようか。都合のいいことしか聞こえないけど。  朋起は、げふん、と咳払いをしたあと、身体をくるりとあたしの方に向き直らせて、すっと息を吸い込む。 「申し訳ございませんでした」 「ばかやろう!」  言いさま、脇腹を思いっきりくすぐってやった。朋起の弱いところなんて、もう嫌というほどわかっている。朋起はくすぐりに弱い。ついでに言うなら、耳元で囁かれるのも弱いらしい。それもわかっている。だからそうした。あなたには表も裏もない。たとえあったとしても、あたしはそのどちらも把握している。  隠し事なんて、あたしの前では無意味だ。大学に行けない代わり、今日のあなたはそれを学んでくれたらいい。卒業はさせてあげられないけど。 「わひゃひゃひゃひゃ、やめ、やめ、ふひゃひゃひゃひゃひゃ」  ごろごろと朋起が身体をよじるたび、布団の隙間から部屋の中の冷たい空気が入り込んできた。ある意味で自爆作戦に近い。あたしは寒さに弱くて、彼はくすぐりに弱い。お互いに損耗して、最終的にはパリパリの氷漬けになってしまってもおかしくない。もう既に寒いもの。 「ひゃひゃはっ、寒、さむひゃひゃひゃひゃ」 「自業自得でしょ、ばか!」 「うひゃひゃひゃ、ごめ、ごめんって、ひひひひゃひゃひゃ」  あー、はー、などと口から吐き出しながら、朋起は肩で息をしていた。すっかり笑い疲れているようだ。朋起の身体から発せられた熱は、あたしの身体にも直接、じわりと伝わってくる。  まあ、身を切るような寒さの中で感じる人肌の温度っていうのも、いいものなんだけど。 「もう、どうすんの。あたしはここから出てくの嫌だからね」 「いいじゃん。どうせ急いで起きなきゃいけない用事なんかないだろ」  どのみち今日あたしが受ける講義は昼過ぎからだったし、朋起は午前にあるけれど、履修登録だけして、そもそも出席などしていなかった。試験には教授の書いた教科書が持込可で、その内容を書き写せば単位が取れるのだという。学内でも有名な安牌科目だった。  流しっぱなしにしているラジオからは、今日一日中は天気の回復が見込めないという予報が流れていた。しかも「不要不急の外出は控えなさい」とまで付け加えて。  もちろん、大学の講義が不要不急なのか必要不急なのかと問われれば判断が分かれる。ただ、単位を取る難易度から言って、おそらく天秤は前者へ傾くことになるだろう。  即座に反論が思いつかなくて、あたしは口ごもった。 「そりゃあ、たしかに、ないけど」 「だからさ、もう少しこうしてればいいんだって」  言いつつ、朋起はあたしの身体を自分の方へ、ぐっと抱き寄せた。重なり合った肌越しに、朋起の胸の鼓動と、ぬくもりを感じる。きっと朋起も、あたしのこの胸のどきどきした感覚と、体温を感じているのだろう。  そっと朋起の顔を見上げると、いつものはにかみ顔が、そこにあった。腹の立つことがあっても、あたしがどうしても朋起のことを突き放せないのは、ここに原因があると思う。天性の人たらし、という言葉が頭の中をよぎる。少なくとも思うことは、そのスキルをあたし以外の女に使った瞬間、あたしは本当に彼を切り刻んでしまうかもしれない……ということだった。  朋起は、ふふん、と鼻を鳴らした。 「な。こうしてれば、俺もスロットなんか打ちに行けないって」  殺し文句のつもりなのか知らないけれど、朋起は得意げな顔をしている。普段のあたしなら、そんなに打ちたきゃ素っ裸で打ちに行けば……とでも言うのだろうけど、子どもみたいなその様子を見ていると、なんだか部屋が寒かろうがなんだろうが、どうでもよくなってきてしまった。  だって、彼が布団から出してくれないことより、彼に置いていかれるほうが、ずっと嫌だもの。  ちょっとだけ素直になろうと思ったけれど、こういうときにも皮肉めいたことを言ってしまうのが、あたしの悪い癖だった。 「雪が降ってなかったら、打ちに行くってことなの。それ」 「金ないし、もとから行く予定はないけど、自信はないかな」  褒められて照れた子供みたいな顔でそんなことを宣うことによって、あたしの心のボタンを力強く押してしまったという事実を、きっと朋起は知らなかったはずだ。  すばやく身体を起こして、朋起の身体のうえに覆いかぶさった。直前まで寝ぼけたことを言っていた彼の唇が、ぽかんとした様子で開いている。  吹き荒れる風みたいに、低い声をつくって、言った。 「だったら、今日は一日中猛吹雪じゃなきゃ困るね」  おめでとうございます。大当たり。  今日は吹雪よりも容赦のない、あたしの気持ちを受け止めろ、ばか。 /*end*/
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