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ー妻との待ち合わせに遅れている。
妻の怒りは恐ろしい。普段は怒ることはないおっとりとして大人しいタイプの妻なのだが、稀に逆鱗に触れることがある。それはもう天災。ただただ、ひたすらに謝ってその怒りが過ぎるのを待つのみ。どうにもすることはできない。長い黒髪が逆立つ様が浮かんできて、私はただただ震えている。
時刻を気にしつつ、お迎えのバスを待つ間、向かいの道を歩く、高校生男女2人組を見掛けた。女の方が先を歩き、それに男が付いていく。男が「先輩」と声を掛けているところを見ると、女の方が年上なのだろう。その女は無表情で先を進む。怒っているのだろうか。
そこへ前から来た自転車が女とぶつかりそうになる。間一髪避けることができたが、持っていた鞄を手放し、中に入っていた教科書や筆箱などが散乱した。それを2人で拾うのだが、ここでも無言。手提げに戻すと、またすたすたと歩く。男がそれを追おうとするところで、私は女の拾い忘れのボールペンに気付いた。
「お~い」
声を掛けると、男子高生はこちらを見た。指で指しながら、「落ちてる」と言うと、男子高生はそれを拾って、
「ありがとうございます。」
と叫んで、丁寧にお辞儀をして走って追いかけていった。
(青春だね)
私も妻とは高校で出会った。部活の先輩ではあったが、始めは特段仲がよかったわけではない。引退試合で涙を流すクールな先輩に心奪われ恋をした。しばらくして告白したのだが、撃沈。卒業式にも告白したが、それも撃沈した。
天を仰いで空を見ると、雲一つ無い晴天だった。
「でも、やっぱりハッピーエンドの方が・・・」すぐ後ろから若いカップルの声が聞こえた。振り向くと、どちらも酷く緊張しているようで、手を繋いでいながら、なんとなくぎこちない距離を感じる。それなりに会話はあるのだが、その距離感だけがなんとも不思議な感じだった。
(付き合いたてかな。)
私が妻と付き合うのは、妻が卒業して1年後、駅で偶然会ったのがきっかけだった。失恋を忘れられそうだった私だが、会ってすぐに再燃した。連絡先を交換して、猛アタック。妻が折れる形で交際がスタートした。あの時の俺は本当に真っ直ぐで、気持ちの悪いストーカーだったと思う。交際経験が無い私は、何をしてよいのかわからない。手を繋ぐまでも半年以上かかった。そんな私に妻はいつも穏やかな笑顔を向けていた。
なんだかんだ結婚は早かった。自然とお互いの両親には会っていて、親からの圧力も強く、ごく自然な形で結婚するに至る。特に劇的な展開はない。単純に他の選択肢は考えられないというもので。「結婚して下さい」なんと、プロポーズは妻からだった。
結婚してから、色々なところにいった。月に1回は旅行に行って、稼いだ金は2人でどんどん使った。子供が出来たら行けないもんね、っと。妻は、海が好きだった。のんびりと海を眺めるのが好きで、飽きもせず何時間も見ていた。その間、私は飽きて昼寝をしているのだが、目を覚ますといつも笑顔で「おはよう」と声を掛ける。そのおだやかな声に幸せを感じていた。
それからは少し苦しい日々が続く。
「ママ-」
赤ちゃんが泣きながらママを呼ぶ声で現実に戻された。パパに抱っこされている子供はパパではなくママが良いようだ。困っているパパだが、なんだか微笑ましい。
「ママは疲れちゃったんだよ」
そう言いながら子供をなだめるパパなのだが、子供はパパの腕から逃れようともがいている。ばつの悪そうなパパが痛々しい。
私たちが結婚して数年後、子供が欲しいと思ってからが苦しい日々だった。子供が出来なかったのだ。不妊治療にもかなりのお金をつぎ込んだ。数年この苦しい日々が続き、夫婦の中がかなり険悪になり、お互い話し合いを重ねて子供は諦めることにした。
そこからは、なかなかに楽しい日々だった。お金は自由に使えるし、旅行にもよくいった。時折、子供連れを見る妻の悲しい顔が気になったが、その分楽しい思い出を作ろうと2人で出掛けた。家に居るのが怖かったのかもしれない。
子供を作れなかったこと、どうにもしようのないことなのだが、今でも申し訳ない思いでいる。妻は私と一緒になって幸せだったのだろうか。
ふぅ
目の前の現実がわからなくなるような、陽射しの強い暑い日だった。
そう、妻が死んだのは半年前。がんを患っていて、最後は薬の影響でガリガリに痩せて、頬がくぼみ、別人のような顔になっていた。
最後は私のことも分かっていないようだったが、手を握り返して口を動かして何かを伝える仕草をしていた。
私は勝手に「先に天国で待っているから」といっていたと考えている。
幸せだった。
心からそう思える。
私は気が付くと病院のベッドの上にいた。時の過ぎるのは早い。さっきまで妻と一緒にいたのに。そして、その死を見取り、しばらく自分の足で立って生きていたはずだが。
もう人生の終わりの時か。
妻との待ち合わせの時間にはだいぶ遅れている気がするけど、もうじき迎えが来る。
身体がかすかに震える。この震えは、待ちくたびれた妻に叱られる恐怖からか、人生の終わりの感動か、妻に会える喜びか。
妻の無表情の怒りの顔が浮かぶ。いや、妻はそんなことで怒るはずはない。そして今回は妻の笑顔が浮かぶ。しかし、その顔がかすんでいてよく思い出せない。
まあいい、だってこれから会えるから。
心地よい魂の震えの中、私の意識は遠のいていった。
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