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赤井の無自覚
赤井と次に会話したのは、10日ほど後の会社の昼休みだった。
同じ部署と言っても、外注回りの多い赤井と、デスクワークが多いわたしは、あまり顔を合わせることがない。
赤井が新人の頃に、研修で少し教育担当をしていた名残りで今の関係になっているだけで、普段話すのは引き継ぎやミーティングのとき、あとは業後に飲みに行くとき。
だからこれも、通常運転と言える。
それに、あの日以来、赤井はわたしを避けている…ように感じるんだよな。
しかしそれは、わたしにとっては好都合だった。
あの背徳の朝のことを思い出さずに済んだから。
ランチが終わって、会社の外階段でスマホを見ていると、後ろのドアが開いた。
振り返りながら「オツカレサマデス」と反射的に言うと、そこには赤井が立っていた。
あ。
と赤井は気まずそうな顔をする。
この場所はわたしがときどき来る避難場所で、休憩室にいる社員の輪から逃げるためにある。
昼休みを静かに過ごしたいときにここにいる。
「おつかれ、会社で昼?」
わたしは赤井に言った。
「あ、はい、今日は午後会議で…」
敬語。
「…ここ、隣、平気ですか」
「なにそれ、敬語」
「いや、なんか、怒ってるぽいし…ちょっと…」
それは、こっちのセリフだ。
「なんで?」
「この前、すみませんでした。急に行って」
なんかメンドクサイな、この流れ。
ペースが乱れるの、嫌なんだよなぁ。
「ああ、別に大したことじゃないから、気にしないで」
「…はい、すいません」
それに、どちらかと言うと、わたしのほうが謝りたい。
赤井が帰ったあとの自分を思い出して、喉の奥が痛くなった。
「いや、こっちも適当に帰しちゃって、悪かったと思って。ごめんね」
「うん、へいき」
「上手く行ってる?」
わたしは赤井と彼女のことについて問う。
「あ…あぁ、うん、なんか、わかんない」
「…え、あーそう…」
ああ、メンドクサイ。
何かあったのか、何もなかったからこうなのか。
いずれにしてもメンドクサイ。
わたしは「どうしたの?」と言って欲しがってるひとが嫌いだ。
赤井は今、どうしたの?と言ってもらいたがっている。
なんて面倒な男だ。
ちらりと横目で赤井を見る。
いつもの甘ったるそうなカフェオレのボトルを飲んでいる。
視線に気づいた赤井がこちらを見た。
「…なに?」
わたしは”いじわる”したくなった。
「もしかして、『どうしたの?』って言ってほしいの?」
「え、なんで?別に…」
赤井は少し驚いて、また甘そうなカフェオレを飲んだ。
「そう、なら良かった。わたし『どうしたの?』って言われたそうにしてる人、嫌いなの。男も、女も」
赤井は黙っている。
なんだかわたしは腹が立って、
「曖昧に返事したり勿体つけて『別に』とか言ったら、普通の人は『どうしたの?彼女となんかあったの?』って聞くでしょ。君は無自覚だからさ、そういうの。いつも。だからわかんなくなっちゃうんじゃない?」
赤井はまだ黙っている。
チチチ
と、腕時計のアラームが小さく鳴った。午後の仕事が始まる。
「知りたいことがあるなら、自分から聞いたり、相談したりすればいいんだよ。そんな受け身でいないでさ。メンドクサイから」
じゃ、午後の会議頑張ってね。
と、わたしは外階段のドアをあけ、デスクに戻った。
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