冷たくも温かい思ひ出

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冷たくも温かい思ひ出

 祖父が亡くなったのは私が高二の冬の時である。携帯電話こそあるが、用途は電話とメールが主なもので、SNSどころかインターネットすらも出来ない程の昔の時代の話である。  祖父が暮らすのは日本海側の豪雪地帯で、冬を迎えればほぼ毎日雪が降り注ぎ、二階建ての家と同じ高さまで雪が積もる程であった。祖父はそんな地域に子供の頃からずっと暮らしており、人生の大半を「雪かき」をして暮らしてきたと自称するぐらいだった。  祖父がこう自称するのも、冬の間は「雪かき」が仕事だったからだろうか。 ちなみに祖父の職業は公務員である。普段の公務の時間を「雪かき」にあてなくてはいけない程の豪雪地帯がどのようなものか、雪のあまり降らない都会に暮らす私には想像が出来ない。 こうして長年「雪かき」をしてきたことが評価されてか、祖父は国から叙勲されている。地元の新聞にも載るぐらいの有名人で、菩提寺の住職も戒名に「除雪」と付けることを薦めてきたぐらいだ。遺された祖母もその提案を受け入れて了承している。 地元で祖父を知る者は「雪の申し子」だったと皆、口を揃えて言うぐらいである。  冬休みに祖父に会った時は、屋根の雪下ろしや道路前の雪を側溝に捨てる姿ばかり見ていた覚えがある。冬休みの短い数日しか祖父を見ていないために「雪かき」による貢献がどれほどのものかが私には分からなかった。 多分だが、豪雪地帯に暮らし雪と共に生きなければ祖父の「雪かき」による貢献の有り難さを知ることは出来ないだろう。  祖父の葬儀はしめやかに行われた。毎年、この時期のこの地域では雪が降り注いでいる筈なのだが、通夜葬儀が終わるまで、一粒の雪すらも降ることはなかった。祖母も「こんなに晴れる冬の日は珍しい」と驚いていたぐらいである。 葬儀が終わり、火葬場の煙突より祖父が天へと昇って行くところを見届けたところで、私達家族は帰路に就くことになった。
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