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今考えれば随分と月とは無縁な生活だったな、と思う。月の満ち欠けで一ヶ月を計測した事なんてないので、三日月が夕暮れ時に見えるなんて知識はなかった。スマホばかり見ているので夜空ですら見ず、中秋の名月に団子を備えた事は一度もなかった。
『櫨サン、ジュウデンガカンリョウシマシタ』
AI音声認識サービス。使い始めの感動はもうなく、充電完了の度にお礼をしていた頃が懐かしい。
通知、SNSのインプレッション数、今月使用したSIMの確認は毎時間のルーティーンだ。120%まで充電できるよう改造して良かった、と思う。
アルベロベッロを俗化したデザインの低層マンションの自宅は寒く、アノラックの内側を震え上がらせた。
バルコニーから白浜を見下す。白い息は逆行する。隣の部屋も、そのまた隣の部屋も静かだ。
息をふー、と一気に吐いてみる。水中のインクの様に幾重にも重なった線が失速し、解れていき、面白い。煙草なんか蒸さなくても冬の空は格好良い。
そう回想を巡らせるが、波の音を聞きながら俺はスマホをいじるのである。
麻のハイスツールも用意したが、今は要らない。目が少し疲れたら波がどこから生まれるのか観察すれば良いからだ。観察眼は浜辺から沖合まで追い掛け、いずれ水平線の先を凝視する。
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