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空は太陽を丸呑みし、膨らんだ腹から破裂して出てきた月は囁き、さざ波はその声に寄る。
だから「夜」、と云う。誰かが言っていた。
話し手を失った揺蕩う聞き手は、完全に静かになっていた。俺は根っからの文系人間なので、月の引力と潮の干満の関係については詳しくない。
しかしどうやら、月が爆ぜて消えると、海は波の立たない、大きな水溜りになるらしい。
俺は近所に住む、一人の友人に電話を掛けた。同じ大学で物理学――力学と言っていたかもしれない――を専攻する看田と云う友人だ。科目は全く違うが、家が近所だと云う事で、サークルの新歓以来、仲良くやっている。
看田は直ぐに電話に出た。
「よお看田。今、大丈夫か?飯と風呂の次に緊急で話したいんだ。早速で申し訳ないんだが、看田、今日の月に何か異変は起きてなかったか?」
「月?そんな注意深く見てないけど…。なぞなぞとかじゃないよな?」
電話の受け手の背後からはカチャカチャと物が触れ合う音が聞こえる。皿洗いだろうか?
「いや、月が爆ぜたのを見たから。この現象について意見を聞きたくって仕様がないんだ。後で写真を送る。あと、一つ物理の質問をさせてくれ。月が無くなると、潮の満ち引きも無くなるのかい?…いや、馬鹿な質問をした。そんな訳がない。月が見えない昼間でも波は水平線から離れていく」
「いや、そう云う理屈じゃないんだ」
看田の訂正が入った。
「月が見えなくなるのと、無くなるのは全く別だ。例えば月が君の裏側、真反対の地点の空に浮かんでいたとしたら、君の頭上に月がある時と同じ位海面に作用するんだ。丁度、付き合いの長い友を分類してみると、自分と似ている奴か、自分と真逆な個性の奴に二極化される様にね。で、月が無くなった場合。潮の満ち引きは太陽の引力の影響を受ける。働く力は月が存在していた時の半分以下になるけどね」
「じゃあ、完全に波が無くなる事は無いって事か…」
目の前の海は星々の光を純粋に反射するばかりだった。海の趣は失われていた。
「お前の家から海は見えるか?見えないなら直ぐに来てくれ、俺の家の前の海岸に。波は完全に止まったんだ」
「分かった。手が空いたらダッシュでそっちに向かおう」
「手が空いたら、っていつだ?」
「がっつくなよ。今、窓からニシキアナゴが覗いているんだ。後で写真を送ろう」
彼からの電話はそれっきりだった。
誰もいない奥崎海岸。沿う国道にも車の気配がない。無人の世界を歩いて思った。
看田もいないんじゃないか、と。
SNSのインプレッション数が未だ0だった事が証拠だ。
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