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十分ほど経ったが、看田は来ない。連絡も着かない。しかし、それに納得している自分がいた。
確か、それ位のタイミングだったと思う。暇すぎて砂浜を歩き回っていた時だったから。
視界に突然、見知らぬ女性が現れたのだ。読み込みの遅れたストリートビューの様に、目の前の風景の中に、突如として、白いワンピースの女性が現れたのだ。
気温5℃の冬空の下、その姿はとても寒々しかった。幽霊の様な雰囲気を放っていた。
更に近付くと、その女性は震えている事が分かった。見れば、スニーカーを履いたまま、足は海水に浸っていた。
放って置く訳にはいかないので更に近付くいてみると、彼女は、肩を震わせてすすり泣いていた。
「すいません。大丈夫…ですか?」
耐えきれなくなり、声を掛けた。
「ハゼを…殺してしまったんです…」
俺は喉の真ん中で、声にならない悲鳴をあげた。幽霊は俺の方だったのか!
しかし、そう云う事ではなかった。月が爆ぜてから、俺のいる世界は随分可怪しくなってしまったが、他人が自分の名を知っている程不条理ではなかった。
彼女の足元には茶色く不格好な魚が横たわっていた。真鯊だった。
「…初めて生き物を殺しました。一縷の希望を求めて海水を掛け続けていたにですが、ずっとこんな工合で…」
「落ち着いて下さい。生物は皆、他の生物を殺さずしては生きられないと思います。俺だって鬱陶しいと思ったら蚊を叩くし、その真鯊だって海底でゴカイを食んでいたところを、浜まで流されたのかもしれない。初対面の奴が言うセリフじゃぁないけど、あなたが泣く必要は無いんです」
それでも彼女は手で顔を覆って泣き続け、塞ぎ込んだ体勢のままだった。
俺は傍に落ちていた、一等大きなタカラガイを、優美な真鯊の屍骸の胸鰭に抱かせた。そして彼――彼女かもしれないが、凛々しい瞳をしていたので、勝手に"彼"と云う事にさせてもらった――の鱗を傷付けないよう、丁寧に海へ沈めてやった。
その場でゆっくりと沈んでいった。
彼女はまだ泣いていた。
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