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「お、兼谷。今帰り?」
今日という日に名前をつけるのならば『奇跡』一択だろう。なぜなら、周りに誰もいない昇降口であの野崎に会えたからだ。
「うん、テスト勉強してて」
「俺も陸上部のやつらと。週明けからとかマジで萎えるわ」
普段は憎い存在である定期テストに感謝した。熱くなっていく頬を緑風でなんとか冷ましながら、二人で正門を出た。
「そういえば他の部員たちは?」
せっかく流れで二人きりになれたのだ。のちに合流、なんてことになるならショックが計り知れないので、さりげなく確認しておくことにする。
「あー……」
「え」
まずい質問だっただろうか。野崎の返事は煮え切らない。
「いや、喋ったこともない一年に告白されて」
部員全員で昇降口に向かっていたところ、その一年生に野崎だけが引き留められたとのことだった。
「まだ五月なのに告白されるって……。やっぱりすごい」
「やっぱり?」
野崎は首をかしげているが、告白現場などいとも簡単に想像できてしまう。なぜなら。
「だって野崎くんって……、その、かっこいいし……」
そう、野崎はかっこいい。いわゆるイケメンだ。
しかし、想いを寄せた相手に対し、容姿を褒めるのは妙に緊張する。本当は声を大にして何度でも言いたい。野崎はかっこいい、イケメン、色男! と。
「兼谷っていつも成績良かったよな」
「えっ!? な、なに急に?」
突然の褒め言葉に驚き、慌てふためく姿を晒してしまった。恥ずかしい。
「褒められたから、褒め返し」
背の高い彼が少し顔を下げ、俺と目を合わせて言った。
きっかけは入学式の一目惚れだったが、こういうユーモア溢れるところも好きだ。
「でも今日の勉強会さ、結局だべってばっかで頭になんも入ってねえんだよな」
可愛い愚痴に下心が反応する。
「……じゃあさ」
野崎がゲイだという可能性はまずないだろうし、この恋が叶うことはきっとない。
ただ、叶わなくても、もっと二人でいたい。そう思ってしまうのは醜いだろうか。
「勉強……、一緒にしない?」
「一緒に?」
少し驚いた表情に怯んでしまい、「野崎くんが良ければだけど」と保険をかけてしまった。
「そうだなー……」
少し悩んだ様子を見せたあと、「いや、やめとく」と短く断った。
「兼谷の邪魔しちゃ悪いし」
邪魔なわけない。だから誘ったのに。
「ごめんな、せっかく誘ってくれたのに」
それ以上踏み込むなと神様が俺に忠告しているのかもしれない。いや、これ以上踏み込んでくるなという意が、野崎の断りそのものに含まれているのかもしれない。
というか、そもそも俺が野崎と釣り合うわけがないのだ。今こうして並んでいることが信じられないほど、普段はまるで接点がない。
「その代わりさ」
続けて聞こえてきた野崎の低い声。反射的に顔を上げた。
「テスト終わったら、どっか遊び行こ」
「……いいの?」
俺の第一声はそれだった。
いいから誘ってんじゃん、と笑われてしまうのも無理はない。カーブミラーに偶然映った俺の顔は、人様に見せられないくらいに驚いていた。恥ずかしい。
この男の前では、どうしたって落ち着かない。
そこからはとにかく早かった。連絡先の交換から約束の日程まで、俺を誘った理由など聞く暇もないまま話が進んでいった。
「どこ行くかはまたあとで決めるか」
しかし、これだけはどうしても確認しておきたかった。話がひと段落したところで口を開く。
「……野崎くん、ちなみにさ」
「ん?」
「その、遊ぶのは二人で……だよね?」
聞いてから後悔した。野崎の表情が、つらい。怪訝な表情と視線が痛い。
「ごめん、やっぱなんでもな……」
「俺はそのつもりだったけど」
「……へ?」
俺の間抜けな声を聴いて、穏やかに笑う。
「兼谷は誰か誘いたい?」
「いや、いい……」
「じゃあ問題ないな」
気のせいだろうか。野崎は少し意地悪かもしれない。もしくは、俺の気持ちを知っていてそんな質問を……? どちらにしても疑惑は晴れない。
でももし、もしも俺の気持ちが、野崎本人に伝わっていたとしたら、俺はどうすべきなんだろう。
いや、まだ定かではない。野崎の長い脚を引き続き見つめ、この特別な時間を噛みしめることにした。
「あ」
そこから五分ほど経ったころだろうか。野崎がそう呟いて長い脚を止めた。
「ごめん、ちょっとこれやってい?」
野崎が視線を向けているのは、一眼カメラのカプセルトイだった。カメラと言っても手のひらサイズのミニチュアだ。
「カメラ、好きなの?」
この状況に舞い上がりすぎている割には、いまいち野崎のことを知らない。
二年二組、出席番号二十一番、そして陸上部所属。クラスメイトとしての最低限の情報しか知らないのだ。
「好きってわけでもないけど、可愛いなって」
自分に言われているわけではないのに「可愛い」に思わず照れてしまった。せっかく冷えた頬がまた熱くなる。
「……俺もやろうかな」
しゃがんでラインナップを凝視している野崎に近づき、視線を合わせる。俺も同じようにカプセルトイに目を向けた。
「お、どれ狙い?」
「うーん……、これかな。茶色の」
直感で、キャメルのカメラを指差した。
「うん、なんかかねやんっぽい」
……気のせいだろうか。聞き間違いでなければ今、野崎に「かねやん」と呼ばれた……かもしれない。
「野崎くんはどれがいいの?」
とりあえず、気にしていないふりをした。
「かねやんはどれだと思う?」
間違いない。野崎は俺を、「かねやん」なんて初めて聞くあだ名で呼んでいる。嬉しいのは確かだが、どんな反応をすればいいのかわからない。
からかって言っているだけかもしれない。何せ彼は意地悪なのだ。
「黒?」
野崎は俺の予想に頷き、微笑んだ。
「野崎くんっぽい」
イケメンにはシックでシンプルなものが似合う。言ってしまえば、華やかな顔立ちが最大のアクセサリーなのである。
その瞬間、野崎は嬉しそうに笑って、俺の頭を優しく撫でた。
「ちょ……っ!」
予期せぬ行動に、思わず立ち上がってしまった。野崎が驚いた表情を見せる。
「ごめん、びっくりさせた?」
「い、いや……」
「かねやん、面白え」
「面白くないよ」とはっきり否定し、野崎の隣で再びしゃがんだ。
「そうか?」
「野崎くんだけだよ、そんなこと言うの」
「なんか新鮮なんだよな、兼谷って。周りにいないタイプ」
そりゃそうだ。野崎のようなキラキラした人間には、同じくキラキラしたやつか、特別な個性を持った選ばれし者しか近づけない。
凡人には決して届かない存在。まさに雲の上の存在なのだ。
でも今は、そんな男を俺が独り占めしている。
「あと、入学んときから思ってたんだけどさ」
その言葉に緊張が加速した。俺に関することが野崎の中で一年以上も秘められていたと考えると、さらに加速した。
「兼谷ってなんか可愛いよな」
疑惑が確信へと変わった瞬間だった。野崎は、俺の気持ちに気づいている。
「いつも一生懸命なところとか、いいリアクションするところとか」
野崎の言動に嬉しくなったり、驚いたりすることが馬鹿らしくなってきた。というか悔しい。野崎は「可愛い」と言ってくれているが。
隠しているのも、馬鹿らしいと思ってしまった。
「野崎くん」
「ん?」
「もし俺がカメラの色を当てられたら、付き合って」
野崎の大きな目が、俺をまっすぐに捉える。
「俺、野崎くんが好き。一年のころから」
言い切ったあと、心臓が文字通りドクドクと響いた。しかし、後悔はない。むしろ清々しささえ感じる。
「わかった」
野崎は短く口にし、財布から百円玉を三枚取り出した。
カラーは計五色。なかなかの賭けだと思う。
色を当てられたら付き合ってと言い切ってしまっている分、外せば野崎と付き合えることは一生ないとまで覚悟している。
投入口に硬貨が吸い込まれる音、長い指がレバーを回す音、そしてカプセルが下に落ちる音が順番に聞こえ、俺は野崎に背を向けた。
「……黒」
野崎の狙っている色が当たりますように、という願いも込めて答えた。
カプセルの開く音が背後から聞こえ、思わず目をつぶる。
「何色……だった?」
そう問う声が、震えた。
「……っ!」
その瞬間、背後からやってきたのは野崎の声ではなく、体温と匂いだった。
勘違いでなければ今、俺は野崎に抱きしめられている。
間違いでなければ。自惚れでなければ。
「兼谷、笑って」
「えっ?」
野崎が腕を伸ばして俺たちの前に掲げたのは、小さな黒いカメラ。
「はい、チーズ」
野崎の合図にカシャッと小さく音が鳴ったが、もちろん写真を撮る機能などない。
「今度のデート、どこ行く?」
野崎は毎日、多くの人間から視線を向けられている。人がいい彼は応えるように見つめ返す。
彼のレンズには今、俺しか映っていない。
〈完〉
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