猫に消されるこの世界

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何気ない一枚に、不条理が写り込んでいた。  * 余部(あまるべ)与一(よいち)は写真屋である。人によく間違えられるが、写真家ではない。 父から写真館を三代目として引き継ぎ、このデジタル全盛時代をかろうじて生き抜いてきた。 世襲仕事とはいえ、写真は好きだ。だからこそやってこれたのだと彼は自負している。 その日はちょうど初雪が舞った日だった。 あまりの寒さに出かけるのをやめて、先週の店休日に撮影した写真の整理でもしようかと、私用のPCに向かっていた。 彼は猫が好きである。というよりかは、猫の写真を撮るのが好きだった。 野良猫が多いこの街で、動物好きの妻に言われるがままにシャッターを押すうち、すっかり嗜好が妻寄りになってしまったのだ。 だから、写真フォルダの8割を占めるのは猫。 白、黒、トラ、三毛。 思い思いの表情を見せる彼らのポートレートを眺める。そのうち、ふとある一枚の写真に目が留まった。 はじめ、それは黒猫のように見えた。 歩きだした三毛猫の三歩後ろ、丸くうずくまった黒い猫だと。 だが、違う。まるで表情がないのだ。 他人を値踏みしてやまない丸い目も、ツンと立った逆三角な鼻も、生意気な曲線を描く口元も。猫の象徴たる堂々としたヒゲすら見えない。 ただ輪郭が、丸まった猫の輪郭だけが、ざらついた常闇を縁取っている。 あるいは影でもないようだ。 歩いている猫に対し、その漆黒は一切の接点を持たず宙に浮いている。太陽の角度によっていびつに引き延ばされてもいなかった。 以後の作業は全くはかどらなかったのはいうまでもない。 やがて妻から「昼食を食べにいらっしゃい」と声がかかると、諦めざるをえなくなった。 席を立ち際、ふと閃く。そうだ、誰か知っている人がいるかもしれない。 彼はインターネットにアクセスした。 「なんでしょう、これ?」 何のひねりもないキャプション。 フォロワー数も知り合い程度のSNSアカウントから、そっとネットの海に放流した。 異変に気付いたのは、夕方。娘からかかってきた電話のためだった。 「ねえ、お父さん! 今日投稿した猫の写真、なんだかバズってるみたいだよ?」 半信半疑でもう一度SNSを開き、驚いた。 昼前の投稿ひとつについていたのは、百を超えて千に迫るリプライと引用。そして、Goodの数。 こんなことはまったくもって初めてだった。 反応を追っていくと、次々に見知らぬ他人が似たような影の写真をアップし、余部と同じ疑問を投げかけているのが分かった。 誰しもが気づく余地があったということだろう。きっと余部が指摘せずとも、どこかでいつか吹き上がっていたはずとしか考えられない。 「すごいよね、こんな田舎の写真館の投稿に。こんなこと初めてじゃない?」 一年前に嫁いだばかりの娘は無邪気に言った。 「私も見たことあるよ。あんな風に宙に浮いた影。なんだか最近変なこと多いけど、一体どうなってるんだろうね」 電話口の向こうで、「ねー何だろうね、ポンタ~?」と娘の声。 ポンタとは彼女の愛猫だ。親に似て、猫が好きな娘である。
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