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葬儀会社とはどこも連絡がとれなかった。
ただ市役所には人がいて、形ばかりのお悔やみを述べられた。
店のPCを久しぶりに起動し、やりきれない思いを抱えながら娘の遺影をつくる。
棺も何もない、二人きりの葬儀はすすり泣きが読経代わりだった。
翌日。
余部は妻が止めるのも聞かず、愛用のカメラ片手に街へ飛び出した。
今の自分ができること。それはこの悲惨な日々をただ断片だけでも切り取って後世に残すことではないか。それがカメラを持つ者の責務ではないのか、と。ふとそう思い立ったのだ。
けれど果たして、その後世とは残っているものなのか?
答えは分からない。
それはきっと自分では及びもつかない偉い人たちが何とかすることだ。
よたよたと通りに走り出て、余部は呆然とした。
ゴーストタウン。
「カス」になることを恐れ、誰もが日常を放棄し、引きこもりを決め込んだ街がそこにはあった。
街の風景にはところどころドット落ちしたように「穴」が開いている。
それに気を付けながら、彼は恐る恐る街を見て回った。
すると。
ナァ、ナァ、と。
角の向こう、用水路脇の路地から鳴き声がした。
覗き込んでみると、ドロリとしたタールのような「カス」にまとわりつかれた仔猫が悲しげに鳴いていた。
助けてやりたい。
できることなら、あの忌々しい「カス」を洗い流してやりたい。
しかし、できない。触れることが怖い。老いた彼とて、まだ命は惜しかった。
痛みさえ伴う葛藤を抱え、恐る恐るカメラを構えようとする。
そのとき、
「……ミャア」
つい足元から鳴き声が聞こえ、余部は戦慄した。
まだ新鮮な「カス」を纏ったトラ柄の仔猫。
その仔は足にすり寄り、ズボンのすそにたっぷりの「カス」を擦り付ける。
これは元々何だったのだろう?
たとえば、犬? 樹木だろうか? あるいは、寝床にしている家の一部?
……いや、それとも。
イヤな汗がブワッと吹き出し、歯がガチガチと鳴り出す。
理性的な判断を下す前に、恐慌にかられた生存本能が身体を動かしていた。
右足を大きく振りかぶり、トラ猫の腹めがけて蹴り上げる。
靴越しに伝わる、軽くて柔い肉の感触。
ギャンっと悲鳴を上げて浮き上がったそれは、驚くほどに高々と放物線を描いた。
仔猫はボールのように回転しながら、フェンスを越え見えなくなる。その直後、ドボンと水を打つ音があたりに響いた。
フェンスまで駆け寄り、おそるおそる覗き込む。だが、水面には押し流されていく波紋ばかりで猫の姿はどこにもない。
余部は何者かに追われるかのように逃げ出した。
あの「カス」に溺れそうだった仔猫の存在も意識の外に消え去っていた。
息継ぎさえ忘れたまま通りを走り抜け、家の玄関に飛び込む。そこには心配そうな顔の妻が待っていた。
「ハァ、ハァ……っ、ちくしょうっ!」
「ああ、よかった! あなたまでいなくなるんじゃないかと、私心配で。……ど、どうしたの。顔が真っ青よ?」
「いや、なんでもないさ。なんでも」
靴を脱いでも、つま先には生々しい感触が残っている。
おそらくもう死ぬまで忘れられないことだろう。余部はそう直感した。
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