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「えぇ~、金髪、シテル思った」
個室の病室を訪ねた私への母の第一声は、ずいぶんなものだった。
普通の母親ってもんは、久しぶりとか元気だった?とか言うもんだろうけど、この母に普通なんか通用しないのはわかりきったことだ。
仮にも病人だというのに、相変わらず母はド派手だった。色とりどりの原色で埋め尽くされたタイダイ柄のトロンとしたロングワンピースを身にまとっている。ここが病室じゃなくてハワイかどっかのリゾート地、もしくは母の故郷、フィリピンなら不思議じゃないかもしれない。
私は「そんなんしないよ」とそっけなく答えて、病室の端っこに荷物を下ろした。
「髪、切るよ」
久々の再会ではあるけれど、私は怒っている。勝手に再婚するし、それについての説明はいまだにないし。入院したという連絡を寄越したのが輪太郎さんというのも気に入らなかった。私は努めて事務的に母の方を見ないまま準備を始める。新聞紙を五、六枚敷いた真ん中にベッド脇の丸椅子を置き、
「ここで切るから。移動できる?」
シザーやくし、クリップを入れたシザーケースを腰に巻きながら聞いた。
「ツキに髪切ってもらえるウレシイね~」
私の怒りなんて気にも留めない母は上機嫌でベッドから降り、安っぽいスリッパをペタペタ言わせて丸椅子に座った。いつもそうだ。母は空気というものを読まない。読めない。どんなに私が怒ったり泣いたりしても、何でもない顔で澄ましている。
私は後ろから、大きなゴミ袋の底を頭ぶん丸く切り抜いた即席ケープを母にかぶせる。私の記憶の母の胸下まである髪は、もっと豊かで、美しいウェーブを描いていた。今の母の髪も年齢からすると綺麗ではあるものの、前ほどの見惚れるような豊かさとツヤはない。
首回りの隙間に切った髪の毛が入っていかないように、首回りにタオルを巻く。
夜はスナックで働いていて、周囲から美人ママと言われていた母。その首筋には血管や筋がグロテスクに浮き出て見えて、私は思わず目を背けた。
シュッシュッシュッシュッ
霧吹きの水で、髪を湿らせていく。髪を手櫛ですくい取るとかき分けたところに白いものがきらきらと目立ち、嫌でもくっきりと、年月の経過を見せつけた。
「……どんな感じに切る?」
「ココくらいね。長いのアキタよ」
「わかった」
年齢を機に短く切る人は多いけれど、なんとなくこの母だけはそんなことはしないだろうと思っていたから、母が肩口あたりを指したことは意外だった。あらかた髪を濡らし終え、クリップで髪を八等分にブロッキングする。練習で友達や先輩の髪を切ったことはあるけれど、母の髪を切るとなると手が震えた。
小さく震える手を悟られないように、慎重に、集中してハサミを入れる。
シャキ、シャキ、シャキ……
母の髪は少し癖があるから、切ったあと癖で膨らまないよう中のほうを縦に少しだけ梳いた方がいいだろう。重みは残して、でもカットラインは重くならないように。毛先は遊んでいるくらいが、母らしくていい。
一度切り始めると、目の前のヘアスタイルを作ることで頭がいっぱいになった。肩口と指定されたものの、それよりも少し長めに残して切っていく。長めに切っておいて後から調節しよう。切ってしまった髪は戻せないから。私がハサミを動かすたび、さっきまで母の一部だったものが、母の体に沿って床へとすべり落ちていく。
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