17 二人はすれ違い

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17 二人はすれ違い

「あのさ、私って結構順応性が高いんだよね」 「……何の話だ?」  タイミングを見計らって私は本を読み耽るアルベルトに声を掛けた。やや怪訝そうな顔で書類から目を上げる聖人様の目を見つめて、慎重に言葉を選ぶ。 「ミラに馬の血で出来た飴貰ったんだけど、思ったより美味しくて。もう吸血しなくて良いかも!」 「へーそりゃめでたいな」 「本当だってば。あとなんか血が吸いたくなくなる煙草とかも今は出回ってるらしいし」 「どうした急に?」  また頭のおかしいヴァンパイアが何か言い出した、といった迷惑そうな表情を浮かべて、アルベルトはペンを置く。  私は黙ったままで薄いブラウンの瞳を見つめ返す。 「らしくないな、お前はもっと強欲だろうが」 「失礼ね。私はいつもお淑やかよ」  言いながら、身も心も汚れなく美しいシシリアの姿が浮かんだ。だめだ、関係ないから思い出したくないのに、あんなものを見た後で私は実際かなり気にしている。 「私、ちょっと散歩しようかな。外の空気吸いたい」 「は?もう外は真っ暗だぞ、家に居ろ」 「夜の空気って好きなんだよね」 「おい!」 「すぐ戻るから!」  アルベルトの制止を振り切って、玄関へ向かう。  別に子供じゃない。この辺りの知見も出来たし、私だって馬鹿ではない。危険を察知したら逃げることだって出来る。私は、アルベルトが居なくても大丈夫。  暗い砂利道に足を踏み出した。 ◇◇◇ 「………さむ」  夜風がこんなに冷たかったのは誤算。  支給された制服は生地が薄く、袖口から入った風が身体中を通って体温を奪っていくようだ。強がりを言わずに家に居れば良かっただろうか。いや、無理。  あの日から、散々考えたけれど、やはりアルベルトの邪魔で居続けることは辛い。邪魔者上等、とことんお邪魔しちゃうよ~!なんて思えるほど、私の頭はゆるくない。  しかし、解決策も出てこない。  腕をさすりながら人気のない道を歩く。  家々は点在しているけれど、平日の夜だからか、みんな家に篭っているようだった。それは正解だ、だってこんなに寒いんだもの。私だって事情がなければ、一人でウロウロ歩き回ったりしたくない。  そろそろ家の方へ向かおうかな、と思った時、背後でポキッと枝の折れる音がした。 「………!」  慌てて振り返るも、誰も居ない。  大丈夫、50m走は10秒超えだけど、大丈夫。  いざとなれば私の足にはボルトを憑依させることが出来るし、ライオンも驚きの跳躍力だってあるのだ。  暗闇に目を凝らしながら、後ずさった。 「ワーグナーの番?」 「っひょい!」  音がした方ではなく、真横から声が聞こえて飛び上がった。  泣きそうになりながら顔を上げると、暗闇に溶け込むように黒髪の男が立っていた。そうだ、この男は自警団のティル・ノイアー。街で出会っても無視しろとアルベルトは言っていたけれど、話し掛けられた場合はどうすれば。 「ワーグナーは一緒じゃないのか?」 「っは、はい、もう帰りますので!」 「待て」 「は、歯形は今日は無理ですから!」  ビビりオブザイヤーを受賞できるぐらい、脚がブルブル震えている。  改めて見ると、ティル・ノイアーはめちゃくちゃガタイが良い。お世辞にも軽いとは言えない私だけれど、ティル・ノイアーならたぶん私を担いだまま障害物競走に出られそうだ。アルベルトも結構良い体をしているけれど、やはり警察官のそれとはちょっと違う。  一瞬だけ、浴室で揉めた夜のことを思い出して、私は顔に血が集まるのを感じた。あの時もアルベルトの心の中にはシシリアが居たのだろうか。 「歯形はもう良いんだ。ワーグナーが管理していると言っていたからな」 「……そうなんですね、では私はこれで」  ダッシュで逃げようとする私の前に再びティルが立ちはだかる。もはや、その姿は壁。 「少し歩かないか?」 「え、なんで?」 「家まで送ってやろう」 「………ありがとう、ございます…」  自警団としての仕事だろうか。  ティルは一定の距離を保ったまま、私の隣を歩く。  ひたすら続く沈黙が厳しすぎて、口を開いた。 「あの、ティルさんはどうして自警団に?」 「ティルで良い。俺は母親をヴァンパイアに殺されたんだ」 「あ……」 「別に何も思わなくて良い。昔は法律も定まっていなかったし、奴らの管理はずさんだった」  奴ら、とティルがまとめるその集団の中に私は含まれている。疎ましがられる厄介者。管理されないと何をしでかすか分からない獣。  どう足掻いても外れることのないその足枷は、重く私の心を縛る。 「………ごめんなさい」 「良いんだ。今のヴァンパイアはきちんと管理が行き届いている。犯罪件数もだいぶ減った」 「……そうですか、」 「ワーグナーの家はこちらだったかな?」 「え…と、はい」  もそもそと返事をする私の目をティルは何か言いたげに見つめた。街頭の灯りが黒髪の下の真剣な顔を映し出す。 「同じ家に住んでいるのか?」 「はい。番なので…」 「便利な制度だな」 「?」 「さて、そろそろ散歩も終わりだ」  ティルの目線の先には、玄関前に座り込んだアルベルトが居た。
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