21 ヴァンパイアと赤い目

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21 ヴァンパイアと赤い目

 ティル・ノイアーは私を見て一瞬目を丸くした。  背後でリリーや御者の男が逃げ惑う足音がする。会場を埋め尽くしていた観衆の人々は、半分ほどに減っていた。今も尚、パニックになって走り回る人も居る。  ティルはゆっくりと銃を取り出して、引き金を引いた。すぐに誰かが倒れる大きな音がする。リリーが撃たれたのだろうか。やっぱりあの銃は偽物じゃなかったんだ、なんて私はまだ夢の中のようにぼんやりと考える。 「………ニーナ、」  少し静かになった会場の中を真っ直ぐに、ティルはこちらに歩いて来た。黒いコートを脱いで私の肩に掛ける。 「大丈夫か?」 「……そう見える?」 「いや、質問が悪かった」  手首の拘束が外されて、やっと両腕が自由になった。  握ったり開いたりを何度か繰り返して手の感覚を思い出す。  立ち上がった瞬間に少しフラついた私をティルの頑丈な腕が支えた。さすが、自警団の男。そのまま抱き抱えられたが、恥ずかしさよりも疲れの方が優っていたので、何も言わずに優しさに甘えた。  ティル・ノイアーは大きな馬を倉庫の前に待たしていた。  乗馬なんて子供の時の牧場体験でしかした覚えはないが、ティルが後ろに座ってくれたので何とか落馬せずに乗れた。へろへろになった身体は、今すぐ休息を取ることを急かしてくる。  目前でフラつく私を見かねてか、ティルは何度も馬を止めて休ませてくれた。しかし、何度休んでもイマイチ調子が戻らない。 「貧血なんじゃないか?」 「……どうでしょうね」 「君が居なくなったと…ワーグナーから聞いた」 「アルベルトが?」  驚きだ。居なくなってせいせいしているだろうに。  やはり、番としての管理者責任を問われることを彼は恐れているようだ。 「帰り道で鞄だけが落ちていたと。馬車の轍が残っているから追ってほしいと言われたんだ」 「……あ、そういえば鞄…」  あの重たい鞄は、リリーの具合を確認する際に木の根元に置いたのだ。忘れて来たことに今の今まで気付かなかった。 「心配していたよ、彼なりに」 「そうだと良いですね…」 「ニーナ」 「はい?」 「ワーグナーの番で居ることは、君にとって負担ではないのか?」  真っ直ぐな赤い目が街灯の下でぼんやり光る。  見透かされてしまいそうな気持ちを、慌てて押し込んだ。 「何を言ってるんですか?負担なんて……」 「どうしていつもそんな顔をする?」 「私はいつもこんな顔ですよ」 「何か…辛い思いを、」  やめてほしい。  覗かないでほしい。  私でさえ、見えないように、信じないようにしている真実にティル・ノイアーは手を掛けて触れようとしてくる。 「……大丈夫ですよ、本当に。ありがとう」 「そうか…しつこく聞いて、すまない」 「少し目を閉じていても良いですか?」 「ああ。家が近くなったら教えよう」  息を吸い込んで、静かに両目を閉じた。  虫の声や馬が道路を蹴る音、どこかの家の話し声、動物たちの足音。耳を澄ませば、色々な音が聞こえる気がした。それは目で見るよりも鮮明で、鮮やかな景色。  大丈夫。きっと、大丈夫。  この気持ちはまだ、隠し通すことができる。  馬はスピードを出してくれたのか、あっと言う間に家に到着した。こんなにスピードが出るなら、毎日馬で移動するのも良い。もっとも、そんな事は出来ないだろうけれど。  呼び鈴を押すか迷っていたら、ティルの手が後ろから伸びてきてあっさりと押した。私は呼吸を整える。 「………遅かったな」  扉が開いてアルベルトが出てきた。  私はまだ顔を上げて彼の目を見ることが出来ない。 「これでも飛ばしてきたんだ」 「分かった、感謝する」 「………あと少しで死んでいた」 「は…?」 「反王制派の過激なショーの生贄になっていたんだ。ヴァンパイアが生き血を啜る、あの野蛮な見せ物の」 「こいつ自身がヴァンパイアなんだぞ?」 「俺には分からないが、同族同士で飲んでも毒ではない。金のためなら何でもやるような連中だ、何がなんでも開催したかったんだろうな」  二人の話を聞きながら、正直もうそれどころではないぐらいに私は眠たかった。ティルやアルベルトには悪いけれど、一刻も早く横になりたい。瞼はもう完全にその意志を失ってしまっている。  私の様子に気付いたのか、アルベルトは先に中に入るように言ってくれたので、素直に従うようにした。  ティルに礼を伝えてパタパタと部屋へ入る。  その後の記憶は実に曖昧で、あまりの眠気にソファへ直行したような気もするし、床で伸びてしまったような気もする。  私はいくつも夢を見た。  短いものから長いものまで。  夢にはよく自分の願望が表れるというけれど、もし本当ならば私はその願望を全力で否定しなければいけない。  夢の中で私は眠っていた。ソファの上で仰向けになったまま、片足を床にだらんと落として。そこへどういうわけか、アルベルトがやって来て、私を抱え上げる。意地悪なはずの聖人は、そのまま自分の部屋へ私を運んで白いベッドに横たえた。 「………悪かった」  そうして、口付けを落とす。  これが私の夢。正夢になる可能性はゼロに等しい。
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