25 月と裏切り

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25 月と裏切り

「よく会うな。あまり夜間は出歩くべきではない」 「今日は…講習会だったので」 「講習会?」 「オメガの……」  あまり自分から言いたい話ではなかったが、聞かれた以上誤魔化すことも不自然なので正直に伝えた。 「ああ、教会が主催しているものか」 「……はい」 「ワーグナーも一緒に?」 「いえ。アルベルトには言っていません」  訝しむように眉を上げたティルを見て、慌てて「自分の都合なので」と付け加えた。家まで一緒に歩こうという誘いを受け、夜道で一人も寂しかったので承諾する。  長く続くじゃり道に、私とティルの影が伸びていた。  少し気分は良くなったものの、まだ吐き気がする。早く家に帰ってあたたかいお風呂に入りたい。今日は早めに寝よう。そうだ、アルベルトに遅くなった理由を説明する必要がある。ミラには事情を話したから、万が一確認が行っても問題はないと良いけど。  鋭い観察眼を持つティルに不調を勘付かれないように、顔を逸らして遠くの家々を眺めるフリをした。 「家ではワーグナーとどんな会話を?」 「会話……?」 「いや。あいつはいつも俺の前では壁を作ったような物言いをするから、普段はどんな調子かと思って」 「えっと、普通ですよ?」  アルベルトが壁を作っているのは何もティル・ノイアーの前でだけではない。オンオフを器用に切り替えるアルベルトは、第三者の前ではたいてい良い人を装おうのだ。  家での自堕落な彼を思い出して口元が緩んだ。 「君がオメガのヴァンパイアと聞いた時、正直警戒したんだ。オメガの犯罪率はかなり高いから」 「それはそれは…すみませんね」 「いや、あくまでも一般論だし、君の番はワーグナーだからな。心配しすぎだったみたいだ」 「アルベルトは信頼されているんですね」  オメガのヴァンパイアという犯罪者ボーダーに立っているような私の番にされて、アルベルトはさぞ迷惑だろう。そういえばシシリアとの関係を口に出した時に、私だけはそんな事を言う権利がないと激怒された。  そりゃそうだ。  誰のせいでこうなったんだ、と彼が怒るのも当然。  考え事をしたせいか、また気分が悪くなった。 「少し…休憩しても良いですか?」 「ん?ああ、もちろん」  気持ち悪い。  なんで私は血なんて飲むんだろう。なんでヴァンパイアなんて面倒な属性を引いちゃったんだろう。なんでアルベルトの番なんだろう。しかもオメガだなんて。  こんな時でも、私は喉が渇いている。  アルベルトの血が欲しい。あの綺麗な肌を舐めて、首筋に牙を突き立てて吸いたい。私だけに見せる少し怯えた顔、混じり合った血が身体を巡る快感を味わいたい。 「具合は……?」  心配そうにティルが覗き込む。 「ねえ、番以外の相手から血を飲むとどうなるの?」 「……分からない。番を持ったヴァンパイアは相手が生きている限りは原則他の者から提供は受けないらしい」 「試してみてもいいですか?」 「……正気か?」  私はたぶん気がどうかしていたんだと思う。  オメガの講習会に参加して、あの実験体の男のヒートに刺激されたのかもしれない。何もかも放棄して逃げてしまいたかったし、自分がどんなに望んでも手に入らないアルベルトのことを思うと気が狂いそうだった。  疑わしそうに私の目を見るティルを見つめ返す。  強く頑丈な腕が私を抱き寄せる。アルベルトとは違う匂い。あの甘い匂いを嗅ぎたいのに、ティルからは清潔な石鹸の匂いしかしない。どうして?  恐る恐る、確認するように噛んでみる。 「………っ!」 「あ…ごめん……、やっぱり違うかも」 「そうか。番には敵わないな」 「そういうものなのでしょうか?」  ティルのシャツをもぞもぞと直しているとき、その背後にこちらへ向かって歩いて来るアルベルトの姿を見つけた。慌てて立ちあがろうとする私の手を再びティルが引く。 「ニーナ、やはり番に不満があるんじゃないのか?」 「え?……そういうわけでは、」 「俺は君の支えになりたい」 「……ありがとう」 「番を解消できると言ったら、君はどうする?」 「解消?」  そんなことは微塵も考えていなかったので、暫し返答に困った。どんどん近くなるアルベルトとの距離が気になって私が答えに窮していると、ティルは穏やかに微笑んだ。 「冗談だ。君を困らせるつもりはない。ただ…あまり悲しい顔を見せないでくれ」  目を見て話をしてほしい。  一人にしないでほしい。  それは、この世界に来てからずっと自分がアルベルトに欲していたもので。それらすべてを与えてくれるティルのあたたかさに私は甘えてしまっていたのかもしれない。  意図せず滲んだ涙にティルが唇を合わせる。その背中越しにこちらを向いたまま立ち止まるアルベルトが見えた。 「ロマンスの途中で悪いが、通行の邪魔だ」  その声を聞いてティルはゆっくりと振り向く。  アルベルトの目には明確な嫌悪が浮かんでいた。 「ワーグナー、お前に管理者としての自覚はあるのか?」 「自警団がヴァンパイアの番に口出しするようになるなんて世も末だな。管理者として僕は彼女を迎えに来たんだ」 「なるほどな。ニーナは今日オメガの勉強会に参加したらしいぞ、ヒートのような症状が出ているから診てやれ」 「……そんな話は聞いていない」  アルベルトの目が私に向けられる。 「出てないわ、ヒートなんかじゃない!私はただ自分の自立のために参加しただけで…」 「じゃあどうして番以外の血を欲しがるんだ?ワーグナーが定期的な供給をしていないんじゃないか?」 「違うってば…!」  恥ずかしくなって下を向いて叫んだ。  どうしてティルはアルベルトの前でこんな事を言うんだろう。オメガの講習会に参加したなんて言わなければ良かった。満たされない自分の心を埋めるために、ティルの血を飲んでみたなんて口が裂けても言えない。
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