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ソウジュが吾の安住の地として見当をつけていたのは、ピノール大陸王都ペルノ。戦乱の時代にも平和的統治することの出来たこの国は、他の大国と比較して遥かに国民の気質が穏やかだ。王立軍の深部に寄宿して、神として行使出来る諸々の能力をペルノのためだけに役立てることを条件に、吾はすでに四百年の時を自分の趣味を追及して暮らしていた。
百年前、武勇の国グランティスが剣闘場を開いて以来、吾の趣向のひとつに剣闘士の試合観戦が加わった。これまでの吾の興味の対象は紙の中の文字が中心であったので、我ながらまさか現実の人間の催しに関心が向くとは意外であった。
「自分がヒョロヒョロモヤシの体だから、鍛え抜かれた人と人の剣戟の動きに魅せられるわけですね。なんだか情けなくないっすか? それよりパーシェル、まぁ~た千里眼を悪用して、よその国の剣闘場の試合を盗み見してるっすね。先方からは『試合を見るならきちんと観戦料を払うべき』って苦情を頂戴してるんだから、セコケチは大概にするっす!」
吾の傍らでは、今日も神器のエリーがかしましい。彼女の姿は吾と、同格の神々以外の目には映らない。現状、その騒がしさを吾ひとりで受け止めなければならないのだ。
「他の神々はそれぞれの務めを今も全うしておられるというのに、エリーの主たるパーシェルだけが自堕落を謳歌しているなんて……エリーは情けなくって皆様に顔向けできないっすよ~」
「そうは言うがな、エリーよ。吾に享楽と幸福の追求を望んだのは、他ならぬ最高神であるのだぞ?」
「む~……最高神様の御心を疑いたくはないっすけど、どうしてそのようなお求めを? かつてエリーに与えた役目を破棄してパーシェルだけを守れっていうのも、本当にそれでいいっすか? って、いまいち納得しかねるっす~」
「それこそ、尊き神らしい発想とは思わないかね? 神がいち個人に望むのが、ただただ自己の幸福の追求のみであるというのなら」
喧々と小言をぶつけられてすっかり興がそがれてしまった。たまには部屋を出て、夜の街で一杯ひっかけてくることにした。
「この国の人々はパーシェルに危害を加えたりしないってわかってるっす、けど……じゅうぶんに気を付けるっすよ?」
人が触れると焼死してしまう以上、人波にエリーを連れては出かけられない。吾の単身での行動にエリーは不安げな面持ちで、吾を見送る。
外へ出ると、ペルノの街は今夜も蒸し暑い。ここは温帯の国なので年中このような気候で季節の変化が乏しい風土だ。ゆえに……
吾が知る雪の思い出は、今となっては遥か昔。彼と共に歩いた旅の記憶が最後になっている。
『君とこの国が健勝である限り、僕はこの地に足を踏み入れないし、君の前に立つこともない。今後二度と会えないとしても、僕は君が幸福であるように祈っているよ』
さようなら。そう言い残して、笑顔で別れた。
便りのないのは良い便り。今もこの世界のいずこかを。ともすれば、今もあの日のような雪の中を孤独に歩んでいるかもしれない我らの父が。長き旅の果てにでも彼なりの幸福を見つけられるように。そう、願ってやまない。
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