雪明かり

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雪明かり……それは闇夜の希望。降り積もった雪が辺りをうっすらと明るく見せてくれる。その光景を目の当たりにすると、セツは思い出さずにはいられなくなる。   その冬、セツは失恋をした。 あまりに彼女にぞっこんだったせいで、唐突な別れ話を俄には受け止めることができず、それはそれは永くて寒い冬を過ごすことになる。彼女の方に事情があったから、セツがいくら切々と引き止めても暖簾に腕押しだった。真偽の程は定かではないが、他に好きな男ができたらしい。会うことすら叶わなくなって、手紙の返事もその内に届かなくなってしまった。若気の至りもあるが、年上の彼女にベタベタと甘えすぎたせいもきっとあったに違いない……。いずれにしても彼女を失ったセツは喪失感と自己嫌悪に苛まれ、無気力状態が常態化してしまう。 それから春が来ても夏が来ても、そして秋が来ても……次の年の冬が来てもまだ、忘れることはできなかった。 埋めようのない心の穴を癒す唯一の手段は、音楽を作り続けることだった。時が止まったままのその部屋で一人、アコースティックギターを片手にひっそりメロディーと歌詞に想いを込める。傷心の言葉(こえ)は際限がなくて、生まれ出る音楽は、北国に降り頻る雪のように視界を灰色に染め、日常はそれ以外の色を失くした。作曲中のふとした瞬間に、乱れたカーテンの隙間から窓越しにちらつく雪が目に止まると、切なさがどうにも加速して、心の岸辺を埋め尽くす種火に火を灯した。こうして世界の片隅で生まれた曲は優に百曲を超える。そんな日々が二年程続いた。 それほどまでに未練を引きずったのは、セツが音楽を作りすぎたせいなのかもしれない。作れば作る程、その世界に深く入り込むことになった。心の凍土に降り積もる雪の範囲は地平の先まで広がり、失恋糖度を際限なく高めた。そして深掘りした無数の雪穴は、また新たに降り積もる雪ですぐに埋まってしまう。   それでも”終わらない冬”は、セツの音楽的潜在能力を少しずつ開花させていった。 やがて音楽を作ることが"傷心を癒やす手段”から”目的そのもの”に変わる頃、季節問わず積もりに積もった雪も少しずつ解け始めた。そして春の芽吹きであるフキノトウが、降り積もった雪の小窓から顔をのぞかせるように、セツの作る音楽は失恋ソングから()()ソングへとカタチを変え始める。 引きずれるだけ引きずって、今にも遭難してしまいそうな()()()は、時の流れに少しずつ小さく丸くなっていく。そしてウイルスの棘がなくなってやがて感染症が収束するように、いつしか春の風に溶け込んで見えなくなってしまった。   今では彼女の面影は音楽の中に封印され、永遠の雪明かりを放っている。 静かなる闇夜…… 雪明かりがセツの瞳に宿すものはもう未練ではない。 音楽への”目覚め”を与えてくれた彼女への感謝の念だった。
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