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覚えているのは、正次さんの差し出した手。大きくて、分厚い手だ。
次に覚えているのは、赤いランプ。無数に点滅していて、僕は目が眩みそうだった。
そこで僕は横に立つ正次さんを見上げて終わる。
目覚めた僕は、もうあの頃の小さな僕ではない。それでも息が上がっていて、額に嫌な汗を掻いている。
「律? 大丈夫なの?」
部屋のドアが開いて、祖母が顔を出す。父に似た垂れ目。その目の横には多くの皺が浮かぶ。
「ああ……ごめん。悲鳴をあげた?」
僕は悪夢を見ると悲鳴をあげるらしい。自分自身では制御できないそれが、祖父母を不安にさせていることに申し訳なさを感じていた。
「いいの。それより大丈夫?」
一人になった僕を引き取って育ててくれた祖母と祖父。心配はかけたくないのに、未だに悪夢に襲われるとこれだ。
「大丈夫だよ。もう十年以上経ってるのに……ごめん」
謝る僕に祖母は首を振ってからお茶でも飲むかと気を使ってくれたが、僕は時計が零時を回っているのを確認して断った。
「スマホでも見て眠気を待つから」
僕の返事に祖母は部屋を後にする。僕は高齢の祖母の背にもう一度ごめんと呟いた。
一人になると、僕はあの正次さんの大きな手を思い出しながら目を閉じた。
正次さんは僕の恩人だ。
近所に住んでいた正次さんは、あの日夜中にゴミを捨ててしまおうとゴミ捨て場に向かっていたところ、言い争う声を聞いたらしい。気になって争う声の元に駆け付けたら、僕の家の玄関が開いていて中へと進み、倒れている両親を見つけたということだった。驚いていたところに僕が現れ、正次さんは僕の手を引き警察に届け出た。
もちろんこれらは、少しずつ理解できるようになってから聞いた話で、僕は覚えていない。七歳だった。仕方がなかった。そう、僕はどうしょうもないほど無力で、聞いたはずの異音すら答えることのできない子供だった。
記憶しているのは悪夢でみるものが全て。よくわからない音で目覚め、階段を下りて和室へ行き、正次さんの差し伸べた手を見たこと。それからパトカーの赤いランプだ。
何度も大人たちに何かを見ていないか尋ねられ、その都度僕は聞き手を落胆させてきた。
「見てません」
僕はこう答えると大人がどんな顔をするのか予想がつくようになるほど、同じやり取りを繰り返していた。今ならわかるが、僕に何かしら見ていて欲しかったのだ。唯一の生き残りである僕の証言を欲していた。それを完膚なきまでに「見てません」と言い切られたら、ガッカリもするだろう。
ただ祖父母は例外で「見なくて良かった」と涙ぐんだし、正次さんも「そうか」と柔らかな笑みで僕の肩に手を乗せた。
こうして僕は悲劇の少年として、多くの大人たちから憐れみをもって接しられ、同世代の子供からは奇異の目で見られて孤立した。
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