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車椅子を押しているのは、大野ではなく、駆け寄った五十代半ばの男性職員で、名前を確か・・・
「すまなかった。私も感情を抑えられなくなってしまって。ええっと・・・」
富士の間に着くと、部屋に入りベッドに車椅子を横付けする。
「笹野です。川原さん、触りますね」
中肉中背の笹野に抱きしめられながらベッドへと横移動し座り終えると、今度は運動靴を脱がしてもらう。介護されながら、私はこの人ならと昔話をはじめる。
「目を瞑ると思い出す。お国のために散っていった仲間の顔、敵地の兵士の顔を今も鮮明に思い出せるよ」
互いに銃口を向けあって
表情を強ばらせて
鼻をつく火薬の臭いが消えない。手に伝わる振動も忘れることはない。敵国の兵士の彼にも、私のように待っていた家族がいたと思うと、毎夜毎夜後悔ばかり。
「川原さんのその戦記残しておきません?」
笹野は大野とか言う若者とは違い真剣な目付きで私を見ている。
「できるのかね」
*
その日を境に私は報道各局に掲載されている戦争体験に書き残していく。人差し指でカチカチと音を鳴らす。キーボードに震えている指が当たる。それでも、残しておかなければいけない。
それが戦後残された元兵士の役目だと私は思っている。
「川原さんの体験は戦争を知らない世代に伝わっていくと思います」
笹野は協力的で、私の声で残そうと次の日には銀色の機械を手に持ってきたほど。
「笹野さん、こんな老いぼれの話聞き飽きただろうに」
同年代のおじいさんやおばあさんに訊ねればもっと詳しく聞ける。けれど、頭がはっきりしているのは、私だけなんだと苦笑いを浮かべる笹野。
「怖がって、震えて話そうとしない人がほとんどですよ」
思い出したくない
もう二度とあんな思いをさせたくはない。
その気持ちは痛いほどわかる。
「私が、生きているうちは生き証人だね」
戦争の話をして、そうしてあの時の体験を語り継ぐ。
「川原さん?」
「私は生きている怪物だよ」
私はいつから、人間ではなくなったのだろう?
きっと、それを知る時はお迎えが来たときだ。
天国行きではないお迎えが来るのを今か今かと待っている。
おわり
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