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さっきまでふらついてたはずの花実は、ぴょんと玄関を上がると、
「さむーいっ。ストーブつけていい?」
言うが早いか、ガスストーブと炬燵のスイッチを入れ、カーテンを閉め、濡れたマフラーをハンガーに掛け始めた。
勝手知ったる他人の家である。
大希のアパートは大学から近く、サークル連中の溜まり場になることが多い。
もちろん花実も何度も来ているが、この時間に2人でいるのは初めてだった。
「大希さー、ほんとにドライヤー借りて平気?」
「なんだ今さら。いいって」
「あんがと」
そう言って花実は洗面所に消えると、ほどなくしてドライヤーの音が聞こえてきた。
何だか妙なことになった、と大希は思った。
腰を下ろし、とりあえずテレビをつける。
たまに見かけるアナウンサーが、無機質にニュース原稿を読み上げている映像が流れた。
普段なら眠気を誘うその音声を聞いても、大希の心はちっとも落ち着いてくれない。
天気予報は、もう終わってしまったようだった。
「うー、さむさむ」
素足の花実がぺたぺたと戻ってきた。
いつの間に冷蔵庫を物色したのか、缶チューハイを手にしている。
「だめ。おまえはこっち」
缶を取り上げペットボトルの水を渡すと、花実は不満そうに頬を膨らませた。そんな表情すら可愛いと思ってしまうのだから、自分も相当酔っていると大希は分析した。
2人で炬燵に入ったところで、今日何度めかの乾杯をした。幹事お疲れ!と花実は笑っていた。
「靴下乾いたん?」
「んー、あとちょっと。ブーツはもう諦めた」
ちびりと水を口に含んで、花実はもうスマホをいじっている。
いつも通りの姿に大希は安堵した。
この関係に白黒つけたいと思ったこともあったが、それ以上に変化が怖かった。
もし花実と気まずくなろうものなら、サークルでも卒論でも、残りの大学生活に大きな支障が出るだろうと大希は思っていた。
情けない話だが、それだけ大希と花実の関わりは深いのだ。
「あー、ダメっぽい」
炬燵に突っ伏すようにして、スマホを見ていた花実が言った。
「朝までずっとだって」
「雪?」
「うん。積もるのやだなあ」
「大変だな。帰りは転ぶなよ」
「え、こんな雪ん中帰れっての?オニ!悪魔!フンコロガシ!」
「あっおまえ今教授のことバカにしたな?言ってやろー」
「ちょ、大希だっていつも言ってるじゃん!」
主指導教授の研究対象という極めて内輪ネタで盛り上がる2人だったが、大希はどことなくぎこちなさを感じていた。
「教授の研究は誰が継ぐんかな。やっぱ博士の先輩?」
「いやー、修士の誰かかもよ。基本みんなめっちゃ詳しいし」
「花実はどうすんの?」
「んー、何も決めてない」
この状況に対する焦りか気まずさか、今まで感じたことのない緊張を覚える。
「大希は?」
「とりあえずこのまま院行くよ。今のメンバー、めっちゃ好きだし」
「…ん。あたしも好き」
心なしか、花実の声がどんどん小さくなっていく気がする。
先ほどからまったく目が合わない事実に、酔った頭が都合のいい解釈をし始めていた。
もし、同じように花実も大希のことを意識しているのなら。
「花実さ」
「ん、なに?」
そんな想像に背中を押されるように、大希の頭にワードが浮かんできた。
冗談っぽく言おうか、本音トーンで言おうか、決める前に言葉が口を出てしまっていた。
「ほんとに泊まってくか?」
発された言葉は、紛れもなく本音トーンのものだった。
大希は後悔した。
つい先ほど、変化は怖いと再認識したばかりだったのに。
この状況に気持ちが大きくなってしまったのか。
――あはは、冗談に決まってんじゃん!
――なあに、もしかして期待しちゃった?
そんな玉砕の言葉を予想していた大希にとって、返答は意外なものだった。
「大希が、嫌じゃなければ」
初めて花実と目が合った。
真面目な表情。花実の本音トーンを、判別できない大希ではなかった。
しばしの沈黙に、ガスストーブのごおおという音が部屋に満ちる。
「こんなタイミングであれなんだけどさ」
大希は腹を決めた。
「俺、彼女じゃない人を泊めたくないんだけど」
花実は表情を変えず、体ごと大希に向き合った。
「あたしも、彼氏じゃない人の家に泊まりたくない」
見事なカウンターパンチだと、大希は思った。
やはり花実には敵わない。観念した瞬間に、驚くほど自然に言葉が出てきた。
「俺と付き合ってください」
こくんと、花実が頷いた。
「よろしくお願いします」
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