1982年生まれの泣き虫カルミア

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今度こそ幕が下りるまで舞台に立って演じ切りたい。今度こそ主役をやりたい。音楽クラブで配られたばかりのカルミアの台本と楽譜はもうぼろぼろ。マーカーの線と書き込みだらけ。 私がカルミア役を勝ち取るためにお婆ちゃんはノリノリの総監督。ピアノの先生に歌のレッスンを頼み、英会話の先生に重要シーンの花のカルミアの綴りを教えてくれと頼み、レンタルビデオ店で沢山の映画を借りた。 「小公女セーラ」、「足長おじさん」、「赤毛のアン」、カルミアの役作りに使えそうな本も買って一緒に読んでくれる。台詞回しもお婆ちゃんと練習する。お婆ちゃんのベティ先生は、スパルタそのものでめっちゃ上手い。  でも何かが足りない。カルミアは親の事情で寮に預けられた。その苦しみが出せない。私には家族もタロもいる。お母さんがバリバリ働いてる淋しさはあるけど、いつもお婆ちゃんが私の側にいる。 お父さんがテレビの野球中継を諦め、仕方なく映画を一緒に観てくれる。 「芝居好きはお婆ちゃん似だな、三咲」 「うん、絶対カルミアになる」 そう返事をして映画をお婆ちゃんと二人で茶の間で食い入るように観る。お父さんはすぐ飽きて、リビングのオーディオの一番上にあるレコードプレーヤーにいつものレコードを載せて、針を落とす。 藤圭子の「圭子の夢は夜ひらく」は止めて、全然合わない。お父さんはいつもマイペースだから止められない。テレビから流れる名作アニメ映画と藤圭子が同時進行、もうめちゃくちゃ。 めちゃくちゃな中でカルミアは育った…騒音と人がいるのに悲しい。これだ!藤圭子とカルミアがシンクロした。なぜ大人になると暗くなるのか私にはわからない。でもカルミアの影は藤圭子、きっとそうだ。 アニメ映画のビデオを巻き戻して、カルミアの前奏の所に台本にはない台詞を入れる。 「カルミアの花は…どこ?」 入れる、歌の最初の音に。暗い夜から明るい朝に世界が変わる瞬間。 カルミアの綴りを書けるあの子は他に何が出来る?新しい先生のオットーさんの綴りを覚えたいはず。 「オットー先生?名前はどう綴るの?教えて。私は勉強がしたい!本を読みたい!それから花を咲かせたい、まぶしい朝に輝く花を。その花を花束にしてお仕事で大変なお父さんとお母さんにプレゼントするの。どんな色がいいかな?オットー先生はどんなお花が好き?」 そう、影の部分を隠して明るく振る舞うカルミアの半分は藤圭子。なんでカルミアは預けられた?なんで? 「あのね、先生。私のお父さんはアルペンの選手。手紙の写真を見て、スキーが写ってるでしょ?私に才能がないから嫌いになったんだ…。ソリで滑るときも一番上から滑れない、だって怖いんだもん。本当の私はとっても臆病。オリンピアンになれる別の子がいいからお父さんもお母さんも私を寮に入れた…」 台本にない私の想像の演技に藤圭子を鼻歌で歌っていたお父さんがフリーズ、お母さんは台所でお皿を取り落とした。お婆ちゃんは目を見開き顎に手を宛てて何かを考え込む。 台所からお母さんの声だけがする。 「三咲の運動神経が悪いのは私に似たのよ」 「三咲をオリンピアンにしたいは、冗談。冗談を本気にするな。父さんが悪かった」 お父さんはリビングで煙草を灰皿で揉み消して、遠い目をして続ける。 「俺の夢は俺の夢、三咲の夢は三咲の夢。俺がオリンピアンになれなかっただけさ」 お母さんが台所から追い討ちを掛ける。 「国体止まりの癖に三咲に余計なこと言うからこうなるのよ」 「国体止まりだと?この!」 お婆ちゃんがパーンと両手を叩き、 「カーット!OK!一時停戦!」 お父さんとお母さんの場外乱闘を止める。 「今、三咲はカルミアになった。お父さんもお母さんも演技だと思えなくて喧嘩を始めた。三咲、これでオーディションは行くよ。他の誰かじゃ絶対に出来ない三咲だけのカルミア」 「私だけの?」 「今の演技が一番カルミアらしくて良かった。当たって砕けてきなさい」 「当たっても砕けない。必ず主役をもぎ取ってくる」 私とお婆ちゃんはハイタッチをした。  お婆ちゃんの作戦は当たった。私は本当にカルミア役を勝ち取れた。音楽クラブの溝口真由子先生を私だけの演技の気迫で押した。6年生は去年大きな役をやったから優しくしてくれたけど、主役を張るはずだった5年生の当たりはキツかった。 「新入りの癖に生意気」 「音痴の大根」 溝口先生や6年生がいないところで、陰口を言う。何度も泣いた。それでも劇中歌の「立ち上がれ」の世界に入り込んだ。私は泣き虫のカルミア。意地悪な5年生がスパルタのベティ先生で、溝口先生や6年生が優しいオットー先生。5年生の意地悪さえ、カルミア辛さや苦しみを乗り越える演技に変えていく。  絶対に幕が下りるまで舞台に立ち続ける。 学習発表会が始まる。溝口先生がアドリブはダメと言った。でも、台詞が飛んであの日家族の前で演じたカルミアの台詞になる。先生は5年生に私がいじめられていたのを知ってた。5年生に何も言わないで欲しい、カルミアをやるなら必要なことだと私はまた泣いたっけ。 ラスト。次の劇で使う紙吹雪を誰かがタイミングを間違えて降らせた。オットー役の6年生が問い掛ける。 「カルミアは何になりたい?」 紙吹雪に驚いてクローチングスタイルで答える。 「お父さんみたいなスキーのオリンピアン!お母さんにはこの真っ白な雪の花束をあげて、お婆ちゃんにはあったかぁいコートを」 クローチングスタイルからパッと飛び上がって、見えない花束を抱えて、椅子に座ったお婆ちゃんにコートを着せる。全部パントマイム。 最後の歌は「大きな希望」。 明日を塗り替える、明るく幸せな色に。 最後まで体育館の後ろまで届くように歌って両手を広げる。私は泣き虫のカルミア、でももう泣かない、明るく楽しく笑って歌う。 幕が下りる。 「よっ名女優、ハァーッ檜山田ぁ、三咲!千両役者!」 お婆ちゃんの掛け声でやっぱり泣いちゃった。これは悔し泣きじゃない、嬉し泣き。 未来はきっと明るい。ピアノ生演奏の溝口先生の手には紙吹雪がたくさんついていた。あれ、先生?さっきはどこにいた? (了)
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