1982年生まれの泣き虫カルミア

1/3
5人が本棚に入れています
本棚に追加
/3ページ
―私は舞台にも、テレビにも出られない。ハリウッドにも行けない。でも、この小学校の体育館でカルミアをやりたい。ううん、違う…私はカルミアになる!―  小学校4年になるとクラブ活動が始まる。3年生ときに見た音楽クラブのミュージカル劇は『不思議の国のアリス』。アリス役の6年生が綺麗で見とれていた。バレエを踊る人もいて本物の劇団みたい。4年生になったら音楽クラブに入って劇をやる。2年生の学年の劇では村の女の子1で台詞はたったひとつ、「ありがとう」。今年の音楽クラブのミュージカル劇は溝口先生脚本の『カルミア』。私はカルミアになりたい。  村の女の子1は、雪道で転んで泣く役だった。転んだ村の女の子を村の悪童達がからかう、そこに正直者の矢平がやってきて助ける。矢平は沢山の人助けをして村の長になる。村の長になった大人の矢平は人助けのためとはいえ、田んぼや畑を荒らすタヌキやイノシシを殺したことを後悔して動物供養の塚を作る。村のみんなで動物供養の盆踊りをするラスト。 (村の女の子1はいなくても話進むじゃん?)  2年生の学年劇の主役の矢平は男子に取られた。見せ場がある悪童達も男子、真木聡子先生はオーディションをして私を落とした。私の方が上手くやれたのに。 「村の女の子1 檜山田三咲さん」 主役の矢平と悪童達の後に名前を呼ばれて納得がいかなかった。 「ハイ」 名前を呼ばれたら元気に手を上げてハイと返事をする。お父さんと幼稚園の頃から練習したからちゃんと出来た。でも…。 「私は矢平がやりたい」 私の方が上手いとは言わなかった。矢平に選ばれた小阪くんが可哀想だから。真木先生は少し困った顔で言う。 「檜山田さんは女の子でしょ?劇は浴衣だから可愛い浴衣が着られますよ」 可愛い浴衣より矢平の甚兵衛が着たい。小阪くんは悔しさを剥き出しにした私の顔を見て、手を上げて先生に言った。 「先生、僕が村の女の子1をやる。女の子を男の子にすれば僕でも出来るから」 負けた、小阪くんに。直感が伝えてくる。小阪くんの優しさは劇の矢平とそっくり。 「先生、矢平は親切な小阪くんしかいない。劇じゃないのに小阪くんがもう矢平になってる。村の女の子1、私がやる」 先生はゆっくりと何度も頷いて微笑む。 「そう、劇でどの役をやるかよりみんなで力を合わせて作り上げる、それが学年劇よ」 学年劇のオーディションは学級会のつまらない終わり方と似ていた。先生が満足する答えを探すだけ。 (なんか嘘臭いんだよなぁ、たまにだけど真木先生の話って)  とにかく村の女の子1を一生懸命に演じる。下駄に浴衣で雪道を走って転ぶと台本にはある。でも雪道は下駄じゃない、かんじきだ。  ペンギンのようにそろそろと歩いて、足を滑らせたつもりになって転ぶ。 「檜山田さん?な・に・し・て・る・の?」 真木先生は笑いながら怒ってる。 「かんじきでゆっくり歩いても転ぶのが雪。お婆ちゃんはかんじきで歩いても転んだ」 「かんじきを知ってるの?」 真木先生は驚いていた。 「知ってる!会津のお婆ちゃんが持ってる。小さいのを作ってくれた。雪が深いときはズボッズボッってこうやって歩くから、走れない」 私の歩き方を見て真木先生はついにキレた。 「この村の雪は1センチくらいしか積もりません。だから走れます。さあ、1センチは何ミリだったかな?ちょっと算数の復習」 「100ミリ?」 「違う、10ミリ」 私と小阪くんの答えがハモる。 「小阪くん檜山田さん正解。檜山田さん、さあ、走って。転んでありがとうの所」 ー村に雪は1センチくらいしか積もらないー ー女の子は走る、なぜ?なんで走るの?― 台本にはない女の子の気持ち。 ―うちの犬のタロが雪道を走ってるから嬉しくて追い掛ける― (タロ、待ってよ)  雪の日に跳ね回るタロと遊んだ日を思い出して走る。急にUターンしてタロがじゃれついて私は尻もちをついて転んだ。俺は悪くないもんとタロは雪の中を駆け回る。痛い、痛いよ。 「転んでる、やーいやーい!」 「すってんころりん、すってんころりん」 悪童達の台詞が入った。 うずくまる私に小阪くんは手を差し出す。 「大丈夫?」 タロと遊んだ雪の日を思い出して笑顔を作る。 「ありがとう」 掴んだ小阪くんの手がタロの前足みたいに見えた。勢いよく転んで本当にお尻と背中が痛い。 「走っちゃダメだよ、歩こうね」 小阪くんの台詞に小さく頷く。大きく頷くより小さく、でも見る人にわかるように。悪童にからかわれて女の子は恥ずかしいはずだから。 「凄い。檜山田さんの女の子1ハマり役」  真木先生は満足そうに手を叩いて、次のシーンの練習に移る。私は矢平の人助け物語の劇の練習をじっと見つめる。他の子の台詞も劇の内容も何度も練習するうちに全部覚えた。 村の女の子1が転ぶ所は、矢平が親切や人助けを始めるきっかけの場面だ。矢平も親切をするのに勇気が要る。助けられた女の子1も「ありがとう」とお礼を言うのに勇気が要る。  この「ありがとう」は大切な台詞だ。 先生に無理矢理仲直りさせられるような、本当はあっかんべーをしたいような「ありがとう」じゃダメ。悪童を気にせず喜び過ぎてもダメ。照れながらちょっと淋しそうに笑顔で言おう。  タロが死んだと思って。タロは村の畑を荒らしてじゃがいもを食べたから猟師に撃たれる。タロのお化けが遊びに来たのに、タロは天国に帰る時間が来る。待って、行かないでタロと追い掛けて私は転ぶ。動物供養の塚でタロも他の動物達と楽しく暮らしてる。動物供養の盆踊りでタロと私はまた再会する。 「これだ!」 玉ねぎを抜いた肉じゃがの残りを美味しそうにハフハフと食べているタロを見て、女の子と私が重なった。 「タロ、死なないで。畑のじゃがいもはダメ」 タロは食べ終わったご飯のお皿をペロペロ舐めて、突然抱きついてきた私に文句がありそうに吠える。 「ウォンウォン!ワンワンワン!」 (俺は普通に生きてるし、何やってんだお前?) タロを撫で回して、お散歩のリードを持ってくるとタロの機嫌が良くなった。  私がタロをお散歩に連れていくと、リードを引っ張られて最後は振り切られて逃げれる。お父さんとお母さんにはそういうことはしない。タロは私を舐めてる。スピッツと何かのミックスで「番犬」と書かれていたというタロ。柴犬より少し大きくて、真っ白で毛足は柴犬よりちょっとだけ長い。 タロはあの劇の悪童でもある。私をからかうし馬鹿にする。そうだ…タロ相手に劇の練習をしよう。嫌な予感がしたのか、いつもより早くタロはリードを強く引っ張って脱走した。    
/3ページ

最初のコメントを投稿しよう!