1982年生まれの泣き虫カルミア

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 学習発表会当日。私は黄色に黄緑の格子柄の浴衣に赤い帯をして下駄を履いていた。足の親指と人差し指の間には絆創膏。幕が上がる。  下駄で歩く昔の人の生活。靴を履いて歩く私には想像出来ないし上手く歩けない。だから、家に帰ってから毎日下駄を履いてお母さんの方のお婆ちゃんに歩き方を教えて貰った。一緒に住んでるお母さんの方のお婆ちゃんは、膝があまりよくないから長く下駄は履けない。その代わりに着物の草履で一緒に歩いてくれた。浴衣の袖や裾の捌き方も全部お婆ちゃんが教えてくれた。お婆ちゃんは自分で普通の着物が着られるし、パジャマじゃなく浴衣で寝る人だ。流石大正生まれ。 「三咲は舞台の華になるよ、きっと」 「台詞が一個でも?」 「台詞の数は関係ない。こんなに沢山練習したんだから。下駄の鼻緒が痛いのに毎日飽きもせず、よくやるねぇ」 「お母さんは転ぶフリなのにこんなに擦り傷だらけで怪我するのは馬鹿だって…」 「お母さんは心配してるの。馬鹿って台詞にも言い方がある。お腹を痛めて産んだ子が痛い思いをしたらお母さんは自分が代わってやりたいほど辛い。馬鹿、もう劇の自主練習なんか止めてって言いたいのよ。洟垂れ小僧が囃し立てる台詞の馬鹿とは訳が違う」 「そっか…。同じ台詞でも言い方で変わる…」 「台詞が無くても余韻を残すの」 「よいん?」 「後に残る気持ちかな。『ありがとう』の後に頷く。その後女の子は歩いて舞台袖に捌ける。どんな気持ちなんだろうね、女の子は」 「転んだ所を助けて貰えて嬉しいけど、悪童にからかわれて恥ずかしい。矢平が悪童を注意して、矢平と悪童達は仲良く遊んでる…。矢平にまたねって手を振りたいかな」 「それさ、袖をこう押さえて小さく手を振る。昔の女の子はおしとやかに袖が捲れないようにするの」 お婆ちゃんは浴衣の袖を押さえて小さく手を振る。後ろを振り返って小首をかしげて。同じようにやってみる。 「違う、それは大人の演歌歌手。首はほんのちょっとかしげて、手は高く上げずに胸元で小さく」 お婆ちゃんの動きをよく見てもう一度やる。何度も何度もやって体に動きを叩き込む。 「台本にないから真木先生に叱られるかも」 「叱られたらお婆ちゃんが先生に一緒に謝ってあげる。だからやってごらんよ」 お婆ちゃんの目は、ワクワクを押さえきれない悪戯好きのおてんば女子だった。 「やる!楽しそう!」 こうして、お婆ちゃんの秘策を胸に私は舞台袖に立った。袖から勢いよく走り出す。ここは雪道、尻もちをついてステーン。痛い、マジで今日のは痛い。気合いが入り過ぎて舞台の床板が鳴る程思いっきり転んでしまった。 矢平役の小阪くんの「大丈夫?」は台詞を通り越して真顔。痛くて声が出ない。手を取らなきゃ、矢平の手を。痛む頭と背中。痺れながら痛む腕で矢平が差し出す手を取ろうとする。悪童達の台詞が聞こえない。 まさか転びがガチで悪童達の台詞が飛んだ?話が繋がらなくなる、どうしよう。とにかく体を起こせ。必死で矢平の手を取り立ち上がる。涙がこぼれた。 「ありがとう…」 痛みを我慢するから絞り出す声になる。 「走っちゃダメだよ、歩ける?」 矢平の台詞まで違う、歩こうねで私は頷いてすぐ捌けて退場なのに。 「だいじだぁ、ありがとなし」 栃木のお母さんの方のお婆ちゃんと会津のお父さんのお婆ちゃんの口癖が勝手に出てきた。浴衣の前身ごろをパサパサと払って大丈夫ありがとうと伝える。小阪くんは私の目を見て頷き返す。目は話を元に戻せ何とかしろと言ってる。 「いっつも人を馬鹿にするあいつらも今日は静か。すってんころりんもやーい転んだの悪口もねぇ。ぜーんぶ矢平の親切のお陰だべ」 アドリブで地蔵のように固まった台詞が飛んだ悪童達を指差して、矢平に笑い掛ける。ここで話の筋が戻せるはず。 「みんなも本当は親切なんだよ、勇気がいるだけで。そうだよな?」 矢平役の小阪は悪童達を振り返って台本に戻してくれた。台本通り悪童達と矢平が遊び始める。私は歩いて袖に捌けて最後の最後で舞台中央を振り返る。浴衣の袖を押さえて小首をかしげて手を振る。その瞬間まばらな拍手が起きた。転んだときに擦った肘から血がダラダラと滴り落ちているとそこで気がついた。 舞台から捌けて袖の奥で声を殺して泣いた。痛い、転ぶフリでいいのに緊張で勢いが余りすぎた。保健の先生と真木先生が駆けつける。 「大丈夫?」 「だいじだぁ、さすけねぇ」 まだ村の女の子1のオリジナルが抜けない。大丈夫、面目ないと言ってるだけなのに。 「頭打ったのかしら」 真木先生が慌ててお父さんお母さんとお婆ちゃんを呼びに体育館の客席に行く。 「馬鹿、三咲の馬鹿…」 お母さんは泣きながら怒ってる。お父さんは笑ってグッドのポーズで親指を立ててくれた。お婆ちゃんが私の頭を撫でながら、 「三咲咲く舞台の華の村娘」 五七五の節をつけて詠む。真木先生はお婆ちゃんに向かって小さく拍手をした。まだ舞台は終わってないから大きな音は立てられない。私の耳元で先生は囁いた。 「頑張ったよ、花丸二重丸」 真木先生もちょっと泣いていた。最後の村の動物供養の盆踊りに戻らなきゃ。立ち上がろうとしても、背中と肘が痛くて座ったまま。 「最後のみんなの盆踊りに行かなきゃ」 パシンと、お母さんに頬を引っ張たかれた。 「本当に本当によくやったからもう止めて…」 お母さんは泣きながら私を抱き締めた。私はお母さんの胸に顔を押し付けて泣いた。まだ幕は下りてない、なるべく声を出さないように。最後の盆踊りに出られなかった。 悔しい、悲しい、舞台に戻りたい。 まだ村の女の子1でいたい。 それから保健室の先生がお父さんに病院へ行くように話して、私はお父さんの車で病院に行った。休日診療所の先生はダルそうな顔で言う。 「打ち身と擦り傷だから大丈夫です」 お父さんお母さんのほっとした顔と、病院の廊下で待っていたお婆ちゃんの掛け声は4年生になった今でも覚えている。 「よっ、千両役者三咲!」 お婆ちゃんの掛け声で、私はもう一度振り返って浴衣の袖を押さえて手を振るポーズを決めた。
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