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「ぶんちゃん、零れるよ」
藤枝の声で遠退き掛けた意識を引き戻し、グラスを持つ手に力を込めた。溶けて小さくなった氷が微かに音を立てる。
机に並んだつまみの数々は少しずつ藤枝の箸に崩されて、そのうちの決して少なくない量を栄川の口にも運び込んだ。
こんな風に彼の前で酔えるようになったのは、いつからだろうか。
机に肘をついて頭を支えながら、横並びにこちらを向いた藤枝を見る。同じくらい呑んでいるはずだが、これっぽっちも酔っ払っているようには見えないのが不思議だった。
「顔赤いね」
「…あかくない」
「赤いって」
咄嗟に否定すると「自分じゃ分からないでしょう」と笑って言い、その箇所を示すように指の背で頬を撫でる。とは言っても一気に距離を詰めることはしない。いつも必ず、触れ合う手前で動きを止めるのだ。いちいちお伺いを立てない代わりに、そうしてこちらに避ける間を与えているのだと分かる。
控えめ過ぎる程のそれが心地好いのは、純朴な触れ合いに慣れさせようとする彼の気遣いが栄川を甘やかすからだった。
「…ありがとう」
更に言えば、栄川が“甘やかされる自分”を受け入れ始めたことも大きい。
肘をついた方の小指で藤枝の指に触る。栄川にとってそれがどんなに心の準備を要することか、きっと藤枝以外には理解できない。
「っ…なにが、ありがとうなの?」
「…おいしいの、いっぱい」
1㎠ にも満たない接触が、ざわざわと身体中に熱を広げる。酔いに鈍った呂律が短く素直な言葉を後押しして、藤枝を堪らない気持ちにさせた。
逸る己の欲を抑えつけ、視線を交わらせながら顔を寄せていく。やっとの思いで触れ合った唇は冷たく濡れていたのに、深く口付けると熱い咥内に迎えられる。
「っ、ぁ……まだ…」
右手に辛うじて引っ掛かっていたグラスを取ると、合わさった唇が非難するようにもごもごと動いた。
藤枝は微かに眉を顰め、3分の1ほど残った琥珀色の液体を自分の喉に流し込んだ。肝心なところでこんなものに気を取られて貰っては困る。
「もうおしまい」
「あとちょっとだったのに」
「ダメ。もうちょっとも待てない」
「マテ」
「ムリ」
どこまでのワガママが許されるかなんて考える暇もなく、静止のために向けられた手のひらも握り込んで無かったことにしてしまう。
再び触れ合った唇は噛まれることもなく、いつのまにか背中に回った手がそうと分からない位の力でシャツを掴んでいる。都合良く解釈したって良いはずだ。
「聞き分けのないイヌだね」
「そんなところが可愛い?」
間を開けて、胸元に押し付けられてくぐもった声が「バカじゃないの」と呟いて、藤枝の良い耳には笑いを含んでいるように聞こえた。
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