1.噂の人

1/4
201人が本棚に入れています
本棚に追加
/114ページ

1.噂の人

「カシューン魔法師長、ついに結婚するらしいぜ」 「え! あの孤高の魔法使いが!?」  後ろの席で交わされるその会話を聞いて、僕は手に持っていたハーブティーのカップをガシャン! とソーサーの上に取り落とした。  ちょっとハーブティーが零れてしまったし、大きな音に店員の視線を感じたがそれどころではない。  さっきの噂話をしていた客の方へ耳を向け、再び意識を傾ける。  カシューン魔法師長、孤高の魔法使いとさまざまな呼び名があるその人は、この国、アクロッポリの王宮魔法研究局局長を務めている男だ。魔法研究局で働いているというだけでエリートだから、その局長となれば王都ではけっこう有名である。  この世界では、ほとんどの人が多かれ少なかれ魔力を持っている。  しかしながら実際に魔法を使うには、膨大な魔力と才能が必要という。魔力の多い子どもは国の特別機関へ招聘され教育を受け、その素質を試される。魔法を使えるようになる子どもはその中でもほんのひと握りらしいが、認められれば栄誉ある将来を約束されたも同然だ。  魔法 を使える人は本当にごく一部だからこそ、決まった呼び方はないけれど魔法使いとか魔法師とか、尊敬の念を込めて呼ばれている。  カシューン魔法師長は美しい容姿を持つものの寡黙で人と馴れ合わず、浮いた噂なんて聞いたことがないというのが王都民の認識だった。  聞こえてくる話によると、隣国ディルフィーの国王がアクロッポリへ親善訪問の際に娘を伴ってきており、その姫君がカシューン魔法師長を見て恋に落ちてしまったらしい。  娘に甘い父親は、アクロッポリの国王へと輿入れの打診をしているようだ。両国の力関係に大きな差はないが、隣国と婚姻による関係強化を図ることはこの国にとって大きなメリットに違いない。    必ずではないらしいけど、魔力の多さは遺伝する。カシューン魔法師長は20代後半だったはずだ。国一番の魔力を持つと言われる男に早く結婚させて、より優秀な子孫を多く残してほしいと、国王やその周囲が思っていることも想像に難くない。  つまり話を聞いた人はみんな、半強制的にふたりの婚姻が結ばれるのではないかと確信を持って信じているのだった。しかし、僕にとっては――にわかには信じがたい。
/114ページ

最初のコメントを投稿しよう!