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植野は不可思議
わたしのかわいいひとたち「マスター 植野」より
https://estar.jp/novels/26198624/viewer?page=4
続き
【植野は不可思議】
植野は不思議だ。
いつも店に来る女の子の話をニコニコしながら聞いている。男の子にも同様。
聞きながらお酒を作って、一言だけなにか言って終わる。
「ねえ、あれ、いつもなんて言ってるの?」
わたしは一度、聞いたことがあった。
「なんて言ってると思う?」
わたしは少しだけ鼻で笑って、ジンライムを飲む。
質問に質問で返す。
嫌いだなあ。
心地よい音が充満している植野の店は、立地のせいもあって色々なタイプの人間が来る。
激しく踊る人、ソファ席で溶けるように沈み込んで飲んでいる人、たまたま入った若い女の子の集団、サラリーマンや学生も。
少しだけ厄介な客もいて、ときどき店で小さなトラブルが起こる。でも植野は一定のトーンで対応し、常に優位に立つ。
小柄で雰囲気もやわらかいのに、対峙した途端相手が怯むのが分かる。
見た目はぜんぜん変わらないのになぁ。
なんか、動物っぽくていいな。
わたしは会社の他に、副業でリラクゼーションサロンに出ている。
週末の繁忙時だけ3時間入って、その後植野の店に来る。それが週末のルーティン。
ファンク、ブルース、ジャズ、その中でも比較的アッパーな音をかけてくれるので、植野の店はとても居心地がいい。
煙草の煙でうっすらぼやけるフロアでごちゃ混ぜで踊る人間を見るのが好きだし、その中に入って知らない誰かとその時だけ笑い合うのも大好きだ。
それよりもっと好きなのはカウンターで飲みながら、植野を観察すること。
いつものカウンター越しのやり取りを見て、お客との距離感を勉強している、そんな感じ。
うちのサロンのお客も、ときどき変なのが交じるから、上手くかわす方法をいつも探している。
あとは、セラピストは人気商売でもあるから、どうやったらお客から選ばれるのかを知りたいのだ。
植野の店でわたしは、よく遊びに来る客の中の一人で、その他大勢と変わりはない。
お酒を飲み、踊り、誰かと話して、帰る。
だから、植野がなんであんな事をしたのか、わたしはわからなくて、ずっと考えている。
不可思議
数の単位の最大は無量大数。
その一つ手前が『不可思議』
がんばれば数えられるのかな。
欲みたいなものが剥き出しになるような、こういう店は、人の嫌な部分もたくさん見える。
植野は、その中にいて、縦横無尽に立ち位置を変える。
だけど常に主導権を握っている。
なんて、不可思議。
わたしは植野がいったいどのくらい大きいのか、数えてみたいと思っているが、今のところその方法が思いつかないでいる。
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