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第10話 家族の食卓で
ペンタウェレと別れて家に戻ると、ちょうど、父と長兄が戻ってきていた。
食卓を囲んで、母の賑やかな声が聞こえている。ペンタウェレの帰還の話をしているらしい。
「ただいま」
「あっ、帰ってきた! ねえ、あの子、ちゃんとしたところで寝泊まり出来てた? 大丈夫よね」
母の心配そうな顔を見ると、さすがに、本当のことは言えなかった。
「船着き場のあたりで泊まってましたよ。帰還兵の人たちと一緒で、彼らの仕事も探してやるんだって言ってました」
ぎりぎり、嘘にならない程度に曖昧な情報だ。
「あらまあ、お友達がいたの? 連れて来てくれれば良かったのに」
(それが出来るような人たちじゃ、無さそうだったんだよな…)
チェティは、ちらとジェフティのほうを見やった。
その視線に気づいて、長兄は苦笑する。
「その様子だと、あいつは、相変わらず私の悪口を言っていたみたいだな」
「う、…」
「どうせ、私のいない間にこっそり戻ってきて、母さんとお前にだけ顔を見せたかったんだろ。」
(お見通し、か。)
相変わらず、一を聞けば十を理解する明晰さだ。だからこそ次兄は、この長兄のことが苦手――いや、”死ぬほど嫌”だったのだろう。
「それにしても、ペンタウェレが生きて戻ってくるとはな…。」
父は、しみじみとした様子で呟いた。
食卓の席につきながら、チェティは、父のほうを見やる。
(そういえば、父上は、どう思っているんだろう)
兵士になるのには、きっと反対だったはずだ。家を飛び出した息子が戻ってきたことについて、何か、思うところはあるのだろうか。
「就職の斡旋をしてほしいって話、聞きました?」
「ああ、母さんから聞いた。しかし――さて。どうしたもんかな」
何やら困り顔だ。
「よろしいのでは? 本人の希望です」
と、ジェフティ。
「書記学校の卒業試験は受けていませんし、今から受けてこいと言っても拒否するでしょう。それに、どうやら本人も体を動かす職が気に入っているようだ」
「ふむ、そうかもしれんな。ここであれこれ言って、また遠方に飛び出されでもするよりは、州兵をやらせておいたほうがマシか。分かった、明日、軍の統括に話をしてこよう」
(良かった)
ほっとして、チェティは皿に盛られたパンに手を延ばした。
相変わらず兵士をやることには反対のようだが、今さら言っても仕方がないと思っているのだろう。
「ところで、チェティ」
「はい」
「バラバラにされた遺体の件は、どうなった?」
チェティは、きょとんとした顔で兄を見つめた。
尋ねられた話がいきなり別の話題に変わっていることに気づくまで、数秒かかった。
「あー、えっと。そうか…今朝、呼び出されて運河をさらいにいったんでした」
「忘れて貰っちゃ困るよ。執政官殿じきじきに呼び出されたんだ。ことの顛末を聞かせておくれ」
ジェフティが笑っている。もちろん、ただの興味などではあるまい。
「普段、屠殺に使われている運河沿いの土手で解体されたことまでは確かですが、運河を攫っても、見つかったのはごく一部でした。残りは、魚か野犬にでも食べられてしまったのかもしれません」
「ふむ。身元は判らないんだね」
「はい。ただ、殺されたのは兵士だと思います。歯の擦り減り方が、軍人のように思えました。それと、上顎が外れていたので、おそらく頭を割られていますね。死因がそれなのかどうかまでは、判らないのですが」
「ずいぶんと手荒にやったものだ」
と、父。
「軍人同士の諍いにしても、なかなか、そこまではやらんだろう」
「ぼくも、そう思います。あと、神殿に持ち込まれたほうの腕に、剣の跡があったってカプタハが言っていましたよ。だから犯人は、剣を持っていたはずなんです。」
「剣…か」
ジェフティは、訝しむような顔になった。
「一般の兵士は、剣なんて持たない」
「はい。なので、身分か財産のある兵士だったんじゃないかと思います。売りに出されるか、鋳潰す依頼が出るかすれば足がつくと思いますが、川に捨てられてしまっていれば判らないかもしれませんね。」
「どうだろうな。いくら凶器でも、高価なものを敢えて捨てるかどうか。もしも犯人が帰還のための足代も与えられずに放り出された帰還兵なら、手持ちの財産は大事にしたいはずだ。――それで、執政官殿は、何と?」
「情報があれば、直接上げて来るように、って。それと、自分が動いている件は、”大神殿のほうにも漏らしておけ”――だそうです。」
すうっ、とジェフティの目が、細められる。
「なるほど…。」
「意味、分かりますか?」
「ああ。よく分かる。執政官殿は、この件は自分の管轄だから、大神殿の連中は手を出すな、と牽制しておられるんだよ。」
「……。」
怪訝そうな顔をしているチェティを見て、兄ではなく父のほうが、苦笑しながら付け加える。
「つまり、お前は”なかだち”の立場に使われたわけだ。お前がこの件に関われば、こうして、家の中の会話でジェフティが知ることになるだろう? 大神殿の筆頭書記に間接的に圧力をかけられるじゃないか。朝いちばんに、家族皆が揃っているところへわざわざ迎えを寄越したのも、そうやって気をかけさせるためだろうな」
「ええと――。なるほど、それは分かりましたが、大神殿は手を出すなって、具体的にどういうところになんでしょうか。」
まさか、牧草地の仕切りを越えて散らばっていた死体の処理を、全部まとめて州側で引き受けるため、などという話ではあるまい。
「おそらく、帰還兵が原因になっている治安の悪化についての件だろうね」
と、ジェフティ。
「治安を維持し、民衆の信頼を勝ち得るのは州軍でなければならない、ってことだよ。もし、大神殿の衛兵あたりがこの件を解決してしまったら、州軍の面目は丸つぶれだ。」
「はあ」
「メンフィス大神殿には神殿仕えの衛兵隊がいるが、今のところ、住民に評判が良いのは、州兵よりは神殿の衛兵たちのほうなんだ。うちの兵士たちは品行方正だからね。執政官殿は、前々からそれが気に入らないご様子だ」
「…あの方、体格いいですけど、やっぱり元は軍人なんですか?」
「ああ。若い頃は、クシュ総督の副官をされていた。つまり中央の官職にあった精鋭だよ」
「えっ?!」
チェティは、思わず声を出してしまった。
はるか南方の属領、クシュの総督と言えば、大抵は王と近親の王族が就く要職だ。その副官ともなれば、王家からそれなりの信頼を得て、腕を認められた優秀な人に違いない。
どおりで、自然と身分の高さを醸し出しているはずだ――だが、どうしてそんな人物が、古都とはいえ地方都市で、執政官などという地位に甘んじているのだろう?
「軍人は、引退されたんですか」
「どうだろうな。ここのところ王が何度も入れ替わっているから、そのあおりを受けて失職した可能性もある。あるいは、自分から辞任した、とかかもね。その辺の事情は私も詳しくは知らない。ただ、あの方の地元はこの辺りだそうだ。つまりは、里帰り再就職だね。」
「そう…なんですか。」
元が生え抜きの軍人なら、自分の管轄下にある州軍の兵たちが大神殿の兵より格下と思われるのが癪なのも分からなくはない。
しかも、ペンタウェレが再就職を希望しているのは、その州軍なのだ。
「治安と言えば、今日、さっそく州側に陳情が上がってきていたぞ」
父のセジェムが横から口を挟んだ。
「帰還兵だか脱走兵だかが納屋に勝手に入り込んだとか、飼っていた家畜を食ってしまったとか。中には、女性の部屋に侵入して旦那と揉み合いになって怪我をさせた、なんて話もあってな。この州でも、既にあちこちで問題が起きているようだ」
「大神殿のほうは衛兵の巡回を増やして対処していますが、敷地内での立ち小便や祠のお供えの窃盗未遂の報告が上がってきていますね。」
「そんなに?」
チェティは、驚いていた。
だが、同時に、ペンタウェレと一緒にいた、飢えて殺伐とした兵士たちのことを思い出すと、納得もできた。
ペンタウェレは、彼らを監視しながら、何の犯罪も侵させずにこの街まで戻って来たのだ。もし彼が一緒でなかったら、あの兵士たちも、この街に到着するまでのどこかで、同じようなことをしでかしていたに違いない。
「ただ、殺人までは、無いな。」
父が言い、ジェフティも頷く。
「遠征隊も、東の砦も、相当にひどい状況だったようですね。捕らえた帰還兵は栄養失調の者も多かった。最前線では、補給が滞って士気が下がっている中で戦いを強いられていた可能性があります」
「それでは負けて当然だ。指揮を取っていた者は判断を誤ったな。そのせいで、『ホルスの道』沿いの砦を失うとは」
「ぼくも疑問でした。人一人を解体するなんて、体力も気力も必要な作業のはずです。帰還兵に出来るんだろうか、って。」
「そうだな。もしかすると、犯人は――」
「はい。そこまでよ」
母が、両手に大皿を持って話に割り込んできた。
「死体とか殺人とか、そんな物騒な話は食卓では止めてちょうだい。聞いて愉快になれないですからね」
「ああ、ごめん、母さん。」
「それじゃあ夕食をいただくとしようか。メリト、こっちへ来て座りなさい」
「はーい」
父は、末娘には特に優しい。
母が煮込んだ豆を取り分けていく。
ビールの入った壺を持ったイウネトは、全員の器に中身を注ぎ分ける。
チェティのところまで来たところで、彼女は、そっと囁いた。
「あの、チェティさん。あとで、相談したいことがあるんだけど」
「うん?」
「わたしの兄のことで。…」
珍しく、イウネトは言い淀み、視線を彷徨わせるような素振りをした。
(何だろう。ここでは言いづらいことなのかな)
演技、というわけでも無そうだ。ビールを受け取りながら、彼は頷く。
「分かった。あとで」
「ありがとう」
慎ましやかに微笑んで、イウネトは、チェティの隣に腰を下ろした。
夕食が始まった。
いつもどおりの和やかな食卓の話題は、いつもどおりの世間話や父の仕事のこと。バラバラの死体も、殺人も、帰還兵たちによる犯罪も、表面上はきれいさっぱり忘れ去られて、平和な時間が過ぎていった。
夕食のあと、イウネトは、片付けもそこそこに裏口にチェティを連れていった。
「それで? 相談って」
「さっき、帰還兵の話をしてたわよね」
どうやら、父や兄との話を聞いていたらしい。
「わたしの義兄も、遠征隊に参加していて…」
「うん。戻ってくるって、手紙を寄越したんだっけ? ラーイブさん…きみのお父上が、そんな話をしてたな」
「戻ってきたら、ひと目くらいお会いしたいと思っていたんだけど、実家からは一向に連絡が来なくって。」
少女はそう言って、両手で服の上から膝のあたりを、ぎゅっと握った。
「…大丈夫なのか、心配で。手紙の様子がおかしかった、って言ってたし…。ほんとに、生きて戻ってくるのかって」
意外だった。彼女がそんなに、血の繋がらない兄のことを心配していたとは。
「優しくしてもらった、って言ってたけど、仲が良かった?」
「良くも悪くもないけど、その…わたし、家族の記憶がほとんど無くて。血の繋がった父も母も幼い頃に亡くなって、今の父はいつも仕事で。まともに話したことがあるのって、兄さまくらいなの。だから」
「……そうか」
それなら、血が繋がってはいなくても、その人は彼女にとって唯一の「肉親」なのだ。
「分かった、そういうことなら、ラーイブさんに連絡してみるよ。もしお兄さんが戻ってきていたら、一緒に会いにいこう」
「ほんと?! いいの?」
「うん」
「わあ! チェティさん、大好き!」
叫ぶなり、イウネトはいきなり、チェティの首に飛びついてきた。
「え、ちょ…え?」
「あー、こほん」
家の中から、父の咳払いが聞こえる。
「チェティ。許嫁と仲が良いのはいいことだが、近所迷惑にならん程度にな」
「いや、そういうんじゃないですから…!」
「お兄ちゃん、いちゃいちゃしてる。いいなぁ」
「メリト、違う! 見なくていい!」
「うふふ。若いっていいわね」
「母さんまで…!」
「……。」
ただ一人、兄だけは無言で、不思議そうな顔のまま、奥の居間のほうからこちらを見つめている。
(…あれ?)
抱きついていたイウネトの体を引き離しながら、チェティは、意外な反応に驚いてた。
そして、はっとした。
(もしかして…兄上…)
この眉目秀麗で何事につけても完璧な兄は、もしかして――男女の機微や恋愛感情という概念を、知らないのか?
それは、思いも寄らない発見だった。
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