第22話 執政官のたくらみ

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第22話 執政官のたくらみ

 その後の顛末は、ネフェルカプタハに聞いた。  ラーイブは正式に財産を大神殿へ寄進し、自らは引退生活に入ったそうだ。邸宅も売り払い、今はイウヌの市街地の片隅に家を借りている、という。  娘夫婦とは、本気で縁切りをするつもりで手続きを勧めているらしかった。ラタウィは、自分が相続すべき遺産を勝手に父親が処分したと怒り狂い、裁判所に異議申し立ての訴えを出しているらしいが、それが通る見込みは少ない。  彼女は何も相続できなかったわけではなく、別邸と、そこに付随する多少の家財道具などは受け継いだのだ。それ以上を望む権利は、存在しなかった。  「まあ、あの強欲な女には相応しい結末だろうよ。こっちも、受け取ったもんを返せって言われて突っぱねるだけだしな」 と、ネフェルカプタハ。  「引き取った家畜って、どのくらい?」  「黒毛の牛が五十頭ほど。それ以外が二十頭に、羊と山羊が百三十頭ずつだな。個人で飼ってる頭数としては、なかなかの数だろ。」  「うん」  「エムハトのやつは、いい牛が牧場に入ったって大喜びだ。まあ、次に聖牛選びをするのは、また五年は先だろうけどな」 そう言って、彼はちらと聖牛の(やしろ)のある方向を見やった。  「――ああ、ちなみにイウネトの結婚祝いのために取っておくつもりだったって分も、うちで預かってる。お前が結婚するときにちゃんと返してやるから、安心しろ」  「……。」  「おい、何だよその微妙な顔は。あの子との婚約は、解消しないつもりなんだろ?」  「いや、うん。だけど、イウネトが早く嫁ぎ先を決めなきゃならなかった原因は、もう解消されてるじゃないか。今なら、うちに住み込みなんてせずにラーイブさんと一緒に住んでも、いい気がするんだけど…。」  「あーあー。本人に言ったら、泣かれるやつだぞ。それ」 ネフェルカプタハは、呆れ顔だ。  「いや、言ってないよ。うちを気に入ってくれてるみたいだし、今までどおり住んでて貰って構わないんだ。ただ、ラーイブさんが一人で寂しくないかなって思っただけで」  「なら、たまに会いに行ってやればいいだろ。あの子はお前が気に入ってるんだよ。ありゃ、意地でもお前の側は離れないと思うぜ」  「…そう、かな」 自身には婚約者どころか恋人の一人もいないくせに、ネフェルカプタハは、こういう話には妙に自信たっぷりに断言するのだ。神の下僕たる神官として、日々、信者たちの悩み相談を聞き、人々の捧げる祈りに耳を傾けているから、なのだろうか。  「それじゃ、ぼくはこれから、執政官殿に最後に報告に行ってくるよ」  「おう。頑張ってこいよな」 ネフェルカプタハと別れ、チェティは、大神殿の外ヘと歩き出した。目的地は、役所の奥にある議会。そこに付随する書庫の奥にある、執政官の部屋だ。  執政官パイベスに報告に行くのも、これが最後になると思っていた。  牧草地で身元不明のバラバラ死体が見つかった事件は終わり、犯人も捕まって、謎は無くなった。今日は、ネフェルカプタハから聞いたその後の顛末も含めて、余すところなく報告が出来たはずだった。  パイベスは、前回と同じ書庫の脇の部屋にいた。  あっさりと面会を許可され、部屋に通されたチェティは、突き止めた真実を報告する。牢に収容されたセケムラーの取り調べは既に始まっているはずで、パイベスも、ほとんどのことは知っているはずだと思いながら。  「――と、いうことで、この一件の調査は完了致しました。では、私はこれで仕事に戻…」  「ふん、実に面白くない結果だな」  「えっ?」 報告を終えて、さっさと立ち去るつもりだったチェティは立ち止まり、不満げなパイベスの顔をおそるおそる、振り返った。  「ええと…何か、問題がありますでしょうか」  「その、セケムラーという男の実家の財産を、大神殿が受け取るという話だ。また、冥界神の下僕どもが肥えるのだろう? 気に入らんな」 チェティは、はっとした。  (…そうか。大神殿を嫌っているのは、州知事だけじゃないのか) 広大な神殿所領と財産を持つ大神殿の権力を、州知事が嫌っているのは昔からだった。  執政官ともなれば州知事が何をしているのかは把握している。かつての露骨な嫌がらせも、パイベスは、知っていて見逃していたのだ。  それに、三年前の事件いらい、表立って対立することは無くなっているが、決して関係が好転したわけではない。  ということは、パイベスは、大神殿との関係が硬直したままなのを、好ましくないこととは考えていないのだ。  男は、試すような目つきでチェティの顔を見やった。  「お前のもう一人の兄が、大神殿の筆頭書記をしていることは知っている。大神官の息子と友人だということも、大神官の口利きで婚約者を得たこともな」  「……。」  「なぜ、一介の役人ごときの私生活にそこまで詳しいのか、疑問だという顔だな? 調べさせたからだ。――私は、お前を”使える”と思っている。ただ、お前には忠誠心が感じられない。州役人の仕事よりも、どちらかといえば冥界神の下僕どものほうに肩入れしている」  「…お勤めは、問題なく果たせているはずです」  「並の役人ならば十分な働きだが、お前にとってはそうではないだろう」 チェティは、黙っていた。  執政官は一体、何を言わんとしているのだろう。少なくとも、自分に何かを期待されていることだけは分かる。ただ、それが、どういう意図なのかがよくわからない。  口を閉ざしたままのチェティを見て、パイベスは、ふんと鼻を鳴らした。  「『目上の者の前で余計な口を利くな、質問するな』――か。書記学校での教えを律義に守るのだな。どこまでも無難な態度を取るつもりか。」  「……。」  「ならば、お前自身の言葉で答えたくなることを教えてやろう。まもなく、下流の州からは土地を失った難民が川を上がってくるようになる。全て、この国(ケメト)の住民たちだ」  「えっ? でも、国境の砦は陥落していないと聞いていますが」 ようやくチェティが反応したので、男は、にやりとした。  「原因は、敵の侵入ではない。――遠征隊で雇われていた傭兵たち、街道の砦に居た守備隊の兵士たちは、丸腰のまま解放されたあと、どうなったと思う? 中には、帰るべき場所を持たぬ者や、帰還する手段を与えられていない異国人が多く居る。彼らは国境に近い、東の州に勝手に住み着き、元の住民から家や食物を奪ったのだ。」  「…治安の悪化だけじゃ、済まなかったってことですか」  「元が戦闘に慣れた兵士たちで、下流の州の州兵ごときでは太刀打ちできなかったようだな。兵士自体が難民になることは想定されていたが、元の住民が逃げ出すのは予想外だ。それで、各州は対応に追われている。難民の受け入れの打診は、少し前からこの第一州と周辺の州へも出されている。ただ、この州でも、それほど余っている農作地が多いわけではない。」  「大勢の農民を受け入れるとすると、農作地の拡大が必要になります。新しく開拓するしかありませんが、この州は大河の西岸で、背後はすぐ沙漠になっています」 チェティは、頭の中で担当している農作地の面積と、割り当てられている農民の数を計算していた。  「運河を延ばしても、せいぜい五十家族の受け入れが限度だと思います。あとは、漁労や畜産のほうに人を割り振るくらいしか…」  「では、大神殿の所領を計算に入れると、どうなる」  「えっ?」  「お前なら、大神殿の所領がどの程度なのか把握しているのではないか」  「……。」 正直に言えば、知っている。  兄に会いに行ったついでに、大神殿の書庫の巻物を勝手に見ることはあったし、誰もそれを咎めたりはしなかった。  それに、ネフェルカプタハと一緒に、実際に神殿所領の土地を見て回ることもあった。新年祭の少し前に関わった訴訟事件も、まさに神殿所領の耕作権に関わるものだった。  「…神殿所領でも、同程度の受け入れは可能でしょう。合わせれば、百家族ほどになるかと」  「では、神殿所領と、州の耕作地、難民はどちらを優先的に選ぶと思う」  「それは…。正直に申し上げれば、神殿所領の方でしょうね。税率が違います。それに、病気や怪我による免除制度もある。誰だって、税の取り立てがゆるい方を選びます」  「税率は本来、全ての州で共通だ。中央の決めることで、勝手に上げ下げは出来ない。神殿側が勝手に下げているだけなのだ」  「――分かっています。ですが、もう少し農民に寄り添う制度があったほうが良いかもしれません。例えば、鋤起こしに使う牛や道具を貸し出すとか。水路の維持管理のために各町や村が負担している労働力を軽減するとか…。神殿所領なら、それらが無料で貸し付けてもらえることになっています」  「そうだ、お前に期待しているのは、そういう部分なのだ。」  「う…。」 チェティは、思わず口をつぐんだ。  以前、父に言われたことを思い出したのだ。  「嫌われれば仕事を失い、気に入られれば仕事が増えすぎる」。  これは――おそらく、後者のほうか。  パイベスは、試すような眼差しで、座った姿勢からチェティの顔を覗き込む。  「実を言えば、お前のことは、三年前、ホルネケンを罷免する時から知っていた。大神殿の法廷で、奴を追い込んだ若造がいたという話を本人から聞いていたからな」 嵌められたと気づいて苦々しい顔をしているチェティとは裏腹に、パイベスは、妙に楽しそうな顔をしていた。  「この三年の間、お前は、役所の仕事を片手間でこなしながら、大神殿に持ち込まれる訴訟に関わっては、円満解決を手助けしてきたようだな? お陰で大神殿の評判は上がり、住民たちは、訴訟を持ち込むなら大神殿の法廷だと思うようになっている。だが私は、州の執政官として、州民の信頼は州政府にこそあるべきだと考えている」  「……。」  「そもそも、神殿は財と権力を持ち過ぎなのだ。東のイウヌの太陽神殿も、はるか下流の赤冠の女神の神殿や、上流の白冠の女神の神殿も、黒犬の神殿もだ。それらの神殿に祀られているのが王権の守護者たる神々だとしても、地上の土地は、全て地上の王たる陛下のものであるべきだ。神々に捧げられたものは、実際には現世に生きる神官どもを肥え太らせる栄養にしかなっていない。」  「執政官殿は…王陛下に忠誠を誓っておいでなのですね」 ここまで来たらもう、敢えて黙っている利点はほとんど無いような気がして、チェティは、思い切って口を開いた。  「それなのになぜ、中央での官職を得ず、故郷に戻られたのですか」  「つまらぬ質問だな。私は、に忠誠を誓ってはいるが、に対し忠誠を誓うわけではない」 それは、今の王には仕えたくないという、あけすけな意思表示でもあった。  「この世には、在るべき秩序(マアト)というものがある。それを実現なさしめることが、(まつりごと)を行う者たる義務だ」  「…なるほど。執政官殿の抱かれている大望は理解出来ました」  「では、お前にその手伝いを命じよう」  逃げられない。  断る理由も、思いつかない。  今になってようやくチェティは、執政官が、なぜ自分にこの一件の調査を命じたのかを理解していた。――チェティが、調べさせたとおりの人物なのかどうかを確かめるためだ。  一介の役人に過ぎないチェティには、はるか目上の人物の前にして、ただ、頭を垂れてこう答えるのが精一杯だった。  「全て仰せのままに」 と。  執政官の部屋を出ると、彼は、大きくため息をついて、頭を抱えながら木陰に座り込んだ。  そこへ、のんびりとした声が飛んでくる。  「おやおや、チェティ。何やら、深刻そうな顔をしているねえ」  「わ、父上?!」 顔を上げると、小脇に巻物の束を抱えた父が立っている。  「どうしてここに――」  「どうしても何も、ここは州議会だぞ。議会書記のわしが居るのは、当然じゃないか」 確かに、そうだった。  ということは、抱えている全て議会で話し合われたことのお覚書か、決済の降りた書類だろう。今日も、議会が開かれていたのだ。  「その様子だと、執政官殿に新しい仕事を申し付けられたな」  「…はい。色々と、やることが増えました」  「気に入られたか。まあ、お前ならそうなるだろうとは思っていたが。下流から難民が押し寄せる話も聞いたかな?」  「聞きました。押し付け…いえ、申し付けられた仕事は、彼らをできるだけ多く、この州に定着させることです」  「ははあ。人数が増えれば税収も上がる、執政官殿のお考えになりそうなことだ。なら、頑張りなさい。応援しているよ」  「失敗するとは、思っていないんですね…。」  「そりゃあそうだ、お前なら出来る。仕事の合間に首を突っ込んでいた訴訟よりは、ずっと簡単だろう?」  「……ううっ。」 今まで何も言わなかったくせに、そのことは、父も知っていたのだ。  家族にも大っぴらに言うことはなかったのに、流石はあの、察しの良すぎる兄、ジェフティを息子に持つだけのことはある。  「ああ、そういえば、さっきペンタウェレも同じような顔をしてここを出て言ったぞ。」  「…えっ?」  「あいつも何か、仕事を言いつけられたようだったな。あとで様子を見に行ってやるといい」 それだけ言って、父は抱えた書類とともに、建物の中へと消えていった。  ぽかんとしたまま、チェティは、書庫の入り口を見つめていた。  (――兄さんも、ここへ来てた? 新しい仕事、って…) チェティと違い、ペンタウェレは最近になって州兵として再就職したばかりで、パイベスにはまだ、目をつけられていないと思っていたのだが。  それに、彼は役人ではなく、街で巡回を行う衛兵の一人だ。  その兄が、一体何の仕事を言いつけられたのかは、気になった。  役所に戻って今日の分の仕事の片付けもそこそこに、チェティは、仕事中の兄がいるはずのメンフィスの市街地へと向かった。
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