第23話 兄と弟

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第23話 兄と弟

 特別な催しがあるわけでもない時期でも、州都メンフィスの街は活気に満ち溢れている。  ここは、川の下流の「下の国」と、上流の「上の国」を繋ぐ中間地点でもあるのだ。下流から来た船はたいてい、メンフィスの船着き場を経由する。  この街より下流は川の支流が幾つかに分岐するから、細い支流に繋がる街に行くには、小さめの川舟に積荷を載せ替える必要がある。逆に、上流へ向かう場合には、川の流れに逆らうことになるから、風を受けやすい大きな帆のある船が好まれる。  そんなわけで、船着き場のあたりはいつも、大小様々な船と、各地から持ち込まれた品や人の行き来で賑わっているのだった。  以前と同じように、大通りのあたりで巡回をしていた兵士にペンタウェレの持ち場を聞いてそこへ向かう。今日は、白い城壁の周囲を周っているという答えだった。  ペンタウェレは、すぐに見つかった。  大通りに近いあたりで、支給品の槍にもたれかかりながら何故か溜め息をついている。  「兄さん、何だか元気ないですね」  「おー、チェティか…。いやー、どうしたもんかと思ってなあ」 何やら、虚ろな目をして落ち込んでいる様子だ。  「執政官殿に、仕事を言いつけられたって聞きましたけど、そんな大変な内容だったんですか」   「うん。まあな。大変っつーか面倒っつーか…はあ」  「溜め息ばっかりですね」  「守備隊の副官をやってたことが、バレたんだよなあ」 彼は、ぼそぼそと小声で呟く。  「どこから漏れたんだか、くそっ。あの執政官、見た目以上にやり手だぜ。」  「帰還兵から聞いたんじゃないですか。前に船着き場で会った、ヘジェプさんみたいな」  「そうなんだろうけどさ。実戦経験のある指揮官は好都合だ、これから難民が来るから治安維持は任せる。とか言われてさあ。帰還兵の再就職の斡旋をしてたこともバレた。あーもう面倒くせえ…」 チェティは、思わず苦笑した。  「良いじゃないですか。正当な評価をされたってことだと思いますけど」  「のんびりしたかったんだよ、オレは。こう、だらだら街を見回って、たまにスリとか捕まえてりゃ仕事してることになる、みたいな」  「ぼくも、帳簿つけて計算してれば済む仕事で良かったんですけどね。あの方は、使えるものは限界まで使い込みたい、効率重視の人らしいですから」 そう、結局は、そこに行き着くのだ。  平凡な仕事だけ任されて終わるか、権限を与えて難しい仕事をさせるか。  上の立場の人の気まぐれ次第で、全てが決まる。  立場の上下は絶対で、秩序の担い手たちは、人の人生を容易く左右する。  ――本当は、チェティたちのような書記でさえ、その一握りの中にいる「特権」を持つ者たちの一人なのだが。  「で、一体、どういう役職になるんですか」  「わからん。それはまだ聞いてない。お前は?」  「ぼくも、良くわかりません。仕事が増えるなら、お給料は上げて欲しいところです」  「ちゃっかりしてんなあ…。ま、そんなもんか。役人なら、お給料が大事だよな」 槍にもたれかかって丸めていた背を伸ばし、ペンタウェレは、ため息をつくのを止めて大通りを見やった。  「ま、何でもいいさ。街を離れていられる時間が増えるなら、あいつに会わなくて済みそうだから」  「……。」 その言葉に、少しだけ引っかかりを覚えた。  ペンタウェレは、街に戻ってきてからまだ一度も、ジェフティに会っていないのだ。  (せっかく近くにいるのに…。)  もしかしたらこのまま、言葉もかわさずにまたいなくなってしまうのではないか。そう思うと、不安になってくる。  「兄さん、せめてジェフティ兄上とは挨拶くらいしたほうがいいですよ。気が乗らないのはわかるけど、家族なんだし」  「あー、まあ、検討はしておくよ。」 それだけ言って、ペンタウェレは、ぶらぶらと見回りに戻っていってしまった。  諦めて、チェティもその場を離れた。彼のほうから自発的に動いてもらうというのは、今のところ、望み薄のようだった。  実家に戻ると、居間の方から話し声が聞こえて来る。  (あれ? この声…) 長兄の、ジェフティの声だ。イウネトと何か、話しているらしい。  「ただいま。兄上、どうしてこんな時間に家に?」  「あっ、チェティさん!」  「おやチェティ。今日は非番だから、あらためて彼女と親交を深めておこうと思ってね」 兄は、笑顔を弟に向ける。  「それはそうと、さっき、ペンタウェレと一緒にいなかったかい」  「――え?」  「街に買い物に出た時、大通りのあたりで見かけたんだよ。巡回の兵士をやってるんだろう?」 意外な言葉だった。  いや、もちろん、ばったり出くわすこと自体は意外でも何でもない。大きな街とはいえ、同じ街で仕事をしているのだ。ただ、気づいていて、声もかけずにすれ違っていたのが意外だった。  「見かけたなら、声をかければよかったのに」  「向こうが避けてるのに、わざわざ会いにいくのも野暮ってもんじゃないか。」 そんなことを言って、ジェフティは唇の端を釣り上げた。  「どうせあいつ、昔のことをまだ恨みに思ってるんだろ」  「恨み、って…。そんな感情は、もう無いみたいでしたよ。ただ、”根本的に合わない”とは言ってましたけど」  「ははは、ペンタウェレが言いそうなことだな。ま、私も、あいつに合わせてやるのは何かと疲れる。」 どうやら、十年近く経っても二人の間の溝は、そう簡単に埋まるものではないらしい。  それに、もうひとつ意外だったが、ペンタウェレがジェフティを苦手だと思っているように、ジェフティのほうも、ペンタウェレとの関係を積極的に修復する気は無いらしい。  (なんだか、面倒くさいな…。) 二人はチェティなどよりずっと大人のはずなのに、つまらないところで妙に子供っぽいところがあるのだ。  無理やりにでも顔を合わせて話をさせたい衝動に駆られるが、まず、二人が大人しく顔を突き合わせて話をしているところが思い浮かばない。ただ二人を呼んだだけでは、ペンタウェレが席を蹴ってさっさと立ち去っていく、昔見た光景が再現されるだけだろう。  「さて。お前も戻ってきたことだし、私は退散しよう。それじゃあ、イウネト。また機会があればね」  「はい」 イウネトは軽く頭を下げて、どこかへ出かけてゆくジェフティを見送った。  そのあと、ふうっと息を吐いて、胸をなでおろす。  「ああ、すっごく緊張した…。なんだか先生に尋問されてるみたいで、全然、雑談って感じじゃなかった」  「あはは、兄上は真面目な人だから」  「真面目っていうか、ぜんぶ仕事口調なんですもん。頭は良い方ですけど、あの方のお嫁さんになる人は、大変でしょうね」 言いながら、ちらとチェティのほうを見やる。  「…やっぱり、チェティさんくらいが、丁度いいかな」  「え、何? ぼくのほうが兄上より頭悪いって?」  「あ! そういう意味じゃなくって!」 少女は、慌てた様子で手を振って誤魔化そうとしている。  もちろん、チェティも馬鹿にされたとは思ってない。誰も、頭の良さではジェフティには勝てないのだ。そんなことは自分だって承知している。  「それで? 兄上とは、何を話してたの」 チェティが椅子に腰を下ろすと、イウネトは、はっとして真面目な顔に戻った。  「あの、…セケムラー兄さまのこと。州の牢にいるので取り調べのことはご存知ないみたいだったけど、刑罰や手続きは、きっと一緒だろう、って。」  「ああ…。その件か」 判決が出たとは、まだ聞いていない。  だが、上官の命令とはいえ従軍書記としての職務を不誠実にこなし、挙げ句に脱走し、上官まで殺害した――となれば、極刑は免れない。  良くて流刑。或いは、最果ての採石場や鉱山で、死ぬまで強制労働だろう。  「助けることは、出来ない…ですよね」  「そうだね。人を殺していなかったとしても、帳簿や報告を誤魔化していた件だけで重罪だ」  「……。」  「だけど、罪悪感に苛まされたまま西の国へ旅立つよりは、ずっといい。罪を認めて、自分の口で告白したんだ。冥界の神々だって少しは情けをかけてくれるはずさ。――そう思いたい」 頷いて、イウネトはチェティの隣にそっと腰を下ろした。  「ちょっとだけ、肩を借りてもいい?」  「うん、いいよ」  「ありがと」 肩に見をもたせかけ、少女は、声を押し殺して涙の粒を落とした。  震えている体の感触が伝わってくる。チェティは、黙ったまま、イウネトの気が済むまで身を任せていた。  彼女にとって唯一、気の許せる大人の男性だった義兄は、もういないのだ。これからは、自分がその代わりを務めなければ。 * * * * * * * *  勤務時間は、そろそろ終わりだ。夕方以降は、夜当番が見回りに当たる。  (あー、やれやれ。今日も終わりか…。) ペンタウェレは、仲間たちとは別にメンフィスの街から引き上げようとしていた。  執政官に言いつけられた新しい仕事のせいで、仲間たちは妙によそよそしい。というより、新入りに対する砕けた態度が急にかしこまってしまって、彼としては逆に、居心地が悪いのだ。  出来れば一兵卒のままで気楽に過ごしたかったのだが、そうもいかないらしい。  (父さんの紹介で就職した手前、嫌だから止めますっつーのも無理だろうし…。これから、どうすっかなあ…。) 考えながら歩いていた彼は、見覚えのある誰かとすれ違っても、ろくに顔も見ていなかった。  気づいたのは、しばらく歩いてからのことだった。  「…ん? 今の…」 慌てて振り返ると、すれ違った場所にジェフティが足を止め、苦笑いを浮かべている。  「本当にもう、私のことは、どうでも良くなったみたいだな。」  「あっ、な、な…何…」 周囲を見回して、仲間たちや顔見知りが誰もいないことを確かめてから、ペンタウェレは、凄みのある表情を浮かべた。  「おい、てめぇ。待ち伏せとは何のつもりだ」  「別に、そんなつもりはないけどね。今日は非番で、たまたま街の周囲を散歩していただけだよ」  「嘘つけ。お前がそんな、無駄なことするわけがねぇ。どうせチェティに聞いて、巡回兵の役割分担と時間割から、オレがここを通る頃合いを見計らっていやがったんだろうが。」  「――なんだ。分かってるんじゃないか」  「うわっ、否定もしやがらねえ…。む・か・つ・く! 相ッ変わらずお前、そういうところがクッソむかつく!」  「まあ、細かいことはいいじゃないか。久しぶりにお前の顔を見ておきたかったんだよ。元気そうで何よりだ」 向けられる敵意もやんわりと躱しながら、彼は、にっこりと微笑んだ。  「お前が家にちっとも寄り付かないから、伝言を伝えに来てやったんだよ。先日、ヘジェプという帰還兵の方とお会いしてね。私の顔を見て、お前の身内なのかとすぐに気づいたようだった」  「う…」 ペンタウェレの顔色が変わるのを見て、彼は、愉快そうな表情を浮かべた。  「何でも、お前にはずいぶんと世話になったそうだ。イウヌの北の村に戻っているから、困ったことがあったら、いつでも尋ねてきてくれ、だそうだよ。流石だね、街道の砦の守りを任されて、部下にも慕われるいい上官だったようだ」  「うっせ、褒める気もないくせに。あんだけ兵士になることに反対して馬鹿にしておきながら」  「そうだね。敗走軍の指揮官なんて経歴は勿体ない。お前なら、もっと良い役職に就けるだろう」  「――ちっ」 舌打ちして、ペンタウェレはくるりと背を向けた。  「やっぱ、お前とは合わん。二度と話しかけてくんな」  「何だい、十年ぶりの再会だっていうのに、もう行ってしまうのか? 私は別に、お前を否定するつもりは、ないんだけどね」  「知るか!」 腹を立てたまま、肩を怒らせて、のしのしと去ってゆく弟の後ろ姿を見送りながら、ジェフティは、小さく首を振った。  「チェティの顔を立てるつもりで話しに来てみたけど、やっぱり、無理そうだなあ…。」 だが、少なくともペンタウェレは、体に不具合を抱えることもなく、五体満足で生きている。  生存率の低い激戦からの帰還者としては、奇跡的なことだ。  それが分かっただけでも、良しとしよう。  ――本当は、羨ましいと思っていた。  家に訪ねてきた、かつての部下だという青年は、ペンタウェレがどれだけ自分たちのことを考えて行動してくれていたか、上官と喧嘩をしてでも平の兵士たちの生存率を上げようと骨を折ってくれたのだと、必死に訴えていた。  そして、なんとしてでも彼の恩に報いたい、どうか自分の代わりによろしく頼むと、頭まで下げていったのだ。  (私には、そんな風に想ってくれる人はいない。お前はチェティと同じで、知恵の使い方をよく知っている人間だよ。――ペンタウェレ) 街へ戻りながら、ジェフティは、言えなかった言葉を心の中で呟いた。  いつだって、そうだった。  口を開けば最初に出てくるのは嫌味のようなものばかりで、人を褒める言葉が、素直に出てこなかった。  そうやって人に恐れられ、同僚にも苦手意識を持たれて、今となっては家族以外に、親しく話の出来る友達すら居ない。  だが、誰にもそんな弱音を吐いたことはない。  つまらない愚痴だし、言ったところでどうなるものでもないと諦めていたからだ。  優秀であるがゆえに孤独な青年にとって、誰かのために必死で走り周ることを厭わず、感謝と信頼を得られる弟たちは、自分よりも遥かに眩しい、手の届かない存在なのだった。                                 ―了
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