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少女が祖母に逢いに行くと決めたのは、咀嚼するのが随分と困難になってしまったパイに歯の弱かった祖母の不在を想起して涙ぐみ、それでも声が出ない様、必死に堪えていた時の事。その様子を横で見た母親が吐き出した言葉による。
何をいつまでも泣いているの?
その言葉がが始まりであり、理由の全てだった。何故祖母の死を悼んではいけないのか?何故母親は祖母の死を悲しまず、あまつさえ泣いている少女を責めるのか。そのような歪んだ表情で、そのような歪んだ声で、そのような歪んだ言葉で。家族の死を悲しむのは当然じゃないか。家族の死を諦められないのは自然じゃないか。何を不思議な事があるのか。何を疑問に思う事があるのか。何を言っているのか。大好きな人がいなくなったのだ。会えないのだ。会いたいのに、いないのだ。いないじゃないか。祖母はいなくなった。祖母に会えない。祖母がいない。寂しい。寂しいじゃないか。当たり前じゃないか。
何でこいつは泣いてないんだ?
少女は身を捩り、ついには嗚咽を漏らし始める。寂しい、寂しいと肉体を失った祖母を呼ぶ。そんな少女に苛立つ母親は尚も厳しい言葉を重ねていく。
もういい加減泣くのを止しなさい。
寂しい、寂しいよう。
泣いたって戻ってきやしない。
悲しい、悲しい。
みっともないから泣くんじゃない。
苦しい、苦しい。
本当、この子は如何しちゃったのかしら。
辛いよぅ、おばあちゃん。
おばあちゃんは、もういないんだよ。
おばあちゃん、たすけて…
まるで会話にならない言葉の投げ合いを三十分程続けた後、祖母の部屋に逃げ込み布団を被る。長い長い慟哭の後、祖母の匂いに慰められ、泣き止んだ少女が母親に対して抱いたのは諦念だった。感情は更に変質し、少女にとって母親は風景以下の存在に成り果てた。喋らなければいい。何も言わずに、発条の赴くまま動いてさえいれば十分に美しいのに。何故喋るのだろう。言葉を話すから気持ち悪いのだ。母親は人形なのだからそのまま黙っていればいいのに。喋るから異様なのだ。動くから奇妙なのだ。人形が、人形同士で、少女の理解出来ない言語で会話する。自分で完結している癖にコミュニケーションを装う。通じないのに、伝わらないのに、一方通行なのに口を閉じない。気味が悪い。少女はぶるりと身体を震わせる。怖気が走ったのか、嫌気が差したのか、それは既に少女にとって同じ場所に置かれた感情である。とにもかくにも祖母の喪失は、人形達にミートパイをたくさん咀嚼して食べられるという獲得を齎したという事。入れ歯だった祖母に食べ物を合わせないでよい。噛みごたえのあるものが食べられる。ようやく。やっと。期待という程に積極的な感情ではないものの、暫くの間、少女と人形達の食卓に堅い食べ物が並べらない事はなかった。弱い人間が居なくなった。人形達が嬉しそうに咀嚼筋を活躍させている様が、また少しずつ少女を傷つけた。
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