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第1話 銀の雀
遠くで鳶が鳴いていた。
昇降口の庇の下を抜けてふと空を仰ぐと、もう日が暮れ始めていた。時刻はまだ午後四時を過ぎたばかりというのに、夕陽から溢れ出す山吹色に空も雲も染め上げられている。
随分日が短くなってきたなぁとしみじみ感じながら、そういえばもう来週には冬至が控えていることに気づく。二学期に入ってすぐの九月初旬に保健室登校を始めてから、日付の感覚が日に日に乏しくなっているような気がする。
校舎から放課を知らせる音楽がゆったりと流れてくる。
もうそろそろ各教室での帰りの学活が終わり、程なくしてこの昇降口の辺り一帯は中学生の人集りで犇き合うことになる。ただでさえ人混みが苦手な上に同級生と鉢合わせでもしたら気まずいというのも相俟って、普段は時間帯をずらして下校するように心がけているのだけれど、今日は少し遅くなってしまった。
六時間目は自習のノルマを早めに達成したので読書に耽っていたら、時間が水のように流れていってしまっていて、終業のチャイムがにも気づかずに養護の先生に声をかけられてようやく現実に戻ってきた時には、既にいつもの下校時刻を回っていた。
久々に耳にする音楽を背に、足早に帰路に着く。昇降口からは正門へ幅の広い一本道が伸びているけれど、一人そそくさと帰るのが校舎から丸見えになり落ち着かないので、脇にある小径へ逸れる。閑散とした松の林を少し歩くと、ひっそりと構えた裏門が見えてきた。
裏門の標として佇む石碑を曲がり、無事に学校の敷地外へ出ると、安堵とともに一日の疲労が込み上げてきた。とりあえず一息ついて、歩みを少し緩める。
住宅街の入り組んだ道を進み、お寺の裏側の車も通れないような狭い道を築地塀に沿って歩くと、ようやく車の通れるような広めの通りに出た。
通りにはちょうど下校中の小学生がちらほら見受けられる。不審者対策か何かで集団下校が義務付けられているからかもしれないが、誰もが誰かと一緒に歩いていて、ひとりぼっちの自分が一際浮いて感じた。
思えば、自分も小学生の頃はこうして誰かと帰っていた気がする。その誰かをすぐに想像できるほど取り立てて懇意にしていた人はいなかったけれど、今よりかは幾分他人との関わりもあったように思う。
まだ小学校を卒業して二年も経っていないのに、随分昔のことのような気がする。元来あまり人付き合いが得意な性分ではなかったけれど、中学校に入ってから他人と関わるのが一段と辛くなった。小学校の頃にはあまり感じなかったグループ作りとかスクールカーストのような煩雑な人間関係が急に常識になって、自らの生存を賭けた戦場のような学校生活が堪らなく苦痛だった。自分を誇示して少しでも上の立場や安全な居場所を確保しなければ生き残れない世界で、自己顕示や自己主張が苦手なことは致命的だった。
中学一年生の秋くらいから徐々に登校頻度が減り始めて、二年生に進級してからは殆ど不登校の状態になってしまった。最近ようやく保健室登校という形で学校に復帰できたけれど、こうして自分より年下の子達がきちんと学校に行ってちゃんと人付き合いしているのを目の当たりにすると、自分だけがそういうことをできていない気がして途轍も無い焦燥感と劣等感に苛まれる。
やっぱりそれがどうしようもなく堪えた。元々一人で気楽にしているのは好きなので、正直孤独の寂しさとかは取るに足らないことなのだけれど、漠然とした情けなさや自己嫌悪に陥るのには今でも慣れない辛さがある。
それでも毎日人の顔色を伺いながら人付き合いするよりはずっとマシな気がするけれど…。
これはよくない。気づけばすぐに陰鬱な物思いに耽ってしまう悪い癖が出てしまった。
結構な悲愴感を醸し出した表情をしていたのか、道ゆく小学生が普通に引いていた。すれ違い様に僕を見る目が不審者に向けるそれで、ちょっとショックだった。集団下校はこういう時のためにあるのかと言わんばかりの目線を向ける子どもたちに、そんなことないよと訂正してもよかったけれど、それをしたらそれこそ本物の不審者になるのでやめておいた。
大通りを逸れて再び閑散とした住宅街を進むと、さらに人影のない畑や果樹園の目立つ地帯に差し掛かった。開けて見晴らしがよくなっているので、遥か向こうの空の端に日の沈もうとしている様子までよく見える。影になって黒ずんだ雲の隙間から光が溢れ出す様子は、ただただ綺麗だった。
別に一面田園地帯の大パノラマというわけでもないし、人目を引く壮麗な建築物があるわけでもないけれど、この田舎町の風景はとてもお気に入りだった。大自然に包まれているとまではいえないものの四方には山々が控え、田畑や公園のような人の生活と自然の共存の賜物ともいえるようなものが彼方此方に見られる、心地いい風景。電線や鉄塔、駅や踏切といった、地味だけどだからこそ親しみが持てるというか、素朴でなんだか落ち着くノスタルジックな風景。
やっぱり難しいこと考えるよりもこうしてぼーっと景色を眺めている方がいいなぁとしみじみ感じていると、その景色の奥で何かが煌めいた。
それは宙を舞っていて、陽の光を反射して瞬いている。
眩しさに目を窄めながらよく凝らせてみると、その物体は何やら羽ばたくような動作をしていることがわかった。どうやらそれは鳥らしく、そしてなぜかこちらへ真っ直ぐ向かって飛んできているようだった。
思わず怯んで一歩後退りすると、煌めく鳥は近づくにつれて緩やかに減速し、数メートル手前でホバリングというのか空中で羽ばたきながら停止した。
よく見るとそれは小さな雀だった。
但し、世にも珍しい銀の雀だった。
頭も羽も尾も、その体の大半は輝かしい銀色の光沢を帯びている。
その銀の雀は何かを確かめるようにじっとこちらを観察した後、静かに手前の地面へ舞い降りた。そして羽を閉じると、驚いたことに恭しくお辞儀をしてみせた。
それは鳥の動作としてはあまりに異様なもので、その目を疑うような光景を目の前に僕は少しの間ただ茫然と立ち尽くしていた。
何が何だか理解が追いつかなかったけれど、とりあえずお辞儀をされたのでこちらもぺこりと返礼してみる。
すると、銀の雀は片方の羽をすっと上げたかと思うと、こちら側から自らの体の側へ羽で煽ぐような仕草をした。それはまるで手招きのような、この場合は羽招きというべきかもしれないけれど、とにかく招くような素振りに見えた。
呆気に取られている僕を余所に、銀の雀は再び羽を広げて舞い上がり、今度はさっき飛んできた方向へ戻るように飛んでいった。しかしその速度は先ほどより随分ゆっくりで、しかも頻りにこちらを振り返りながら飛んでいる。
どうやら「ついてきて」という意味合いのジェスチャーようだ。
しかし、普通ならこんなに奇々怪々とした生き物が突如自分の前にやってきて、挨拶された後についてくるよう促されて、「よし行くか」といはならないだろう。
けれど、僕は自分でも驚くほど自然に足を踏み出していた。
こんなにわくわくするような心地になるのは久しぶりだった。何か、不思議な物語が始まる気がした。
この現実世界から抜け出して、不思議な世界へ行けるような予感と期待が、何の根拠もないけれど何の疑念もなく込み上げてきた。
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