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休息を命じたのにも関わらずこの男は、という様にアレスは少し呆れた表情をした。岩場に座り、気怠げにに湖を眺めている様は黄金で縁取られた絵画のように美しい。歩き続けて乱れているはずの漆黒の黒髪はベタついた様子もなく、サラサラと風に靡いている。
いつの間にか洗浄魔法をご自身にかけられたのだろうか。
「休めと言っただろう?まったく。」
言葉とは裏腹に、アレスは己の従者が取る言動をわかっていたようである。勿論、あのままイオが勝手に寝ていようがアレスは何も言わずにそのまま休ませていたということもイオは承知の上であった。イオは1人先に休むよりも、主人に奉仕し、心地良くなってもらう方が身体も心も平穏になるのだ。
「来たければ此方に来なさい。」
「恐れ入ります。」
イオはアレスの背後に回り込み、アレスが脱衣した服を受け取り丁寧に折り畳んで、代わりに湯着を手渡した。
岩場から数メートル離れたところで、小さな滝のように水が湧き出ている場所があり、他より水の透き通っていた。数10センチの岩や数センチの石に囲まれているようで湯浴みに適した場所だとアレスは思い至ったようである。荷物を纏め、イオもその後ろを追った。
イオは荷物を近くに下ろし、しゃがんで透き通った水に指先で触れる。夜明けから時間が幾分か経過したとはいえ、湖の温度は水浴をするには冷たい。イオは湖に火魔法を注ぎ込んだ。アレスはその間に足首まで湖につけ、くつろいでいるようである。イオは火魔法を使いながら、終始機嫌が良かった。
「湯加減は如何でございますか?」
「十分だ。ありがとう。」
敬愛する主人からのお褒めの言葉に喜びが吹きこぼれるようで、イオの表情が綻ぶ。
「滅相もございません。これしきのことであらばいくらでも。」
従者としての言葉ではなく、イオの本心の言葉である。先ほど使った火魔法だけでなく、様々な魔法をアレスがイオに教え込んだ。
基本的に、この大陸で生活する人々は差こそあれ、全員が物を空中に浮かべたりするような基本的な魔法は扱うことができる。しかし、ほとんどの人々が、実際手を使ってできる範囲の魔法しか扱えないのも事実である。
イオは、アレスと出会ってから彼に師事し、数々の魔法を修得した。それらをアレスのために使う瞬間が何にも変え難く、最も幸せだと感じている。
尤も、魔法修得の過程は耐え難いものであった。だがそれよりも、主人と共に行動し、同じ景色を眺め、主人の最後の目的達成の助力となりたいとの思い一心でここまでやってきたのであった。
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