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静か
「ご主人様、どうしても、行かれる、おつもりですか。」
幽邃の地、仄かな月明かりの下で、木々の囁きと土を踏む雑音の中に、震えた声放たれる。サァという木の葉同士の掠れる音が暗闇の中で、2人を包む。
しかし、唯一の弟子であり、唯一の従者からの問いに彼の主からの返答はない。この主をどうにか説得し、引き留めようと、身体の前で握る手に力が入った。
「恐れながら、申し上げます。魔力、適正、知識、策略、全ての能力において、何万の敵が束になろうと貴方様の足元には及びません、ですが——-」
右前方を歩くアレスの速度がふと遅くなり、イオは、ビクッと身体が強張り、次の言葉が遮られた。月明かりの下、アレスの漆のような美しい黒の髪がサラサラと風に靡いた。
「いつか、誰かがしなければならない。」
静かな、しかし、意志の固い諭すような言葉が耳奥に流れ込む。主人のすることはもうわかっている。これは、イオが己の心に釘を刺してもらうための最後の進言であった。
「しかしそれは、」
『必ずしも貴方様がしなければならないことではございません。』
この言葉が喉の近くまで来た直前に主から言葉が発せられた。
主人の歩みが止まる。声はいつものように優しい。従者イオの意図を汲み取ったのであろうか。予想していた言葉ではあったが、イオは、緊張か、不安か焦りからか、鼓動が速く大きくなっているのを感じた。
「お前は私の従者だろう?」
ゆっくり、傲然とした問いかけであった。
「はい。私は貴方様から数え切れぬ程の御恩を頂いた従者でございます。ご主人様。」
貴方は私の全てです。最後の言葉は聞こえたかどうかわ定かでないが、これ以上の言葉はなく、2人は暗闇へと歩を進めた。
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