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自転車を走らせると、昨日別れた地点にはすでに、武田君はいた。
「おはよう、栞」
「武田君、おはよう。そ、それで……」
「ああ、今日も同じ日を繰り返してる……っていうことは、願望世界の原因は工藤さんと清水さんじゃない。別の人が原因なんだ」
「別の……」
「誰か心当たりはあるか?」
「わ、分からない……。私……他の人と親しくないから」
「それなら簡単だな。栞が、クラスメートたちと仲良くなればいいんだ。仲良くなれれば、相手のことをもっと理解できるだろ?」
「わ、私が? そ、そんなの……無理、だよ。仲良くなんて……絶対、無理……」
だって入学してから今まで挨拶が関の山だったわけだし。
「心配はいらない。時間ならたくさんあるんだから。ゆっくりやっていけばいい。5月12日が何度も繰り返して、そのたびに、他の人たちの記憶はリセットされるんだから、仮に変なことをしてもみんなの記憶には残らない。会話の練習だったらもってこいだと思う。俺も協力するから」
「……でも」
「それもやめよう」
「え?」
「でも、は、なしだ。そこから少しずつ直していかないか? 5月12日が繰り返すのを止めるためにも。もちろん無理強いはできないけど、沢海さんならできると俺は思う」
「どうして、そう思えるの? 武田君、私のことは何も知らないでしょ? 私はぜんぜんできないと思う……」
「清水さんと工藤さんを仲直りさせられただろ」
「あれはでも……」
「2人がケンカする運命を変えられた。それが重要なんだ。最初は無理でも、いずれ出来ればいいんだ。今日ケンカをしても、別の日に仲直りすればいい。人とのコミュニケーションはその繰り返しだから。コミュニケーションの基本は優しさ、だから。その優しさを、栞はもってる。だから、俺は大丈夫だって言えるんだ。――とにかく今日1日考えてみてくれ。返事は放課後……いや、明日でも明後日でもいいから。『今日』はどこにも逃げない」
気付くともう、学校だった。
「それじゃ俺は職員室に行くから。少しの間、お別れだ」
「職員室? どうして?」
「俺は転校生だから、ちゃんと先生に会わないとな」
「あ、そっか」
「また後で」
みんなと話せるようになるのかな。でも武田君の言う通り、話さないことには相手のことが分からない。相手のことが分からないと、相手の悩みも分からない。なにも分からなかったら、5月12日は終わらない――。
私はもやもやしたものを感じながら、武田君の背中を見送った。
武田君は親しそうに他のクラスメートたちと話をしていた。
私なんかよりずっとクラスに馴染んでて、羨ましい……。
休み時間、なんとなく教室にいるのが気まずくって廊下に出た。
廊下には他のクラスの人たちが話をしている。
「ね、明日、学校帰りに買い物に付き合ってよ」
「何買うの?」
「CD」
「CD? 配信でよくない? サブスクとか」
「店舗特典が欲しいから。ね、半年も前から待ってて、いよいよ明日発売なのっ! 付き合って。おねがーいっ!」
「分かった分かった。そこまで拝まなくてもいいから」
「ありがと! 明日、約束だからねっ!」
どこからともなく、そんなやりとりが聞こえてくる。
他にも、
「次の休み、お母さんとライブ見に行くんだぁ。ファンクラブでチケット当選してさー」
とか、
「来月、よーやく新作ゲームが出るんだよ。早く来月にならないかなぁ」
そんなやりとりが聞こえてくる。
「…………っ」
私が問題を解決しないと、明日は決してこない。
周りの人たちは、私のように今日が繰り返していることを自覚こそしてないけど、同じ日を繰り返さなければいけない。
お母さんだって、商談を成功させるために色々と準備しているだろうし、商談が無事に終わったら、プレッシャーから解放されてホッと一息つけるだろう。
でも今のままでは次の日には何もなかったかのように、また商談に臨まないといけない。
誰かにとって、明日はとても素敵な日になるかもしれないのに。
今日、嫌なことがあった人は、嫌なことをずっと繰り返していかなきゃいけない。
そんな単純なことにもっと早く気付いても良かったはずなのに、自分のことばっかりで今まで考えもしなかった。
聞き耳を立てれば、他にも明日や来週の約束をしている会話が聞こえた。
私がいつまでもこの空間を抜け出せないと、他の人たちだって困る。
これは私にしかできないことなんだ。
私は駆け足で、自分の教室に戻る。
放課後になると、私は武田君に「屋上に来て」と言って、一足先に階段を上がって行く。
重たい扉を押し開けると、涼しい風が顔に吹き付けた。
しばらく景色を眺めて待っていると、少し遅れて武田君がやってくる。
「栞、決めてくれたのか?」
「……うん、決めた……。私、話してみる。他の人と……。う、うまくできるかは、分からないけど……」
「俺も手伝うから」
「……あ、ありがとう」
武田君は優しく笑ってくれると、私の口元までゆるんだ。
「それじゃ善は急げだ。会話の練習をしよう」
「なんだか、小学校の頃に戻ったみたい」
「でもそれくらいの気持ちでいいんだ。友だちを作ってみましょう、って。まずは俺で会話の練習をしよう。場所はどうしようか。学校でしてもいいし、俺の家でも……」
「私の家は? お母さん、夜遅くまで帰らないし」
「分かった」
自分から提案しておきながら、私は今さらながら武田君を――男の子を家に誘うという自分の大胆さに、ドキドキしてしまう。
でも私のためにしてくれることなんだから、うちでするのは変なことじゃない。
そう自分に言い訳した。
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