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9.出会いと誓い
それは今から十一年前、まだ母親も健在だった頃、七歳の椿姫が父と母と共に花見に連れて行ってもらった時のことだった。王族が管理する神山と呼ばれている場所であり、民間人の立ち入りも制限されていることから護衛も最小限で椿姫は自由な外の空気を存分に味わった。
桜神にとって最も神聖な樹木とされる多数の桜が正に満開の時期で、皆がその見事さに目を奪われている隙に、活発だった椿姫は大人が予想しているより遥か遠くまで一人で辿り着いてしまっていた。
周囲は自然ばかりでこれといった目印もなく、七歳の子供はあっさりと迷子になった。歩き疲れて草の上に座り込み、べそをかいていると目の前に自分と同じくらいの年頃の少年が唐突に現れた。
(魔法……?)
実際は近くの木の上から飛び降りたためにそう感じられただけなのだが、瞬間移動したかのような出現に驚いて泣くのをやめた椿姫に、黒髪と黒服の男の子は短く訊いた。
「捨て子?」
「違うよ! 迷ったの。父上と母上とお花見に来て……」
「わざと置き去りにされたんじゃないのか?」
「違うったら!! どうして、そんな意地悪言うの?」
追い詰めるような言葉に傷ついて泣くのを再開した椿姫に、相手は少し困ったように頭をかいた。
「そういうつもりじゃなかったけど、親なんてみんなそんなもんかと思って。俺の母親は、事あるごとに言うんだ。俺なんか産まなきゃ良かったって」
「自分で産んだのに?」
「そうなんだ、不思議だろ? 今日は特に癇癪がひどくて、顔を見るのもしんどいから里を出て来た」
「里?」
「月野葉の里。知らないか?」
「……?」
首を傾げる椿姫に、少年は大人びた口調で整然と説明した。
「蒼月の王族とは特殊な主従契約を結んでいて、税の免除や独立した体制を許される代わりに有事の際は国の兵として働くことになっている忍びの里。俺はそこの子供」
「忍び……黒ずくめの人達のこと? 時々パッて消えちゃう」
「まあ、普通のやつからはそう見えるかもな」
「だからさっき、魔法みたいに現れたんだね。すごい!」
「いや、大したことじゃ……」
素直な賞賛に、少年は年相応に照れた。それからそのことを誤魔化すように、早口で言った。
「それにしても、忍びを見たことがあるなんて珍しいな」
身分を明かして良いものか判断がつかなかった椿姫は、相手の疑念をそのまま放置した。特に返事を期待したわけでもない少年も、現状の問題を優先することにした。
「結局のところ、迷子だろ? 親のとこまで送るよ」
「良いの?」
「どのみち帰りたくないし、構わない」
そう言うと手を繋いで、椿姫を城下町の方向に連れて行った。途中で足が痛いと蹲った椿姫を、少年は文句も言わずにおぶってくれた。
「ありがとう……えっと」
「陽炎だ」
「かげろう?」
「そう、ただの季節の現象だけど、それ由来で寿命の短い虫にも同じ名前が使われてる。要らない子供にはお似合いだろ?」
「そんなことない! 父上が言ってたけど、子はみんな宝だって。だからかげろうも、大事なんだよ」
「俺の親にとってはそうじゃないらしい。そういや、おまえの名前は?」
「つばき」
「つばきって、花の椿か。俺は花に詳しいわけじゃないけど、あれは良いよな」
「本当?」
「ああ、知ってるか? 椿の花は花弁が散らずに花ごと落ちるんだぜ。首が落ちるようで不吉だって、刀を持つ人間からは忌避される。おまえの親は、何でわざわざその名を選んだんだろうな?」
「ううっ……」
軽い意地悪にまた泣きそうになったので、陽炎は慌てて機嫌を取った。
「冗談だよ、純粋に綺麗だからそう名付けたかったんだろう。おまえは良い服着てるし、肌艶も良い。親から大事にされてることくらい、俺にも分かるよ」
喋りながら小高い斜面を上がり切ったところで、椿姫の名を呼びながらこちらに近づく人影が遠くに見えた。手を振って声を上げようとした椿姫を背から下ろすと、陽炎は「じゃあな」と小声で告げて瞬時に姿を消した。
「あれ、かげろう……?」
少年を見失った椿姫は周囲をきょろきょろと見回したが、視界に彼を捉えることはできなかった。椿姫を認めて駆け寄った侍従は、大事な姫君を見つけた安堵感でその場に崩れ落ちた。
抱えられて両親のもとに戻った椿姫は、どこに行っていたんだと叱られながらも母親に抱き締められると、ほっとして泣き出した。ひとしきり泣いた後、ここまで連れて来てくれた恩人の少年について両親に語った。
後日――椿姫は父の魁利に連れられ、物々しい護衛に囲まれながら月野葉の里を訪れていた。里長は面食らった様子ながら、恭しく一行を邸内に招き入れた。
「これはこれは、国王陛下に姫様。わざわざこのようなところに玉体をお運びくださるとは恐悦至極。御用がおありでしたら、一言お声がけくださいましたならこの芭千、一跳びで御前まで駆け付けますものを」
「いや、騒がせてすまん。だが礼を言うのに、相手を呼びつけるのは道理に合わんと思ってな」
「礼、でございますか?」
「うん。先日この椿姫が山で迷った際に、里の忍びが侍従の元まで送り届けてくれたと言う。陽炎という子供だそうだが、直接礼を言いたいので呼んでもらえるか?」
「ほう、そのようなことが。誰か、すぐに陽炎をここへ」
「はっ」
家人と入れ替わりに現れた陽炎は、長の隣に膝を突いた。
「国王陛下と第三王女の椿姫様であらせられる。ご挨拶いたせ」
「……陽炎、と申します」
「構わぬ、面を上げよ」
真っ直ぐこちらに顔を向けた陽炎に、椿姫がこの場の状況も忘れて飛びついた。
「かげろう!」
「っ……姫、様」
「こら、椿姫。陽炎が困っている。元の席に座りなさい」
「でも父上、私お礼を」
「椿姫」
「はぁい」
渋々引き返すと、魁利の横にちょこんと座った。魁利は咳払いをして、場の空気をリセットすると厳かに口を開いた。
「先日はわが娘の椿姫を保護してくれたこと、改めて礼を言う。望みの物があれば何でも取らせる故、遠慮なく言うが良い」
「何も……そのような」
「遠慮は要らぬと言うのに」
「いえ、本当に。王家に忠義を尽くすことは、この里の人間としては当然の務めと心得ておりますので」
椿姫を王族と知らずに気さくに振舞ったことは伏せて、陽炎は冷静に答えた。
「見上げた心がけよな。それではそなたの忠義に対し、もう一つこちらから頼みがある」
「何なりと」
「この椿姫の側近として、城に上がれ。今後もいの一番に娘を守ってもらいたい」
「俺が……姫様のお側に?」
「椿姫のたっての希望である。構わぬな、芭千?」
「無論、姫様のお望みとあればいかようにも。ですが陽炎はまだ幼く、技術も未熟にございます。里であと十年は修業を続け、技を磨いた後の方がよろしいかと」
「それじゃだめ! だって、陽炎はここでは要らない子なんでしょ? でも私には必要だから、城で大事にするの。だからすぐに陽炎をちょうだい」
「……要らない子、というのは?」
「悪い、長。俺がババアのことをつい愚痴ったんだ。最近また親父のことでうるさい」
「あれの酒乱は相変わらずか……腕は悪くない忍びだが、男を見る目がとことんないのが致命的だ。そういうことならおまえのためにも、今すぐ城に上がるのも良いかもしれんな」
椿姫の希望と陽炎の環境を照らし合わせて、里長は決断を下した。
「承知いたしました、それでは陽炎はこのままお連れください。ただ申し上げた通り、陽炎は未だ未熟。修行については継続してこちらで補佐すること、お許しください」
「それは願ってもないこと。今後ともよろしく頼む」
「こちらこそよしなに――陽炎、姫様の御身、己が命に代えてもお守りいたせ」
「承知」
こうして陽炎は、この日から椿姫ただ一人の忍びになった。
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