10.二人の側近

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10.二人の側近

「陽炎?」 「お呼びですか、姫様」  中庭に出て呼びかければ、どこからともなく側近の少年が程よい距離に現れる。それだけで、椿姫は小さな虚栄心を満たされて微笑んでしまう。 「陽炎、いた」 「……得にご用はなさそうですね」 「待って待って、少しお喋りしよ?」 「生憎、鍛錬がありますので」 「もう! なんでそんな素っ気ないの。陽炎は、私と居るの迷惑だった?」 「逆ですよ。あなたの側に居るために、俺は必死なんです」 「話し方も、そのせい? 初めて会った時のままでも、私は気にしない」 「姫様と俺は主従です。立場に応じたけじめはつけなければなりません」 「父上みたいなことを言う。じゃあ十分で良いから、そこに居て」 「はい」 「陽炎は、ここに来て良かった?」 「そうですね。漠然と生きるのでなく、確かな意味を得たように思います」 「不自由とかしてない?」 「大変良くしていただいております」 「それなら良かった。あと、ね。あそこにある木」 「……椿の木ですね」  気まずそうな陽炎に、椿姫は逆に楽しそうに微笑った。 「そう。花はもう終わってしまったから、陽炎が言った通りなのか次の冬に確認しようかな」 「あの話は、どうかお忘れください。俗なことを申し上げました」 「そんなことはないよ、私もあれから調べたの。桜のように惜しまれながらゆっくり散るのも良いけど、花ごと落ちるのも潔い。私も、死ぬ時はそんな風でありたい」 「縁起でもないことを仰いますな」  窘めながらも、陽炎はこの幼い主からそんな言葉が発せられたことに、心の片隅で感銘を受けていた。  そんなやり取りのあった数日後、月野葉の里から長の使いと名乗る女性の忍びが櫻羽城を訪れた。 「長から命じられて、未熟な陽炎の修行を里に呼び寄せずとも済むようこちらで監督するようにと。それから能力が一人前ではない以上、椿姫様の護衛も私がともに務めて不足を補わせていただきとうございます」 「そうか。長の厚情、こちらとしては異存ない。誰か椿姫と陽炎をここへ」  若く美しい人材の提供に、国王も気を良くしたものだったが。事情を聞いて謁見の間に現れた陽炎は女を一目見るなり露骨に顔を歪めて吐き捨てるように言った。 「よりによってこいつですか……返品しましょう、陛下」 「何故だ? 里の仲間ではないのか」 「仲間と思ったことは一度もありません」 「ひどいわ、陽炎。何てものの言い方」 「黙れ、ババア」 「バ……」 「陽炎。うら若い娘に対し、さすがにその言い方はなかろう」 「お言葉ですが陛下、このクソババアは三十路前でうら若いという種別には当たりません」 「なんと……?」  せいぜい十代か二十歳そこそこにしか見えない相手に、魁利もその場に居合わせた重臣も絶句して見入ってしまう。視線が集中する中、ババア呼ばわりされた女は気にした風もなく髪を払った。 「実際の歳なんて、どうでも良いじゃない。あんただって、母親が若い方が嬉しいでしょ?」 「誰が。てめぇなんざ、母親とは思ってねえし」 「母親? あの容姿でさらに子持ちか」  ざわざわと衝撃が伝わる中、それまで沈黙していた椿姫が冷静に陽炎の前に進み出た。 「おまえが、陽炎の母親?」 「さようでございます、姫様」  礼を尽くして跪く相手に、椿姫はにこりともせず言葉を返した。 「おまえにとって、陽炎は要らない子供なんだろう。何故ここへ?」 「母親だからです」 「答えになっていない」 「……恐れながら、親子というものは単純な理屈で割り切れるものではありません」 「賢しげに語るな。いまさら母親面か? 産まなければ良かったなんて、子供に絶対言ってはいけない言葉だ」 (姫様……)  普段とだいぶ印象が異なる椿姫を、陽炎は背中から意外そうに見つめていた。それが自分の代わりに怒りを湛える結果だと理解して、身が震えるような感動を覚えた。 「姫様の仰ることは、ごもっともです。酒の勢いに任せて、幾度も暴言を吐きました」 「それが分かっていて、何故ここへ来た?」 「責任を果たすためです」 「責任?」 「親の責任ではなく、里の人間としての責任です。長がお伝えした通り、陽炎は姫様の護衛としては未だ未完成。その補填は、送り出した里として行わねばなりません」 「だとしても、おまえである必要があるの?」 「お言葉ですが、これでも技では里で五本の指に入る忍びです。加えて私は女ですから、陽炎の立ち入れぬ場所においても姫様の護衛が可能です。誰よりも適任かと」  あと酒は止めました、と語尾に付け加えたもので椿姫は判断に迷って陽炎を見やった。 「うーん……陽炎はどう思う?」 「その女の発言に、虚飾はないと思います。姫様にとっても利になることかと」 「でも陽炎の気持ちは?」 「姫様にとっての最善こそが俺の意思です。先ほどは感情に任せて否定しましたが、その女が姫様の役に立つと言うなら異論はありません」 「そう……なら、いったんお試しで雇ってみようか。よろしいですか、父上?」 「おまえの好きにしなさい」 「ありがとうございます陛下、姫様。決して後悔するようなことにはならないとお約束いたします」 「ではよろしく――そう言えば、名前もまだ」 「これは大変失礼を。雛芥子と申します、末永くよろしくお願いいたします」  そうしてお試しで採用された雛芥子は、今では陽炎と共に椿姫にとってなくてはならない存在となっている。年不相応な若々しい外見と妖しい美しさも、当時から全く褪せる様子がないことで陰では化物と呼ばれていることは余談である。 ***  十一年前のことをつらつらと考えながら離れの建物を出た椿姫は、木々の生い茂る庭に足を踏み入れていた。自国と違い、落葉をゴミとしてのみ捉える文化のため、塵一つ落ちていない風景は何だか落ち着かない。 「陽炎、どこ?」  控えめに呼びかけたが、陽炎は一瞬で椿姫の目の前に現れた。 「良かった、居た」 「……居ますよ、いつだって俺はあなたの側に」 「さっき、いなくなったくせに」 「あのままだと暴言を吐きそうだったんで、頭を冷やしていたんですよ。本当はしばらく姿を消しているつもりだったんですが」 「呼んだらすぐ来たね」 「条件反射ですよ……我ながらまるで犬のようだと思います」 「陽炎はどっちかって言うと鷹かな」 「どっちにしても人ではないわけで……それより、ここは自国ではありません。櫻羽城と同じ感覚で一人で行動なさるのは控えてください。そもそも姫様をお一人で行かせるなんて、あいつは何を考えている」 「雛芥子は、気を遣って二人きりにしてくれたんだと思うよ」 「くだらない気を回すより、姫様の御身の方が大事です」 「私も丸腰ではないし」  愛刀の存在を示すと、陽炎は渋い表情で首を振った。 「鍛錬なさることは反対しませんが、実戦で使わせるつもりなど微塵もありません」 「そしたら、何のために剣を学んだか分からない」 「いざという時の、自決用です」  大真面目にそう言われて、椿姫はげんなりした。 「……それは嫌だな。せっかくなら私だって、守るために使いたい」 「姫様のことは、俺がお守りします」 「だったら私も、陽炎を守りたいな」 「無用です。却って迷惑です」 「すぐそうやって……まだ怒ってるの?」  伏せがちな表情を探るように覗き込もうとしたところに、雛芥子が木々の向こうから良く通る声で告げた。 「姫様、ナーシサス宰相がお見えです。お部屋までお戻りください」 「宰相が? 分かった、すぐ戻る」  歩き始めた椿姫の傍らには、何事もなかったように陽炎が付き従っていた。うに陽炎が付き従っていた。
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