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11.新たな可能性と調査
「どうもどうも、ろくにお構いもできず誠に申し訳ございません」
額の汗を拭きながら頭を下げるナーシサスに、椿姫は鷹揚に頷いて見せた。
「想定外のことが立て続けに起こったのだから、あなたの責任という訳ではありませんよ。歓待されないくらいで拗ねるほど、私も子供ではありません」
「そ、そう仰っていただけると、私も肩の荷が下りたような気がいたします」
「ただ私も、ずっと蚊帳の外というのは親族として寂しい限りです。あのオクロックという近衛隊長には、まるで邪魔者でも追い払うように邪険に扱われて。私だって、従妹が心配だっただけですのに」
ハンカチで目元を抑えるそぶりを見せると、ナーシサスは再びどっと汗をかいた。涙はまったく出ていなかったが、椿姫のことを良く知らない他国の宰相には十分効き目があったようだ。
「あ、あれは職務に対して一本気な男でして。断じて椿姫様を軽んじた訳では……」
「それでは、私にも事情を説明いただけますか?」
ちらりとハンカチをずらして視線を送ると、ナーシサスはあたふたと目線を戸惑わせた。
「ど、どこまでどうお話したものか」
「ではまず、女神の祝福について教えてください」
「女神の祝福……」
いきなり爆弾を投下して口を滑らせることを誘発したつもりだったが、椿姫の意に反してナーシサスは落ち着きを取り戻した。
「やはり椿姫様はご存じだったのですね、リセリア様のご息女なのだから当然と言えば当然ですか。でしたら話は早いですな。私の知ることであれば、何なりとお答えしましょう」
「……祝福のことは、国外に対しては極秘扱いなのかと思っていましたが」
「そういった扱いではありません。ただ一子相伝という特質のため、国外で発現することがなく知られることも少ない。ですが王子や王女が他国で婚姻を結べば、知識として伝わることも当然あります。現にリセリア様も、あなたにお話しになったでしょう?」
「あー……そうですね」
エルダーから強引に聞き出したことは伏せて、椿姫は適当に話を合わせた。
「母上の話が出たのでちょうど良いからお尋ねします。叔母様と母上のように生まれたのが双子だったケースも過去にはあったと思うのですが。その場合でも、選定の儀は姉の方だけに行うのですか?」
「そうですね、そのように聞いております」
「でも双子というのは通常の姉妹と違って出生が特殊です。もう一人も同時に継承している可能性について、これまで言及されることはなかったのでしょうか?」
「あまり、意味がないので」
「意味がない?」
「はい。ご存知の通り、女神の祝福はローズハイムの女王になる者にとって必須の資質です。ですがそれは一人で良い。複数いれば、それが却って争いの種にもなる。だから、それ以外の王室の女児は他国へ嫁ぐか俗世からの離脱を余儀なくされて女神を祀る寺院に入るというわけです」
「つまり、この国にとって選ばれなかったもう一人については、祝福の有無についてはどうでも良いということですね?」
「おっしゃる通りです。仮に他国で発現したところで、それは女神の気まぐれな福音といったところでしょう」
(気まぐれか……)
思っていたより、自分のような存在は軽い扱いであるらしい。タブーとされるよりは気楽だが、やはりこれでローズハイムの女王の座が転がり込んでくる可能性はいよいよなくなったようだ。最後に、そのことについてもはっきりさせておくことにした。
「今回のことで、エルダー王子が祝福の継承者だと判明したそうですが。男子が継承した事実は、これまでにも希少ながらあったのでしょうか?」
「とんでもない! こんなことは我が国の歴史始まって以来の珍事ですよ。フローレンス様とマルガリート様に継承されていなかったことも道理……まさか最初の出産で、エルダー様に受け継がれていたとは。こればかりは、女王陛下ご自身も最後までお分かりにならなかったことでしょう」
「あなたがたにとっても初めての事態、ということですね」
「その通りです」
「エルダーには、改めて選定の儀を行うということは?」
「ないでしょうな。何せ陛下が亡くなっているレベルの毒を身体に入れて無事だったわけですから。異例の形にはなりますが、証明はなされたものと捉えております」
「なるほど。ところで叔母様の動機ですが、エルダーから聞いた話では女系の伝統を守り彼を無理に押し立てる一派から争いの種をなくすため――とのことでしたが、あなたもそう思われますか?」
「そうですね、確かにそれが動機かもしれません。逆に言えば、他に殿下のお命を絶つ理由がないかと」
「でもどんなに女系に拘っても、妹二人は既に王位継承権からは外れています。他に子がいない以上、唯一の嫡子を殺すことはかなり乱暴ではありませんか? 他に当てがなければ、破滅的な選択とも取れるのですが」
椿姫の正論に、ナーシサスは少しためらった後に再び口を開いた。
「……当てはあったのです。実は、女王陛下は懐妊しておられました」
「!! 叔母様のお腹に子供が?」
「はい。執念とでも申しますか、今度こそ祝福を継承した女児を生むおつもりでいらしたのでしょう。この子さえ生まれてくれば、この国はもう大丈夫だとしきりに仰っておられました。それでもエルダー殿下とは年の開きも大きい幼子です。陛下は齢四十二歳、高齢でお子を出産することでご自身の無事について不安もあったのでしょう。危険因子は先に摘んでおこうと考えたのやもしれません」
「だから、エルダーを排除しようとした?」
「はい。妊娠中の母体は、精神的に不安定になったり攻撃的になることがままあるそうですから。殿下への愛情よりも国への責任感が勝ったとしても不思議はありません」
「そうですね……」
相槌を打ちながらも、椿姫はどこか上の空だった。
「叔母様のお腹の子は何か月だったのでしょう?」
「確かもう、六か月に入るころだったと。体調もかなり安定しておられました」
「そのことを、当然エルダーも知っていましたよね」
「もちろん、隠すようなことではありませんでしたので。城の人間は皆、存じておりました」
「そうですか……なのに、自らお酒を飲んだんですね。すべての期待を込めて大事にしていたにしては、子供への影響を考えなかったのでしょうか?」
「いいえ。妊娠が分かってからは、宴席でも酒はお飲みになりませんでした。ですからあれはまあ、自ら殺めた殿下を送る手向けの意味もあったのではないかと。結果は、真逆になってしまったわけですが」
複雑な思いでため息を吐くナーシサスに、椿姫は同調してはいなかった。それどころかまったく別のことを目まぐるしく考えていた。やがて顔を上げた椿姫は、陽炎と雛芥子に告げた。
「色々と、調べたいことがある」
主の命に、二人は余計なことを訊く必要もなく頷いた。
***
椿姫が最初に向かったのは、王族住居スペース寄りのワインセラーだった。
他の区画のように要人が詰めている場所ではないため、衛兵も立っているようなことがなく容易に入り込むことが可能だった。足を踏み入れると、石でできた壁際に寝かされた状態で所狭しと並べられた瓶の数々に圧倒されてしまう。
「年代別に置かれているようだけど、すごい数だね。蒼月にも酒の貯蔵庫はあるけど、量がまるで違う」
「蒼月で作られているのは米の酒でございますね? あれは熟成には向きませんので、短期間で消費するためこのように数十年の保管を意図したセラーは必要ないかと」
話しかけたのは二人に対してだったが、想定外に薄暗い奥の方から返答があり、椿姫は声のした方に向き直った。どうやらこのワインセラーを管理する係の者らしく五十代くらいで品の良い初老の男が控えめな物腰で礼をした。
「離れにお越しの蒼月のお客様でいらっしゃいますね。私はこのワインセラーの担当を任されております、チェスナットと申します。このような場所に足をお運びいただき恐縮でございます。お持ちしたお飲み物に、何か不足や不手際でもございましたでしょうか?」
「ああ、いや。自分たちの飲酒用に都合を付けに来たわけではなくて。実はベアトリクス女王陛下の即位記念のワインの実物を見ておきたかったもので、こうしてつい入り込んでしまった」
「良くご存じでいらっしゃいますね。あちらはもう残り三本となっておりまして、残念ながら許可なくお渡しすることはできかねますが、お見せするだけでしたら何ら問題ございません。どうぞこちらに」
「それはありがたい」
案内されるままについて行くと、少し奥まったところに開きの扉付きのキャビネットが置かれていた。チェスナットが制服のポケットから鍵を取り出して扉を解錠すると、左右に大きく開いた。外にあるものより間隔を空けて並べられている瓶のうち、一本を迷わず丁寧に取り出した。それから本体を椿姫に良く見えるよう両手で掲げて見せてくれたラベルに、確かに見覚えがあった。
「これが、即位記念の」
「はい、特別な意味があるうえ当たり年で出来も良かった逸品です……おや」
「何か?」
「いえ、確かに先日確認した時は残り三本だった筈なのですが。いつの間にか二本になっているようでして」
隙間を眺めて首を傾げる。どうやらまだ、女王が亡くなった事件のことは知らされていないらしい。自分の口から伝えるのも気が引けるため、椿姫も核心には触れないようにしながらワインが消費された事実だけは伝えることにした。
「聞いた話では、女王陛下がお持ちになったようだけれど」
「そうなのですか?」
あまり得心が行かない様子のチェスナットに、椿姫はそのまま疑問を投げた。
「何か、おかしい? そう言えばここを開けるのに鍵が必要だったようだけど、それは本来あなただけが管理しているとか?」
「いえ、女王陛下なら確かにご自身の鍵はお持ちですし私も四六時中こちらに詰めているわけではもなく、有り得ないことではございません。ですが今はお酒は控えておられたはずですので。それに――」
「それに?」
「あ、はい。以前仰っていたことなのですが、次にこちらのワインを開ける時は姫君のご誕生後の祝いにと。ですからこのタイミングで持ち出されたことが、少々不思議に思えたもので」
チェスナットの疑念は自然なものであり、椿姫としても共感できたが今はそれを口にすることなく別の質問をした。
「ここに入れられているのは、特別な記念のワイン?」
「はい。記念という括りだけでなく、年代の古い希少なものも含め持ち出しを制限する意味で取り扱いを分けております。先代や先々代の記念ワインについても、一本ずつですが残っておりますし。基本的には飲むためのものと言うより、宝石や絵画同様美術品のような感覚に近いかと」
「ふぅん……飲まないのも何だかもったいない気がするけど」
「開けずにこの形を保つからこそ、価値があるというものです。嗜好品として求めるなら、そちらにいくらでもストックはございますので」
「ワインは毎年作っているの?」
「はい、ですから棚は年代順に並んでおりますよ。減り具合によって、たまに整理もいたしますが」
「じゃあその記念ワインが普通のワインだったとして、年代別での収納場所はどの辺り?」
移動するうちに落としては大変だと、いったんキャビネットの定位置にワインを戻してからチェスナットは椿姫をセラーの別列に案内した。
「ちょうどこの辺りですね」
手のひらで示された先のワインを持ち上げて見ると、二十四年前の年が刻まれていた。二十五年前のもとしては即位記念のみなので、通常扱いのワインは存在しないらしい。それならと少し離れた並びのワインを見るうちに、椿姫は急にあることを思いついてそのうちの一本を手に取った。
「これを一本いただいても構わないかな?」
「はい、結構でございます。どうぞお持ちください」
「じゃあ雛芥子、よろしく」
「かしこまりました」
恭しく受け取った雛芥子を横目に、もう一つの目的が首尾よく達成できたことを確認した椿姫はチェスナットに礼を言った。
「色々ありがとう、仕事の邪魔をして申し訳ない」
「とんでもないことでございます」
「さっき開けてもらった扉に、鍵を掛けた方が良いよね?」
「さようでございますね、恐れ入ります。それでは忘れないうちに」
椿姫たちの目の前で施錠すると、チェスナットはセラーを後にする椿姫たちに礼をして見送った。
廊下の角を曲がったところで、後から追いついた陽炎と合流する。
「見事な手並みだったね、陽炎」
「こちらは姫様の側近業より、俺にとっては本職ですから」
施錠前に失敬した件の記念ワインを懐から見せながら、陽炎は得意げに薄く笑って見せた。
二本のワインを持って一度離れに戻ると、椿姫は今度は自分で出向くのではなくそこにベアトリクスの遺体を確認した医師を取り次いで呼んでもらい、可能な範囲で質問に答えさせた。特に椿姫が気にしたのは、体内で亡くなっていた胎児のことだった。
「そうすると、さすがに胎児の死因までは特定できないんだね?」
「母体が亡くなれば、依存している胎児が生き残る術はありませんので。毒が回ったことが先かどうかまでは……」
「なるほど、ありがとう先生」
そうしてすべてのピースが揃うと、再びナーシサスをこちらに呼び出し関係者を集めるよう依頼した。
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