16.出立前夜~最後の解明~

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16.出立前夜~最後の解明~

 そうしてとうとう迎えた出発の前夜。やることの二つ目である父王との別離について、魁利の私室に招かれた椿姫は父娘水入らずで国内での最後の別れを惜しんでいた。 「少しも悩まなかったようだが、ここまで性急に事を進めてしまって良かったのか?」 「だって、国主になることは私の夢でしたから。と言うより、そもそも父上が私に助言なさったことではありませんか」 「それはまあ、あの時はああでも言わなければ落胆して沈んだままだったろうからな。まさか本気で目指すとは思わなんだ」  十一年前、己の忍びである陽炎と結婚したいと言い出した椿姫に、身分違いだから諦めろと言う代わりに「国主になれば、身分相応な男の妻になることなく愛した男の子供を生むことは可能だよ」と教えた。嫁いだ先で愛人を作れば不貞の罪に問われるだろう。国の法によっては処刑されることも有り得る。それに引き換え女王の生んだ子供は相手が誰であろうと全てが嫡子であり、後継ぎさえ絶やさなければ正式な伴侶は特に必要としない。  椿姫の願いを唯一叶える方法として魁利は女王になる道を示したのだったが、それはあくまで気休めのつもりだった。しかし彼女はその言葉を忘れることなく、恋心と野心を今日まで大事に守り育てて来たのだった。もっとも、それを向けられている当の本人は忠義以上の想いを抱えているとは到底思えないが。  第一王女の揚羽と争う可能性が消えたことは喜ばしいが、不穏な状態の他国にこのまま向かわせることはあまり歓迎したい事態でもなかった。だからついつい、引き留めるようなことを言ってしまう。何より誰より賢く亡き妻にも似て美しいこの三女が、魁利は愛しくてどうにも手放したくなかった。 「ローズハイム国内には、おまえに玉座を譲り渡すことへの反対派もまだいるに違いないぞ」 「覚悟しております。けれどエルダーにも頼まれましたので。国民のためにも、できる限りのことはしたいと思います」 「エルダー王子のことは私も驚いた……にも拘らず、最終的に王位に固執していなかったというおまえの言は未だに信じがたい」 「それでも事実です。彼は城内で隔離されていて、今正に裁判にもかけられている。この期に及んで私の機嫌を取ったところで何の意味もありませんから」 「それが事実だとすると、よほど生まれてくる赤子に何かがあったとしか思えん。実際のところ、おまえの考えはどうなのだ?」 「エルダーは話してくれなかったので、真相は分かりませんでした」 「だとしても、好奇心旺盛なおまえのことだ。仮説の一つもあるだろう」 「ないこともありませんが」 「うん?」  名残を惜しむと言うより他所の事情について探求する会話の流れになってしまったが、椿姫は方向転換を諦めてため息を吐いた。 「……ここだけの話として、父上の胸一つに収めてくださいますか?」 「何だ、珍しく渋るではないか」 「あの二人にも、話していないことです」  それを聞いて、魁利にも事の重度が知れたのか真顔で頷いた。 「分かった、口外しないと誓おう」  父と目を合わせてから、椿姫は少し間を置いて口を開いた。 「エルダーと下の二人の妹とは、父親が違うのだそうです。エルダーを生んだ後、第一子が男児だったことに落胆した王室関係者の強い勧めで公爵家から正式な夫を迎えたとか。ですが残念ながら、続けて二人の女児を出産しながらもどちらにも肝心の女神の祝福は受け継がれることがありませんでした」 「祝福……か。椿姫もリセリアから渡されたと言っていたな」 「はい。そのおかげでかつて命拾いいたしました」 「……」  リセリアを無下に死なせてしまったこと、またその真相の究明がなされなかったことについて再び責められるかと思い反射的に黙ったが、椿姫は意外にもくすりと微笑ってみせた。 「そんなに身構えないでください。その件についての采配は、揚羽姉上に託すことにしたので父上にはもう何も申し上げませんよ」 「ほう、おまえたち二人で話を?」 「はい。ですが今そのことはエルダーの話と関係がないので置きます」  娘二人の和解を知らされぬまま、魁利は椿姫の話を続けて聞いた。 「ともかく後継者誕生のために強引に進められた婚姻でしたが、結果は誰にとっても望むものにはなりませんでした」 「性別に加えて、特殊な絶対条件を問われるとはローズハイムとは過酷な国よな」 「私の意思を曲げるつもりなら無駄なことですよ? 父上の仰る通りだとは思いますが、私は絶対に陽炎との間に祝福を継承する女児を生んで見せます」 「今からそんな重圧を課すのはやめなさい。と言うか、話が逸れたのではないか?」 「そうですね……少し叔母様の事情に引っ張られたのかも」  いったん冷静になろうと、椿姫は一口お茶を飲んだ。 「義姉上は、エルダー王子の父親を愛していたのか?」 「父上は勘が良いですね、恐らくそうだと思います。公式には不明とされていますが、城内に出入りしていた身分違いの楽師だったのではと城内では噂が流れていたそうです。ですがどちらにしても、彼はエルダーが生まれた数年後に流行り病で亡くなったそうで、どんなに望んだところで最後の賭けに伴うこともできなかった。それでも、叔母様は諦められなかったのです」 「……と言うと?」 「」  椿姫の言葉の意味を理解して、魁利は渋面で腕を組んだ。親族三親等内の婚姻やそれに準ずる行為は、世界基準で良くないものと忌避されている。椿姫の推測が事実なら、ベアトリクスは己の生んだ子すべてが父親不明でも嫡子になるという女王の立場を利用して、禁断の行為に及んだことになる。 「それは、合意の上でか?」 「恐らくそうではないでしょうね。エルダーは極めてまっとうな感覚を持った人間でした。だからこそ、結果に対してああいう形で異を唱えるしかなかったんです」  母親の行いを公にせず、禁忌の子だけを葬り去ること。それがエルダーの唯一の目的だったのだとすれば、椿姫に国を託す気持ちにも嘘はないのだろう。 「それにしても、義姉上も随分と道義に外れたことをなさるものだな。私が知る限り、そんな方ではなかったはずだが」 「それだけ追い詰められていたのだと思います、後継者を残す責任というものに」 「しかし、腹の子には現に望み通り継承が確認されたのだったな。偶然か、それとも本当に血のせいか?」 「詳しいことはローズハイムの歴史でも解明できていないようです。けれど祝福の源とされる女神ミースは、愛を司る女神です。そこに愛があるからこそ、母体の想いとともに祝福は継承されるのではないでしょうか。精神論はあまり好みませんが、それがローズハイムの血統より優先されることは、私自身が証明しておりますし」  蒼月は一夫多妻制を取っている上、魁利とリセリアは政略結婚ではあったが、二人は間違いなく愛し合っていたしその結果として椿姫が生まれた。桜神の血統を色濃く受け継ぐ椿姫に祝福が訪れたなら、やはりそれが根拠ではないか。ベアトリクスも、どんな形であれ愛していた――エルダーの父親も、エルダー自身も。 「確かにな」  鬱屈した空気を振り払うように、魁利は手を伸ばして愛娘の頭をよしよしと撫でた。 「それだけぐちゃぐちゃの事情が渦巻く国に、いよいよおまえを送りたくはないが……帰りたくなったら、いつでも帰って来て良いのだぞ」 「そんな無責任なことはいたしません」  ぷっと頬を膨らませた後に、二人は顔を見合わせて笑った。  明日からの旅とその後待ち受ける重責のことはいったん忘れて、父娘はその晩遅くまで語り合って名残を惜しんだ。  何より椿姫には、まだここでやるべきことの最後の難関が待ち受けていた。
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