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17.極めて初歩的な告白を
翌朝早く、椿姫はいつもの鍛錬並みに早起きをした。雛芥子に手伝ってもらいながら念入りに化粧をして再び揚羽にもらった勝負服を着ると一人中庭へと向かった。
雪名月は提げたまま抜くこともなく、気配は分からずとも絶対に近くにいるであろう相手に呼びかける。
「陽炎」
すると当たり前のように、目の前に黒髪と黒装束の姿が佇んでいた。初めて会った時から、望めば一瞬で現れる。この十年で環境も自身の想いも様々変わったけれど、このことだけは不変だと思えた。
「お呼びでしょうか。本日、鍛錬はよろしいので?」
真っ直ぐに見上げてくる黒瞳に、今日ばかりはたじろいでしまう。それでもぐっと掌を握り、気持ちを奮い立たせて緊張を抑え込んだ。
「今日は……良いの。それより陽炎に話したいことがある」
「俺にですか?」
きょとんとしている陽炎に、身振りで立つよう促した。言う通りにした陽炎の目線と逸らさずにいたことで、今度は椿姫の側から少し上を見上げる状態になる。今だけは対等になれたような気がして、椿姫は意を決して口を開いた。
「陽炎私、女王になるよ」
「おめでとうございます」
「本当にそう思ってる?」
抑揚のない口調につい疑念を口にすると、陽炎は頷いて見せた。
「もちろんです。姫様の望みが叶ったのであれば、これ以上のことはありません。何より蒼月内で姉君と争いを起こさずに済んだことも重畳かと」
「陽炎はいつもそのことを気にしていたね……確かに、姉上と和解できたことは良かったと思う」
「そうですね」
「国主になりたいと言っていた理由、今も分からない?」
「はい、そこについてはまったく」
「……結婚、したくなかったから。私は王族だから、自由に相手は選べないんだよ。王室の権威と利益のためにはそれなりの相手でなければいけない。それが王族としての義務だから」
「そのことは俺も理解しております。ですが嫁ぎ先がいずれかの国王だったとして、王妃と女王で何か大きな違いがありますか?」
「あるよ、大きな違いが! 王妃は王の子供しか生めないけれど、女王になったら自分の子供全部が嫡子。身分に関係なく、好きな人との子供生めるんだよ?」
「と言うことは……姫様には意中の相手がおられるということですか?」
「そ、そうだよ」
こくこくと頷いて陽炎の顔をちらりと見ると、眉間に皺を寄せて難しい顔をしているので何だか嫌な予感がした。
「まさか、エルダー様ですか?」
「何で!? あり得ないんですけど! 何でそう思った?」
椿姫の剣幕に、陽炎は気圧されて一歩下がった。
「あ、いえ。あまり姫様の周囲に男っ気はなかったもので。あの方なら一応、幼馴染と言えなくもないかと」
「女装して女の子だと思ってた相手になんか誰が惚れるか! それにだとしたら、私が今回エルダーにやったことって惨すぎない? 陽炎は一体私を何だと思ってるの」
「罪は罪ですし、姫様は私情に負けて真実を曲げるような方ではありません」
頭のおかしい行動だったはずのことを綺麗な形に転換されて、椿姫は脱力した。
「あ……そう。でも違うから。もっとずっと身近にいて、ずっと好きな人」
「誰です?」
本気で思いつく様子がないようなので、椿姫は諦めて陽炎を指さした。
「はい?」
「か、陽炎のこと……好きなの。お嫁さんにはなれなくても、陽炎の子供……生みたい」
「え……え? すみません、意味が分からないのでもう一度……」
「だから、こういうこと!」
理解が追い付かず無になっている陽炎に業を煮やして、椿姫は目を泳がせている陽炎の頬を両手で挟むと、勢い良く唇を重ねた。
「!!」
「い、今は返事とかいらない。でもローズハイムに着くまでには、ちゃんと考えて! 約束だからね」
真っ赤になりながらそう言い置くと、椿姫は踵を返してその場を走り去った。とんでもない課題を一方的に提示された陽炎は、まるで化石のようにその場で固まってしまった。
二人の恋の行方と、ローズハイムの女王になる椿姫の話は、また別の機会に。
(完)
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