2.ローズハイムへ

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2.ローズハイムへ

 出立の朝、人前でもはばかることなく涙をこぼす美袋の手をどうにか離して別れを済ませると、椿姫は陽炎と雛芥子を従えて城外へ向かった。数人の伴と護衛に囲まれた馬車に乗り込もうとしたところ、いつの間にか城門前に現れていた揚羽に呼び止められる。一応、姉への礼儀として部屋を訪れたものの、よく分からない理由をつけて扉の中には入れてもらえず声だけで挨拶を済ませたのだが、自分からわざわざ顔を見せに来るとは珍しいこともあるものだ。 「これは姉上……わざわざのお運び、恐れ入ります。さきほどはご気分が優れないようでしたが?」  すると揚羽は気まずそうに目線をそらし、ぶつぶつと文句を言った。 「……朝にしても早すぎる。私は起き抜けで化粧もまだしていなかったのだ」 「はぁ」  まさかすっぴんを恥じて会わなかったのか? 図太いと思っていた姉が、そんなことを気にしていたとは。 (存外、私たちの中で一番女なのかもしれない)  意外な一面に呆れるよりはむしろ関心していると、傍らで控えていた侍女が二人進み出て、平らで大き目な紙包みを二人がかりで捧げ持ち、恭しく差し出した。  揚羽に尋ねるような視線を送ると、頷いてから顎をしゃくる。 「餞別だ、遠慮なく受け取るが良い」 (帰ってくる予定なんだけどな)  竟の別れのように言われたことが釈然としないながらも包みをほどくと、見事な織の着物が見えた。しかも柄は、薄紅の地に白の椿。花を彩るように銀糸の刺繍が映えてひどく美しい。 「これは……見事な」  素直に感嘆したが、実のところ椿姫は着物をほとんど着たことがない。刀を振るうのに裾が邪魔だし、ドレスよりも重くて体感温度が暑くなるところを毛嫌いしている。何より、着崩れたら自分では直せないのが致命的だった。たぶん着る機会もないだろうと思いながら形ばかりの礼を言おうとしたところ、姉が見透かすように鋭く言った。 「待て。お前のことだ、着物ならどうせしまい込むつもりでいるのだろうが、ちゃんとよく見てみろ」 「……?」  言われるがまま手に取り広げて見ると、着物にしては軽く、ふわりと広がったその形は明らかにドレスのようだった。襟の部分と帯の形は着物のようだが、レースを多用したスカート部分は洋装そのもので、言ってみれば着物とドレスを合わせた単衣のようだった。 「何ですか、これ。初めて見ますね」 「当然だ、私が生地も型も指定し特注でわざわざ作らせたのだからな。蒼月とローズハイムのどちらの血も引くおまえには相応しかろう?」  決して皮肉ではないのだろう。実際、このドレスは椿姫にとても良く似合うよう作られているし、後ろは長いが前は膝あたりまでしかないアシンメトリーな丈も彼女の希望を取り入れて工夫されている。何より、袖も細めに作るなど着物の生地を最小限にとどめているため実に軽い。椿姫は素直に礼を言った。 「ありがとうございます、姉上。大切にします」 「どこに居ようと、桜神としての矜持と誇りを忘れるな」 「肝に銘じます」  姉妹は視線を合わせると、どちらからともなくそっと握手を交わした。ふだんあまり姉妹らしい交流をしてこなかった両者の束の間の別れは、不思議なほど穏やかになされた。 「揚羽様にしては、ずいぶんと友好的でしたね? まあ、餞別と仰っていたので皮肉を交えた上での行動かもしれませんけれど」  馬車に揺られながら感想をもらす雛芥子に、椿姫は同意するよう頷いた。 「だとしても、贈り物のセンスは本物だった……あれはさすがに予想してなかったよ」 「そうですね。あれは姫様にとてもよくお似合いだと思います。これから先、蒼月との確かな絆として姫様の助けにもなりましょう」 「そうだね」  にこりと微笑んだ椿姫に、陽炎は淡々とした口調で切り込んだ。 「毒針の類が仕掛けられていないことは仔細に確認しましたので、安心してお召しください」 「え……調べたのか」 「はい」  しみじみとした惜別の空気をぶち壊しながら平然と答える陽炎に、二人は思わず顔を見合わせた。 「何か問題が?」  陽炎の何も察していない疑問に、椿姫は微妙な口調で答えた。 「問題って言うか、陽炎は姉上にはわりと友好的な方だと思っていたけれど」 「姫様に争っていただきたくないのは事実ですが、あちらの思惑までは読み切れませんので。姫様の御身に、何かあってからでは取り返しがつきません」 「心配してくれるのはありがたいけれど、さすがに姉上もそんな真似はなさらないと思うよ。そんなところまで警戒していたら、陽炎が疲れてしまう。もう少し、気を抜いた方が良い」 「俺は何ということもありませんが――」  陽炎は少し迷ったように言いよどんでから、改めて言い直した。 「揚羽様は姫様に対し、元々敵対心や第二王妃の子だからと見下すかのような感情はお持ちでないと思います。寧ろ姫様の方が、一方的に敵愾心を向けておられるかと」 「それはまあ、妥当な見解だね」  ケンカを売っているのは自分の方だと指摘され、椿姫はばつが悪そうに認めた。 「何故です?」 「何故って……第一王位継承権を持つのが姉上なのだから、それにとって代わろうと思ったら友好的になれないのはいた仕方ないことじゃないか」  当然とばかりに腕を組む椿姫に、陽炎はいよいよ疑問が深くなった。これまで側に仕えて初めて、何となく触れずにいたことに言及することになった。 「ですから、それこそ何故です? 姫様が国主になることにこだわるのは。権力欲など、微塵もお持ちではないくせに」  すると椿姫は言いにくそうに、ぼそぼそと口の中で呟いた。 「それは……だって、子供の時分からの夢なので」 「夢? 何かきっかけがありましたか」 「だって私、陽炎の……」 「俺の?」  思いがけぬところで自分の名が出たのでさらに踏み込んだが、椿姫は強制的に会話を打ち切ってしまった。 「とにかく! 姉上も一位の継承権を譲る気がない以上、私が余所で女王になれない限りはいずれ対立したとしてもやむを得ないよ。陽炎も、そのつもりでいて欲しい」  強めの口調でそう言われてしまうと、陽炎は得心が行かないままひとまず頷くしかなかった。
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