5.記憶の扉

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5.記憶の扉

 目の前に突如現れた背の高い屈強な男が、兵士を複数引き連れてこちらを包囲するように部屋の中央に陣取っていた。 「オクロック……」 「誰?」 「近衛隊長だ、軍事の実質的トップだよ」  エルダーの恐れるような呟きに、椿が納得して頷くと相手はこちらに一礼しながらもかなり高圧的な口調で続けた。 「殿下のお話は、こちらで聞かせていただきます。客人は速やかにお引き取りを」 「けれど今、エルダーが重要な話を……」 「だからこそです。国の問題は国の人間で解決いたします故」 「その道理は理解できる。けれど事態にいち早く気づいたのは私の側近で、発見を早めたことは間違いなく我々の功績だ」 「そのことについては、面目次第もございません」  むっとしながらも事実を認めたため、椿姫は食い下がった。 「だったらそれに免じて、室内に留まることだけでも許可してもらえないかな。口は開かずに大人しくしているから」 「何と言われようと、認められません」  取り付く島もないとはこのことで、縋るような視線のエルダーから引きはがされ、椿姫達は丁重にではあっても部外者として室外に放り出されてしまった。 「かなり妥協したつもりのに……まったく話が通じなかった」  不服そうな椿姫に、雛芥子は肩をすくめて見せた。 「恐らく事態に先に気づいたと表明されたことも、近衛としてのプライドに傷がついたのでしょうね。国防より腹いせの方が強かったように思います」 「つまらないプライドだね」 「仰る通りですわ」 「それよりここで突っ立っていても始まらないかと。いったん離れに戻りませんか?」  陽炎の提案に、椿姫は衛兵が固く守る扉を惜しそうに一瞥してから頷いた。 ***  そのまま放置されるのかと思ったが、どうやら城の機能が完全に停止したわけでもないようで離れの食堂に夕食の支度ができたとメイドが遠慮がちに室を訪れた。 「食事って言われてもな……」  国主が毒殺されたらしい状況で、同じ厨房で他人がこしらえたものを口にするのは気が進まなかったが、そういった対応に慣れ切っている二人が毒見については徹底すると言うので椿姫も仕方なく腰を上げることにした。廊下を進む際にさり気なくメイドに城内の事変について話を振ってみたが、当然ながら女王の死についてどころか何が起きているのかすら知らされてはいないようだった。 (況して、唯一の後継者候補が容疑者かもしれないなんて)  エルダーの子犬のような表情を思い出すと、とても母親を殺した後のようにも見えなかったけれど、印象だけで断じることもできないと椿姫は自分に言い聞かせた。 「特に問題ございません、安心してお召し上がりください」  陽炎と雛芥子がすべての皿を検分して、椿姫に勧めた。肉や魚も豊富だが全てに何かしらくどめのソースがかけられていて、シンプルな調理と味付けを好む椿姫の舌には重く感じられた。 「刺身が食べたい」 「生食の習慣がないようですから、それは難しいでしょうね」 「ここで暮らすのも苦難の道だな」  愚痴をこぼしながらも最後に運ばれた生クリームやフルーツをあしらったデザートは喜んで平らげた。コーヒーは陽炎も初めて口にするため、スプーンで口内に含んだ後に微妙な顔をしていたが、毒はありませんとカップを椿姫の側に戻した。お茶とは違って底も見えないほど黒く、それでも不思議なほど良い香りのするその飲み物が椿姫は気に入った。  お腹が満たされると、やはり叔母が亡くなっていた件とあの状況に考えが引っ張られてしまう。  正直、悲しいとか憤りを感じるほどにはベアトリクスの存在は身近ではなくて、冷たいと思われたとしても亡くなったと言う「事実」だけがそこにはあった。ただあの光景に、心の奥底で既視感のようなものを覚えたことに今になって気が付いた。 (何だろう? 何と似ていると思ったんだろう) 「姫様、どうかされましたか?」 「うん……ちょっと思い出しかけたことがあったんだけど、やっぱり駄目みたいだ。それより、叔母様は本当にエルダーに殺されたんだろうか?」 「何とも言えませんね、何しろ情報が少なすぎて」  陽炎のまっとうな言い分に頷きながらも、暇なので仮説を進めてみることにした。 「外から部屋の様子を探った時、中に第三者の気配は感じなかった?」 「それはまったく。抜け道の類もなかったと仮定すれば、見張りの目を盗んで部屋を出入りすることは不可能だったと思います」  陽炎の言葉を、雛芥子も補足した。 「毒は事前にワインに仕込んでおけば、他の者でも犯行は可能だったでしょうしね。そもそも毒を盛った当人がその場で眠り込むというのはあまりにも不自然です。それに――」  いったん言葉を切った雛芥子の、意味ありげな瞳に少々身構える。 「あの場でグラスは二つ使われていました。つまり私はエルダー様も、女王陛下と同じものを口にしたのではないかと思っています。二人が同じものを飲み、一人が死に一人は眠っていた。姫様は、これと良く似た状況をご存じでは?」 「それ、って……」  雛芥子の言葉に、椿姫は心を見抜かれたようでぎくりとする。 「さきほど仰った思い出しかけたこと、というのは恐らくそのことだと思います。姫様にとってはお辛い記憶ですが――今の事件と決して無関係ではない重要な手がかりかと」 「……!」  雛芥子の言葉に喚起されるようにして、記憶の扉がゆっくりと開いた。  それは幼い自分と母と、二人でテーブルに向かい合って座りお茶を楽しんでいる光景。 『見て、母上。綺麗なお菓子』 『そうね、とても綺麗ね。眺めてばかりいても何だから、そろそろいただきましょうか』  日差しが明るくお茶もお菓子も美味しくて、今が一番幸せだと思っていた。  ところが贈り物だという蒼月の美しい伝統菓子を食べた直後、意識がふっと途切れてしまった。  次に目覚めた時には自室のベッドに寝かされていて、丸一日以上経った後に感情を抑えた様子の父から母の死を告げられた。その後どれだけ泣いても喚いても、生きている母の笑顔を再び目にすることはできなくて、子供心に理不尽という言葉の意味を初めて真に理解した瞬間だったように思う。  菓子を届けた第一王妃の侍女が自害して、自白のような遺書を遺したことで犯人と確定されたものの、単独犯とは到底考えられなかった。大方の予測では王女二人を出産後にそれ以上子を生めなくなった第一王妃の青藍(セイラン)が、第二王妃であるリセリアが王子を生んで立場が危うくなることを恐れて殺害を企んだのではと考えられていたが、追及するだけの証拠もなくこの件は侍女一人の死亡で手打ちとなってしまった。  このことがあってから、椿姫の国主になるという目的の理由にいずれ公の場で第一王妃にこの時の犯行を自供させるというものも一時加わったのだが、精神の自浄作用のせいか今日まで忘れていたようだ。 「う……っ」 「姫様、こちらを」  急に溢れかえった情報に青ざめて口を押さえた椿姫に、雛芥子が水と嘔吐用の器を差し出したが、椿姫は器を押し返すと水のグラスを受け取って一口飲んだ。冷たい水が喉を通って胃の方まで伝わって行くと、吐き気は穏やかに引いて行った。 「大丈夫ですか?」 「うん……でも思い出した。確かに今回のことは、あの時のことに状況が似ている。同じ毒入りの菓子を食べたのに、私は眠って母上だけが亡くなった。とても偶然とは思えない」 「偶然でなければ何です? 目当ての相手だけに効果を発揮する毒、ということですか?」  当時のことを深く教えられていない陽炎の疑問に、椿姫は自身の記憶と先ほどの件を総合して答えた。 「いや、特定の相手だけに効くようなものはそもそも一般的に毒とは呼ばれないよ。でも先ほど、叔母様が亡くなった理由は毒殺だと専門家が言い切っていた。だから逆だと思う」 「逆……?」 「つまり死んだことが特異なのではなく、死ななかったことが異常なんだ」 「姫様とあの王子に、何か共通の理由があると?」 「きっとね。でもそれを確かめようにも、事情を知ってそうな母上も叔母様ももうこの世にいない。ここはどうあっても、エルダーの話を聞かなければいけないみたいだね」  過去のトラウマのせいでいくぶん弱っていた様子は影を潜めて、椿姫は生気を取り戻した瞳を信頼する側近二人に向けた。二人に向けた。
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