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仕事で遅くなっているのだろうか。それとも夜勤とか?
「大丈夫ですよ。今日は帰って来ないと思うんで」
「そっか。仕事、遅いのか」
「あー、そんなんじゃないですけど……」
「けど?」
「……実は、今親父に避けられてて」
「え、喧嘩でもしたの?」
「そんな感じです。俺の好きな人が男ってバレて大喧嘩して……今は新しい恋人の家に入り浸ってるんだと思います」
瀧野は一旦言葉を区切ると、躊躇いがちにこちらを見た。
「あの……こんなこと理人先輩に言うべきじゃないと思うんですけど……」
「うん」
「俺、今でも朱鳥さんのことが好きなんです。そんな簡単に忘れられなくて。でも親父はそれが許せないみたいなんです。自分が離婚して苦労した経験があるから、俺には優しい女性と結婚して子供を産んで、温かい家庭を築いてほしいって思ってるらしくて……」
この国で同性結婚はできない。結婚どころか付き合っていることさえ公言しにくい雰囲気がある。瀧野のお父さんがイメージするような、理想の家庭を築くのはまず無理だろう。
「男が男を好きになるはずがない、お前は呉内くんに助けてもらったっていう過去に囚われてるだけだって。もう大人なんだから、ちゃんと前を向いて広い世界を見てほしいって言うんです。でも広い世界を見ろって言うくせに、結婚のことしか頭にないのはおかしいだろって言ったら、めちゃくちゃ怒られて……」
男が男を好きになるはずがない。そう思う人がいることはわかる。俺だって一年前までは自分が男を好きになるなんて想像もしなかった。自分の恋愛対象は女で、抱かれる側じゃなくて抱く側だと決めつけていた。
でも、今は人が人を好きになるのに性別は関係ないと思っている。男だから好きなわけでも、女を嫌いになったわけでもない。
俺は朱鳥さんだから好きになった。たまたま好きになった相手が男だった。ただそれだけだ。
「はじめは俺も言い返してたんですけど、だんだんわからなくなってきちゃって。親父はずっと俺を大切に育ててくれました。離婚したあともすごく気にかけてくれましたし、俺が幸せになることが自分の幸せだって言うんです。だからそんな親父のあんな顔見たら、俺が間違ってるのかなって……」
瀧野は両手を組んで、涙を堪えているようだった。
「俺はさ……何が正解とかわかんねえけど、お前が自分の気持ちを否定する必要はないと思うよ」
「理人先輩……」
「俺だって朱鳥さんと付き合う前は、自分の感情がよくわからなかった。同性を好きになったことなんてなかったし、男が男に恋しても不毛だよなって思ってた。でもさ、いざ諦めようとしたとき、すごく悲しかった。恋愛関係で泣きそうになったのはあれがはじめて」
去年のクリスマス、深月とベランダで話したことを思い出す。雪の降る中、男の自分が朱鳥さんにプレゼントを渡すなんてバカらしくて、何やってるんだろうって。
でもあのとき、深月は俺の気持ちを否定しなかった。男なんて好きになっても意味ないとか、間違ってるとかそういうことは言わなかった。
ただ、俺の幸せを願ってるって。
「今は誰が誰を好きでもいいと思ってる。幸せの形なんて人それぞれだからさ。同性愛はたしかに周りから色々言われるけど、せめてお前だけは自分の気持ちを大切にしろよ」
朱鳥さんと付き合ってる俺が言うのも変な話かもしれなけど、『好き』っていう感情を持つのは自由だし、誰かが否定していいものではないと思う。
「……俺、朱鳥さんを……男を好きでもいいんですかね」
「いいも悪いもないって。それが瀧野の気持ちだろ」
きっとこれから先、俺は朱鳥さんとの関係で壁にぶつかるときが来るんだろう。でも、俺が『朱鳥さんを好き』って気持ちだけは何があっても守るつもりだ。
俺がいないと朱鳥さんが幸せになれないように、俺も朱鳥さんがいないと幸せになれないから。
「自分の人生の選択は、自分が幸せなほうを選ぶべきだと思う」
たとえそれが、他の人とは少し違っていても。
テレビ台に置かれているデジタル時計を見ると、とっくに日付を超えていた。その横に瀧野の大学の入学式の写真が飾ってあった。隣にいる人はたぶんお父さんだろう。二人の笑っている顔がとても幸せそうに見えた。
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