1 春

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 大学のあとカルラで閉店時間まで働き、マンションまでの道のりを歩く。今日は金曜日なので朱鳥さんの部屋に泊まる約束をしている。  付き合った当初は、バイト終わりに朱鳥さんに迎えに来てもらうこともあったが、仕事終わりに料理をつくってもらっているうえに、迎えに来てもらうのはさすがに申し訳なくて、最近は一人で帰るようにしている。  マンションに到着し、エントランスに入ろうとしたところで、駐車場のあたりから人の話し声が聞こえてきた。 「朱鳥のこと……」  その名前が聞こえた瞬間、足を止めた。周囲を見回すが誰もいない。おそらく駐車場内で話しているのだろう。  エントランスを通るのを止めて、隣の駐車場を見ると、出入り口から近い場所に、朱鳥さんともう一人誰かがいるのが見えた。  近くの車に身を潜めて、二人の様子をうかがう。朱鳥さんより背の高いその男は、じっと目を凝らして見てもまったく見覚えがない人物だった。スーツ姿ではなく私服を着ており、シルバーの車を背に、朱鳥さんの隣に並んで話している。職場の人でなさそうだ。  ……誰だ? 「なあ、頼むって! 俺らの仲やん?」  男は朱鳥さんの背中に馴れ馴れしく手を回す。朱鳥さんはその手を振り払うともしない。京斗さんともあんなふうに至近距離で話しているのは見たことがない。それだけ朱鳥さんとあの男は仲がいいのか。  胸の辺りを小さな針で刺されたような感覚がある。 「なあ、わかるやろ? そんだけお前のことが好きなんやって」    その言葉を聞いた瞬間、頭が真っ白になった。男は朱鳥さんに顔を近づけ、もう一度同じ言葉を吐いた。  二人のやりとりを見ていられなくて、なるべく足音を立てずに、逃げ込むようにエントランスに入った。エレベーターが来るのも待たずに階段を駆け上がる。    三階にたどり着き、そのまま廊下を全力疾走し、勢いに任せて自室のドアを開ける。靴を脱いで倒れるようにソファに座り込んだ。 「……何だよ、あれ」  朱鳥さんが知らない男といた。ただそれだけのことなのに、頭の中がぐちゃぐちゃになって気分が悪くなる。  そもそも俺は朱鳥さんの交友関係をほとんど知らないんだ。相模の彼女みたいに、もしかしたら幼馴染みがいるのかもしれないし、単なる学生時代の友達だという可能性もある。  でも、好きって言ってたよな。それに友達にしては距離が近いような気がする。    ……もしかして元カレ、とか?  北川さんは朱鳥さんに束縛が強い元カノがいるような話をしていた。でも本当は彼女じゃなくて彼氏だったのかもしれない。関西弁だったから、わざわざ東京まで追いかけてきたとか?  考えれば考えるほど胸の奥がもやもやする。たとえ元カレでも今朱鳥さんと付き合ってるのは俺なんだから、気にする必要はない。こっちだって同じ大学に元カノがいるが、朱鳥さんは大して気にしていないようだったし。  そう思うのに、どうしても部屋から出ることができない。このままここにいても意味はないとわかっているのに、駐車場にいた二人の姿を思い出すと、足が縫い付けられたように動かない。  ただ知らない男の人と話しているのを見ただけで、こんなに感情がかき乱されるなんて、俺らしくもない。  どうしよう。バイトのあとは朱鳥さんの部屋に行く約束をしているのに、今は会いたくない。会ったらあの男の人のことを問いただしたくなる。いちいち誰かといるのを見かけるたびに、そんなことをしていたらきっと面倒に思われる。でも、何も見なかったように接する自信もない。 「はあ……何やってんだろ……」  自分で自分が嫌になる。とにかく約束した以上、朱鳥さんの部屋に行かなければならない。遅くなると心配をかけるし、ここで長時間悩んでいる場合ではない。 「……行くしかないよな」  朱鳥さんと付き合っているのは俺だから、絶対に大丈夫だ、と必死に言い聞かせていると、ソファから降りるのを後押しするように、スマホからチャットの通知音が聞こえた。
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