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1 春
大学二年に進級し、朱鳥さんも帰国した。彼女がいたときは、会うのは週に一、二度程度でもよかったが、今は金曜の夜から朱鳥さんの部屋に泊まり、たいていは日曜の夜か月曜の朝まで一緒にいる。
俺も深月みたいに朱鳥さんの仕事に合わせて、土日のバイトを休みにしたい気持ちはあるが、人数の少ないカルラでそれをするのは厳しいものがある。なので、土日に朱鳥さんとのんびり過ごせなかったときは、平日に会うこともある。
マンションが同じなのですぐに会えるし、これ以上ないほどの幸せな時間を過ごしているのだが、不安要素がまったくないわけではない。
「教授の話、いつもに増して長かったね」
「だな。せめて講義の内容に関係ある話にして欲しいわ」
「マジで寝るかと思ったからな」
「いや、近野は寝てただろ」
いつも通り午前の講義を終えて、深月と近野と相模と食堂に向かう。教授の話が長かったせいで、講義が五分おしてしまった。食堂に着くころにはすでに長蛇の列ができていた。
空いている席にコートを置いて、列に並ぶ。今日は何を食べようかと深月たちと話していると、後ろから声をかけられた。
「あ、先輩たち、お疲れ様です!」
「お疲れ様ですー!」
振り返ると、俺たちの後ろに三人の女の子が並んでいた。三人とも同じ学科の一年生だ。俺は目を合わせるのが気まずくて、適当に挨拶をしてすぐに前を向き直る。
「先輩たち、今日は何食べるんですか?」
「あー、まだ決めてないんだよな。俺的におすすめはカツ丼とオムライス!」
ショートヘアの女の子の質問に、すかさず近野が対応する。深月は会話をする気がないのか、前を向いたままスマホを触っている。
「カツ丼かあ。ちょっと重そう……八月一日さんは何食べるんですか?」
「え、あー、オムライスかな」
まだ何を注文するか迷っていたが、近野がオムライスの話をしたので、オムライスが食べたくなってきた。たしかにこの食堂のオムライスは美味しいが、食べるようになったのはつい最近だ。
「ここのオムライスってふわとろでめちゃくちゃ美味しいんだよな」
近野が大袈裟に頷きながら、俺もオムライスにしよう、と相模と話している。相模はラーメンにするらしい。深月はだいたいいつも、カレーか定食かうどんだ。
「でも、理人くんって、オムライスは包んでるほうが好きだったよね?」
三人のうちの一人、黒髪のボブヘアの女の子がそう言った。最後に見たときより少しだけ大人っぽくなっている斎川彩音は、俺が高校三年の冬に付き合っていた女の子だ。つまりは元カノ。
再会したのは新歓の飲み会のときだった。俺が店に着いたときは、離れたテーブルに座っていたため、斎川がいることにまったく気がつかなかった。
声をかけられたのは、飲み会がはじまって一時間半が経ったころだ。深月と二人で席を立ってトイレに行き、座敷に戻る際に同じくトイレのために座敷を出た近野と会い、三人で立ち話をしていた
「理人くん」
声をかけられたとき、彼女の顔を見てもはじめは誰かわからなかった。背中まであった髪は首元まで短くなっており、ほぼすっぴんだった顔はきちんと化粧が施されていた。
「……斎川?」
はじめはたまたま同じ居酒屋に来ていたのだと思ったが、彼女が俺と同じ学科に入学したと聞いたとき、背筋がぞっとした。
「理人、斎川ちゃんと知り合い?」
「え、あー、まあ」
「高校時代、理人くんと付き合ってたんです」
何の躊躇いもなく斎川は言った。
「は!? まじで!? え、理人、こんな可愛い子と付き合ってのか!?」
可愛い子に目がない近野が大声で話す。どうやら芸能人並みに可愛い子が入学してきたというのは、斎川のことらしかった。
彼女とは高校三年のときに付き合い、俺が大学に入学して一ヶ月後に別れた。受験勉強が忙しくてなかなか時間が取れないと言われ、向こうの都合に自分の日程を合わせるのが面倒になって別れた。もう一年も前の話だ。
ただの元カノなら、同じ大学で再会してもよかった。気になったのは、斎川が志望していたのは光条大学ではなく、聖洋女子大学だったことだ。
俺が通っていた高校は進学校であり、斎川はその中でも常に学年トップだった。聖女は偏差値が高い大学として有名だが、斎川なら入学は確実と言われていた。それでも彼女は絶対に首席で入学したいと、高校二年の春休みからずっと受験勉強をしていた。
それなのにどうして俺と同じ大学に入学したのか。受験に失敗したとは思えない。入学確実と言われ、あれほど必死に勉強していたのに、わざわざ光条大学に入学した理由がわからなかった。
「これからもよろしくね、理人くん」
斎川はつくりものみたいな笑みを浮かべると、俺の横を通り過ぎて行った。
そのあとしばらくは近野に斎川との関係を詰められ、次に大学に行ったときには、なぜかほかの学生にも関係を知られていた。
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