波多織姫

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「それにしても二本脚とは。珍しいのう」  触角があちこち探っている。怖気をこらえ、六郎は唯一自由になる口を開いた。 「失礼! いたしまっす! 堂々たるお姿よりあなたさまはこの山の主、あるいは神霊の御一柱とお見受けいたしました! 本来ならば地に伏して拝みたてまつるべきところ、このようなお見苦しい格好にて御前にさぶらいますこと、まことにまことに申し訳なく、心よりお詫び申し上げるほかございませぬ!」  突然の饒舌ぶりに驚いたのか、蜘蛛が動きを止める。六郎はここぞとばかりに話し続けた。 「名乗るのもおこがましゅうございますが、わたくしめは下村の六郎と申します。して、あなたさまは」 「……わらわは波多(はた)織姫(おりひめ)じゃ」 「おお、お(ひい)さまでございましたか! されど納得の高貴のご気風、なんと有難き出会いでしょう。わたくし、村に帰りましたあかつきにはこの僥倖を記念して、あなたさまをお祀りする(やしろ)を建てることに決めました。またこのことは子々孫々までも語り伝え……」 「待て。帰すとは言っておらぬ」  図々しい六郎に、波多織姫はとうとう口を挟んだ。 「だいたい先ほどの騒ぎ、聞いておったぞ。そなた、村を追放されたであろう」 「おっとご慧眼、おみそれしました! 白状しますとこの六郎、村の鼻つまみ者にございます。見てのとおりの痩せ具合、取って食おうにも食える部分がございませぬ。それにこの数日は体も洗っておりませんから汚のうございます。それにそれに、先ほどより小便が溜まって漏れそうですし、実を言えばもうすでに少し漏れておりますし」 「黙れというに」  ああ言えばこう言う六郎を、波多織姫はうんざりした口調でさえぎった。 「そなたのような下衆、はなから食す気もせぬわ。しかし二本脚はなかなかに器用と聞く。六郎とやら。最近、わらわの背に小虫が取りついたようで、わずらわしくてならぬ。虫どもを退治するなら生かしてやるが……」 「もちろんです! 喜んで退治させていただきます!」 「……調子のいい奴よ」  波多織姫の前脚が少し動いたかと思うと、六郎をいましめていた糸がするする解けた。 「こちらへ来や。縦糸を踏めば(ねば)つかぬ」  そんなからくりがあったのか、と感心しつつ、六郎は波多織姫におっかなびっくり近づいた。差し出された脚の一本にしがみつき、必死によじ登る。その先はちょっとした広場であった。 「お背中、失礼いたします。さて、小虫とやらは……」  言いかけて、六郎は絶句した。波多織姫の背中の、岩肌のような凹凸の影から、ドブネズミ大のの群れがわらわら出てきたのである。 「気をつけよ、そやつらは噛むゆえ」  姫の助言もむなしく、それからしばらく絶叫が穴の中を響き渡った。
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