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くぐもった悲鳴とともに巣が大きく揺れる。昼寝していた六郎は、はっと目を覚ましてつぶやいた。
「かかったか……」
波多織姫の巣穴は、姫の狩場でもある。仕掛けなど何も無いように見えながら、獲物が定期的にかかるのだ。それは鹿や猪、ときには大きな熊でもあった。
網はまだ揺れている。獲物の身動きが取れなくなるにつれて揺れも弱まるが、やがて疲れ果てた獣が動きを止めても、はあはあと荒い呼吸の振動は糸を伝わってきた。そして最後に、網はぶるぶる震えはじめる。獲物の前に、巣の主――波多織姫が現れたしるしだった。
糸は、あまりにも生々しく狩りのもようを伝えてくる。六郎はいたたまれずに巣穴を離れた。いつもよりも明るく感じられる陽光の下、山道を適当に歩き回る。涼やかな緑の風が吹き抜けてきて、ようやく人心地のついた気がした。
「たよは、息災かなあ」
気が抜けたせいか、思わずなじみの女の名前が口をついた。
「それにミツ、しず、イシにおカメ、お松姐さん……竹山のおかみさんも……」
女の名前を唱えるように歩いていると、ふいに乱暴な物音が聞こえてきた。
「何者!」と野太い声が上がる。返事をする間もなく、六郎は現れた男たちに取り押さえられた。
「なんだ、こやつは」
「怪しい奴め。本当にヒトか?」
十数人はいるだろうか。甲冑を身に着け、それぞれが刀や槍をさしている。サムライだ……! 這いつくばらされて目を白黒させている六郎の前に、一人の男が進み出た。
「お前は村のものか?」
いっとう身なりの良いその男を大将と見た六郎は、ここぞとばかり頭を上げた。
「いやいや、わたくしめはこの山にすむしがない杣(木こり)でございます! どうか命ばかりはお助けを! わたくしなんぞ切っても、御刀の錆びになるだけのことにて!」
「うるさい!」
後頭部を蹴られ、舌を噛みそうになり口をつぐむ。サムライ大将は気にも留めずに話し続けた。
「杣にしてはひ弱なようだが、まあよい。我らはこの山に住むという、鬼蜘蛛を退治しに来たのだ」
「えっ」
六郎の反応に、大将は身を乗り出した。
「お前、怪物の居所を知っておるのか」
周りのサムライたちも目つきを変える。六郎はつばを飲み込んだ。
「ええと、まあ……。しかしその、鬼蜘蛛とやらはどんな悪事を働いたのでございましょう?」
「なにを馬鹿なことを!」
そばに立つサムライが、吐き捨てるように言った。
「鬼蜘蛛は悪の化身と相場が決まっておる。それを退治しようというのだから、何の理由がいる!」
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