波多織姫

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 複数人の争う声が聞こえたかと思うと、若い男がひとり、穴の中に投げ出された。 「六郎(ろくろう)め、ざまあみろだ!」 「人のモンに手ぇ出しやがった罰だぞ!」  穴の口からは次つぎに罵声が飛ぶ。だが落とされた男――六郎に言い返す余裕はない。悲鳴を上げながら、そのまま八(ひろ)も落ちた。  死ぬ、死んだ……! 次の瞬間、六郎の体は何か(きれ)のようなものに受け止められた。勢いのままぐっと沈み込んだかと思うと、反動で跳ね上がる。何度も上下動を繰り返した末に、とうとう静止した。 「助かった……」  激しく揺さぶられたせいでめまいがする。六郎はぶるぶる震える体を叱咤して、起き上がろうとした。  そして、そうできないことに気づいた。どうやら六郎の命を救った(きれ)のようなものは網目状になっており、手足がそれに引っかかっているのだ。何とか抜け出そうともがくうちに、網はさらに絡まった。しかも表面には松脂のようなものが塗ってあるらしい。網をつかんで引き離そうとした拳が、そのまま開けなくなってしまった。 「おおい!」  六郎は、穴の口に向かって叫んだ。 「旦那がた、助けてくださいよお! こっちはもうこのとおり、手も足も出ない状態になっちまいました! バチなら充分、当たったと思うんですがねえ!」  いくら呼びかけても返事はなく、あたりにこだまするばかりである。六郎はしばらく耳を凝らしていたが、しまいに舌打ちした。 「チッ、ビビって帰りやがった。しかしどうしたもんか、ここには助けになる(おなご)の一人もいねえしなぁ……」 「おやそなた、おなごを探しにまいったのかえ」  真っ暗な穴の中で、突然発せられた声は涼やかだった。ぎょっとした六郎は口を閉じ、身動きをやめた。だが網は揺れ続ける。六郎自身の動きとは異なる静かな、ゆったりとした振動が、何か巨大なものの到来を伝えていた。  は、暗闇の中から現れた。油を引いたように光沢のある八つの目と、かぎ爪のような口器を備えた顎。いくつもの節に分かれた八本の脚が小山のような体を支え、その全身が黒く厚い殻によろわれている。  巨体に見合わぬ身軽さでするすると網を伝い、それは六郎の上に身を乗り出してきた。前方に生え出た一対の細い脚――それとも触角か――が伸びて、網でがんじがらめになった体に触れる。呆然としていた六郎は、そこで我に返って悲鳴を上げはじめた。 「やめい、かしましい」  巨大な蜘蛛はぴしゃりと言った。
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