エピローグ「X= 」

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エピローグ「X= 」

 時に、人間関係は果実に似ている。  温まり、熱を帯びて熟した後は必ず、冷えて乾いて朽ち果てるのだ。  永遠は無い。移ろう季節とともに人の関係もまた、変化していくものである。  ──ならば、いつまでも心の片隅に彼女を思い描いてしまう俺は。朽ち果てたモノに固執している、愚か者なのだろう。  春は芽吹き、新たな季節がやってきた。   並木道では鮮やかに桜が舞っている。  辺りを見渡せば、街行く人々の笑顔が咲いている。  あまりに眩しすぎて、目がつぶれそうだ。  それが大学生活四年目、最初の所感であった。  場違いな通学路を歩く、歩く。  歩けども、歩けども。世界が俺だけを置いて行っているような気がした。  大学四年にもなって中二病だろうか。笑いたいけど、笑えない。 「ゆーうっ!!」  なんて具合に感傷に浸っていると、背後からバシっと肩を叩かれた。 「いてぇ」 「もー! 元気ないなぁー! そんなんだと元気ないオバケが出るぞ?」 「勝手にもったいないオバケの親戚作んな」  無論、謂れなき暴力の犯人は楓であった。 「つーかお前、なんでこんなところに居るんだ? 心理学科は授業明日からだろ?」 「いやー、ちょっと今日は自由参加のセミナーがあってね。卒業研究の進め方の説明とかあるみたいだから、出とこうかなって思って」 「……マ?」 「マジのマ。大マジのマ」 「……え? お前、どっかで頭打ったのか?」 「し、失礼な! これでも最近はパチンコ行ってないんだからねっ! 私なりに意識は変わってるんだよ!? 褒めろ!!」 「褒めるハードルが跨げるくらい低いな」  しかし、意識が変わっているのはどうやら本当らしい。まさか強制参加のイベントすらサボっていた楓が、自由参加のイベントに自ら出るとは。感心を通り越して少し怖い。 「ていうか、優? 私の頭見て、なんとも思わないの?」 「あ? いつも通りパッパラパーだが、それがどうかしたか?」 「ちっがーう! 中身じゃなくて、髪の話! ていうかパッパラパーじゃないし!!」  不機嫌そうに、ムスリと頬を膨らませる楓。自らのこめかみに指を当てる。 「あー、髪の話か? うん、黒いな」 「いや、反応うっす! 髪色変えたんだよ!? もう少しリアクションあってもよくない!?」 「黒髪のお前なんてガキの頃に腐るほど見てるからな。今更新鮮さなんて無い」  よくよく見ると、髪色を変えただけではなく、ピアスも外れているようだ。  なるほど。リクルートスーツを着ても違和感が無いようにしたってわけか。 「……お前、本当に変わったんだな」 「ま、いつまでも優のご飯が出てくるわけじゃないしねぇ。私もそろそろ頑張んなきゃ、みたいな?」  「頑張る理由そこかよ」  だが、理由はどうあれ前は向いているようだ。俺と離れるのが云々で悩むのは、もう辞めたらしい。  安心して、同時に羨ましくもなった。 「あ、ごめん。私、割と時間ギリギリだから先行くね?」 「ああ、行け行け。どこにでも行っちまえ」 「うわー、相変わらずヒッドーい。まあ、もう慣れっこだけどぉー」  微かに笑みを浮かべながら、幼馴染は背中を向ける。  迷いのない真っすぐな佇まいが誇らしく、そして、少し寂しくなった。 「おい楓、ちょっと待て」  だから、だろうか。無粋だと分かった上で、俺は彼女を呼び止めた。 「ん? なにー?」  振り返り、足を止める楓。  風になびく黒髪が、やけに輝いて見える。 「お前、やっぱ黒の方が似合ってんぞ」  なので。ずっと思っていた、取るに足らぬことを。なんとなく告げてみた。 「もぉー。だったら、もうちょい早く言ってくれれば良かったのに」  口を尖らせて、少し拗ねる彼女。  ──でも、それは、たった一瞬で。 「えへへ、やっぱ染め直して正解だったねっ!! あんがと! じゃ、行ってくるから!!」  満面の笑顔で告げた彼女は、再びくるりと身をひるがえして、駆け出していた。  みるみる小さくなってゆき、やがて見えなくなるであろう背中を見つめる。 「美しい変化、か」  なぜか、不意に。『楓』の花言葉を思い出した。 ◆  春の陽気は人の眠気を誘い、夢の世界へ連れていく。  要するにというか、陽するにというか。とかく初日の授業は、全くもって頭に入らなかった。真面目くん評価をしてくれた教授陣には申し訳ない限りである。  放課後。どこか夢うつつな心持ちで、久方ぶりにバイト先へと向かう。今日から晴れて塾講師に復帰だ。まだ見ぬ新たな生徒と歩む日々が、当たり前のように始まっていくのである。  ……だというのに。 「チクショウ。なんだよ、コレ」  ビルの入口を前にして、足が止まる。リスタートしたい心とは裏腹に、身体が上手く動かない。  それもこれも──全部、(アイツ)のせいだ。  例年なら試験後に担当生徒から塾に合格報告が入るというのに、今年は何度ヒゲに聞いても、『神楽坂家からの合格報告は無い』とぬかしやがる。いつまで経っても、アイツの合否は不明なままだ。  契約上、直接家に出向くわけにも行かない。榊原教授も『受かったかどうか聞いていない』と言う。現状では合否の確認手段が皆無なのである。  おかげで、ここ最近はずっと消化不良な日々だ。こんなに悶々とした春休みは初めてだった。  ……そう。初めて、なんだ。  こんなに、ずっと誰かのことを考えていたのは。  今でも、誰かのことを考え続けてしまうのは。  過ぎたことをこれほど思い続けるのは、生まれて初めてだった。 「ああ、クソっ! なんなんだよ、この感情!!」  胸に渦巻く、正体不明。  分からない。  ──寂しい。  分からない。  ──会いたい。  分からない。  あの笑顔をもう一度──  知らない。知らない。こんな感情は、知らない。  いらない。知りたくもない。  教師と生徒。絶対の契約。  それが切れた途端、胸に訪れた、この気持ちを。  辛くて、苦しくて。それでも、なお燃え上がる、この感情を。  消したくても、消せない。  それはまるで、俺を過去に縛る足枷のように。  未来に進もうとする俺の、邪魔をする。  ああ、だから。 「誰でもいい! 誰でもいい……! せめて、この感情に名前をつけてくれよ……!!」  分からないのは怖いから。  せめて誰かに、名前を教えて欲しかった。  ──そして。  「それは多分、恋なんじゃないかな?」  それは、あまりに突然で。到底理解など追い付くはずもなく。 「……は?」  けれど、振り返って目に映ったのは、確かに。 「ん? どうしたの? 鳩が豆鉄砲喰らったみたいな顔して。あ! まさか二ヶ月会ってないだけでアタシのこと忘れちゃった!? ひっどーい! 傷ついちゃうぞ?」  忘れられない、忘れるはずもない。  懐かしい、笑顔だった。 「お前……お前……お前……俺が、どれだけ心配したと思って……!」 「あれ? あれあれぇ? もしかしてセンセー、泣いてる? アタシに会えたのが嬉しすぎて、泣いちゃってるの?」 「う、うるせぇな!!」  思わず膝から崩れ落ち、地面に手をつける。  安堵、歓喜、微かな怒り。感情が入り乱れて、涙が止まらない。 「ふふふ。よしよし、良い子良い子。センセーは良い子だねぇ。二ヶ月もアタシに会えなくて寂しかったでしょ? よく頑張ったね、ゆーう君っ♪」  元教え子の生意気が臨界点を突破。情けなく地べたに這いつくばる俺の頭にポンポンと、柔らかな手の感触が伝わった。  「だ、誰が、ゆう君だ! つーかお前、その恰好はなんなんだよ! あー、もうワケわかんねぇ……! とりあえず全部説明しろよ!!」  なぜかスーツの彼女が俺の前に立っている。今の俺に分かるのは、それだけだった。 「えー、どうしよっかなぁ。どうせアタシ、金目当ての元教え子だしなー。まあ、センセーが『繭様お願いします』って言ってくれたら、説明してあげなくもないけどぉ」 「お、お前……以前にも増して生意気になってないか……?」  口から出まかせで告げた『給料目当て』という言葉を、今更ながら後悔する。  まさか時間差で、しかもこんな形で、カウンターを喰らおうとは…… 「ざーんげっ! はい、ざーんげっ!!」 「あー、もううるせぇな! 分かったよ! 言やぁいいんだろ!」  そして。過去最大級の屈辱を感じつつ、俺は告げる。 「ま、繭様、お願いします……どうか俺に、再会の経緯を説明してください……」  瞬間。ただでさえ入り乱れていた感情に、ギネスレベルの羞恥が加わった。 「ふっふっふ! そっかそっか! そこまで言われちゃあ仕方ない! 説明してあげるねっ!!」  元教師を屈服させて、さぞご満悦なのだろう。最高で最悪の笑顔を見せつけながら、彼女は俺を指差した。 「説明しようっ! ご存じ、アタシの名前は神楽坂繭! ピッカピカの西九州大学一年生! そして、今日からセンセーと一緒に働く新人塾講師です!」 「は? え? いや……はぁ!?」 「あ、そうだ。今は、こう呼んだ方がいいのかな?」  言うと彼女は、悪戯な笑顔を保ったまま、 「──今日からよろしくね? セーンパイっ♪」  パチリとウインクを決めながら、敬意の欠片も無い挨拶をしてきたのであった。 「ご、合格してたのか、お前……」 「うん。まあ、塾長さんとパパとママには口止めしてたけどね。センセ、じゃなかった。センパイにサプライズしたかったし」 「サプライズというより、どっちかっつーとハプニングなんだが? あと新人講師ってのは、どういうことだ……?」 「春休み中に面接受けた。合格した。そんだけ」 「そんだけって、お前。どうして塾講師なんかに?」 「それは……目標を、見つけたから。センパイのおかげで、やりたいことが見つかったからだよ」 「やりたいこと? なんだよ、それ?」  なんて、真っ当な疑問を投げかけた刹那。 「んふふ、それはね?」  悪魔のようだった彼女の表情は、瞬時に天使のような微笑みに変わっていて── 「センパイみたいに、誰かを照らせる希望の光になりたい。それが今のアタシの目標!!」  初めて目にした、その表情は。  俺を導く灯をともしているのではないかと、思えるほどに。 「希望の、光……?」  ──まばゆく、美しく。そして何より、輝いていた。 「一緒に海に行った時、センパイ、言ってくれたよね? 暗闇の中にも必ず小さな光はある。それを探す努力をしなさい、って。でもね? 探さなくても、アタシの傍にはずっと希望の光があったんだよ? 不器用で、でも暖かくて。いつもアタシを見守ってくれる光が、アタシの隣にはずっとあったんだよ?」  「違う! 俺は、俺は、そんなんじゃ……!」 「違わない。違わないよ。アタシのウミホタルは、ずっと櫻田優作だった。あなたが居たから、アタシは迷って、つまづいても、最後まで頑張ることが出来たの」  瞬間、微かに瞳を潤ませた彼女は── 「あのね? アタシは今、生まれて初めて。そんなあなたに、全力で恋をしてるんだよ?」  ──真っ赤に頬を染めて、照れ笑いを浮かべていた。 「今は元教え子ってしか思われないかもしれない。でもアタシ、めいっぱい頑張るよ? あなたとの理想の未来を夢見て、今を頑張るから! えへへ、覚悟しといてよねっ!!」  そこにはもう、恐怖に苦しむ少女の姿は無い。  俺の目に焼き付いたのは、堂々と宣戦布告を決める乙女の笑顔だった。  ああ、なんということだ。俺は勘違いをしていた。  確かに人間関係は果実と似ている。  けれど、朽ち果てて終わりではないのだ。  朽ち果てる前には必ず種が残る。新しい季節を迎えると、種は芽を出し、根を張っていく。  そうして、一度終わったものも、また別の形で始まっていくのだ。  人と人のつながりってのは、多分そういうものなんだろう。 「さ、行くよ! センパイ!!」  空を舞う蝶のように、軽やかに彼女が俺を(いざな)う。 「ああ、そうだな。いつまでもこうしていちゃ、遅刻しちまう」  柔らかな手を取ると、浮き足立つような心地になった。地に足を着けて現実主義に生きてきたはずの俺も、今だけは夢心地で。心が身体を置いていくように、ふわふわと宙に浮かぶような感覚になる。  どうやら俺は根拠もなく、柄にもなく、彼女と歩む未来に期待してしまっているらしい。  いうまでもなく、この胸に抱く正体不明は、正体不明ではなかった。ただ俺は、答えを知らないふりをしていたかっただけなのだ。その感情を忘れたくて、間違いであると否定したかった。  しかし恋愛教師曰く、人の心は論理では解き明かせないらしい。  不確実で、次第に変化していく。だからきっと人間は、時に思いがけない感情を抱きながら生きていくこともあるのだろう。  感情には、正解も不正解も無いのだ。  ──だから今、この瞬間。俺はこの暖かな気持ちに、自分で名前をつけるとしよう。 「えへへ。また手、繋いじゃったね?」  春、咲き誇る、並木道。  羽ばたく君に、『恋』をした。                  (了) 
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