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なにはなくとも、季節は巡る。さすがに十月ともなれば灼熱の太陽も自重を始めたようで、長崎市内は随分と過ごしやすい気候になってきた。
教え子の夏服は、袖が伸びて冬服へ。窓を開ければコオロギの音が鳴り響き、まさにザ・秋といった様相である。食欲の秋、読書の秋、エトセトラエトセトラ。やたらと忙しない季節の始まりだ。
「さて、今日も授業を始めるか」
かといって、俺たちのやることが変わるわけでもない。多種多様の秋があろうと、受験生は皆、勉強の秋。アクセルを緩めるわけにはいかない。
「……そだね、始めよっか」
が、それはそれとして。今日の教え子は少し、元気が無いように見えた。
「どうした? 学校で何かあったか?」
「あ、えっと、その……先月受けた模試の結果が、今日返ってきてね? そしたら、思ったより点数が伸びてなくて。えへへ、ちょっとヘコんでるかも」
なるほど、そういう。
「まあ、なんだ。確かに努力の成果がすぐに出なくてヘコんだり、焦ったりする気持ちは分かる。だから気にするな、とは言わない。そういう感情を押さえつけるのは、かえって逆効果だからな」
「う、うん」
「でも、気にしすぎることはない。一回点が取れなかったからって、慌てて自分を追い込む必要も無い。多分、お前はまだ知識を上手く使いこなせていないだけなんだよ。だから今まで通り、自分のペースでやっていけばいい。力は確実についているし、そのうち結果もついてくるさ」
ただの気休めではない。これは、合格のための下地はしっかりできているという根拠に基づいた、俺なりのアドバイスだ。時間はかかるかもしれないが、いずれ合格圏内の点数を取れるという、ある程度の確信は持っている。
「そ、そうだよね。アタシ、がんばってるもんね! たった一回ダメだったくらいで、クヨクヨなんてしてられないよね! また次があるもんね!」
曇っていた彼女の表情に、再び明るさが戻った。
「おう、その意気だ。じゃあ、今日は模試の復習から始めるとするか。まずはできなかった問題をできるようにすることからやっていこう。なんでも質問してこい」
「うん、分かった! アタシ、もっとがんばる!」
頬に両手を当てて、「ふん!」と気合を入れなおす神楽坂。
それは、いつも通りの彼女だった。作り笑いをしている様子も無いし、何かを隠している気配もない。教え子としては、至って平常運転だ。
しかし、この時。ほんの少しだけ。俺は違和感を覚えた。
「よーし、やるぞー!」
教え子としては張り切っているが、なんとなく恋愛教師としての側面が薄れているような気がして。本当に少しではあるが、胸にひっかかるものがあったのだ。
結局この日、俺は『女心の理解度』を採点されることは無かった。
だが、やっと普通の生徒になってくれたのだろう、と。特にそれを気にすることもなく、俺は小さな違和感を見なかったことにした。
──その怠慢が、後で自分の首を絞めることになるとも知らずに。
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