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十月下旬、某日。いつも通り神楽坂邸にて顔を合わせた俺たちの間には、いつも通りでない雰囲気が流れていた。
「ご、ごめん、センセー……」
ノックをして、部屋に入った瞬間。俺の目の前に現れたのは、直立不動でスカートの裾をぎゅっと握りしめ、涙目で俯く教え子だった。
「ど、どうした? とりあえず話を聞かせてくれないか?」
何事か、と。膝を折って、少し背丈の低い彼女と目線の高さを合わせる。
「テ、テストがね、返ってきたの。二学期前半の模試結果がね、今日全部揃ったの」
唇と声色を震わせ、懸命に言葉を絞り出す神楽坂。
「でも……ダメだった。ぜんぶ、ダメだった。あんなにがんばったのに、ダメだった。あんなに先生が親身になってくれたのに……えへへ、夏前と比べて、全然点数が伸びてなかったとよ」
その表情は、笑顔と呼ぶべきものだった。口角は上がり、かろうじて目は見開いていた。
けれどそれは、誰が見たって、簡単に見抜けてしまうくらいに。
笑顔という名のテクスチャを、顔に無理やり張り付けているのではないかと思えてしまうほどに。
「えへへ……へへ……」
どうしようもないくらいに、作り笑いだった。
「……」
何か言うべきだ。そう思って、懸命に言葉を探し回る。しかし、いくら脳内に検索をかけても、彼女に掛けるべき言葉は見当たらなかった。
何を言ったって、余計な言葉になってしまうような気がした。
「……」
「……」
先日まで好き勝手言い合ってきた俺たちの間に、久方ぶりの沈黙が流れる。
それはまるで授業初日、あの雨の日のような静寂で。雨音だけが二人の間を流れたあの時の静けさに、ひどく似ていた。
「まあ、なんだ。その……また次から、仕切り直していけばいいじゃないか」
付け焼刃の言葉。ありきたりなアドバイス。自分で言っていて、反吐が出る。
「本番まではまだ時間がある。焦る必要はまだ無いさ」
だが沈黙に耐えかねた俺は、そうやって言葉を捻りだすしかなかった。
ふと、窓の外で曇りゆく秋空が目に入って、やけに嫌な予感がして。このまま黙っているのは、なんとなくマズい気がしたのだ。
「……なによ」
──だが、俺はきっと、その言葉選びに失敗してしまったのだ。
「仕切り直すって何? 何かやることを変えるの? 今まで通り勉強していくしかないよね? 本番まで時間がある? だから、何なの? いくら時間があっても、点数が上がる保証なんて、どこにも無いよね?」
「いや、それは──」
──と、今度は言葉を探す暇も無く。
「焦るなって言われても、そんなの無理だよ……!!」
【わかってるわよ! アンタに言われなくたって、自分でもわかってるのよ! このままじゃいけないことらい、嫌になるくらい自分でわかってる!!】
──いつの日か見た、あの表情で。教え子は、教師を睨みつけていた。
「……その、ごめん。もちろんセンセーには感謝してるし、点数が悪いのはセンセーのせいじゃないって分かってる。ただ、アタシが悪いだけなんだよね。がんばってもダメなアタシが悪くて。才能が無いアタシが、悪いだけ」
「違う!! 決してそんなことは──」
「違わないよ!!」
──そう言って俺の言葉を遮った、次の瞬間。
「お願いだから、今日はもう、一人にしてよ……!」
ついぞ俺は、彼女の心に踏み入ることを許されなくなった。
「……わかった。今日はもう帰るよ。ごめんな。無責任なこと、言っちまったよな」
今日はこれ以上、為す術が無い。言い訳のように無理やり自分を納得させて、彼女の自室を後にする。
五か月を共にして、俺は神楽坂を分かった気になっていた。本音で全てを語りあって、絆のようなものが芽生えたとさえ、思っていた。
「でも……違ったのかもな」
分かった気になって、偉そうに勉強以外のことを教えたりもして。少しは女心とやらも理解できた気がして。彼女から確たる信頼を勝ち得たような気分になっていた。
──だが、それはきっと、俺の一人よがりな勘違いだった。
「おじゃましました」
革靴に足を通しつつ、誰も居ないリビングに挨拶。
出迎えが無い出立なんて慣れているはずのに、妙に胸のあたりが痛んだ気がした。
「……折り畳み傘、忘れたな」
玄関先の夕空からは、予報外れの雨が降りそそいでいた。
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