第四章「I show 相性」

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 出会って以来二度目となる俺たちの仲違いは、想像以上に尾を引くこととなった。  結局あの日以降、俺は教え子の部屋の扉を開けられていない。何度家を訪ねても、彼女は鍵を掛けたまま、沈黙を貫くようになってしまったのだ。  つまり、俺は授業をすることができなくなっていた。 「はぁ。あれからもう一週間か。どうすっかな……」  もはや見慣れた大海原を眺めながら、弱音をポツリ。  二限目が予期せず休講になった俺は、例の休憩所を訪れていた。秋風がほどよく頬に当たり、肌の感覚だけは心地よい。  大学生ってのは、授業が空いてしまえば存外暇な生き物でな。大学滞在中に手持ち無沙汰になった時、俺はよくここを訪れるのだ。  キャンパスの端にあり、めったに人が寄り付かない。ボッチが時間を潰すには、まさにベストプレイス、というわけだ。 「失礼、そこの君。隣、いいかな?」  が、しかし。今日は珍しく、二人目の来客が訪れたようで。 「おやおや。誰かと思って顔を覗いてみれば、君は櫻田くんじゃないか」  どうやらスーツを身に纏った彼は、俺を知っているらしく。 「あ、榊原先生でしたか。どうもっす」  俺もまた、多少は彼を知っていた。 「いやー、まさかこんな所で学生と会うなんてね。珍しいこともあるものだ」  俺との間に常識的な距離を取って、紳士がベンチに腰掛ける。  彼の名は、榊原(さかきばら)陽一(よういち)。研究者であり、俺が所属する学科の授業担当者。つまりは、西九州大学の教授である。  見た目は若々しいが、歳は五十近いとの噂だ。生憎、授業で顔を合わせる程度の関係なので、それ以上の情報は持ち合わせていない。 「ていうか、先生って俺の名前知ってたんですね。学科の生徒なんて、ごまんと居るでしょうに」 「うむ。まあ、そうだね。僕も全員の顔と名前を覚えている自信は無いかな」 「はは、じゃあ偶然覚えられてたってことですか」 「いいや、別に偶然というわけでもないよ。君はいつも最前列中央・教卓の前で授業を受けているからね。教室でいつも僕の目の前に居るんだから、そりゃあ名前は覚えるさ。生真面目な学生として、君の名は学科教授陣の中でもそれなりに知れ渡っているんだよ?」  ……マジか。 「しっかし、ここは相変わらず人が来ないね。こんなに綺麗な海が、こんなに手軽に見られるというのに」 「まあ、確かに少しもったいない気はしますね」 「今時の学生って、景色に興味が無かったりするのかい? 休み時間にフラッと立ち寄って良い風を浴びられる大学なんて、滅多に無いと思うんだけど」 「さあ、俺にもよく分かりません。他の同級生は大体、三・四人くらいで食堂やらカフェで時間潰してるイメージですけど、景色の興味うんぬんについては、なんとも言えないです」 「まっ、大学生なんてそんなもんか」  不承不承ながらも納得した様子の教授は、ポケットからライターと煙草を取り出し、火をつけた。 「大学ってのは、独りだと生きづらいからね。孤独を恐れる学生は多い。一人で真面目に授業を受けた学生より、上手くサボって知り合いの先輩から過去問を貰った学生の方が点数を取りやすい世界だ。中学・高校と違って、人脈や情報を巧みに駆使できる者が楽をできる。はは、ある意味この世の仕組みを表していると言えるかもね」 「は、はは……そうかもっすね……」  ぐうの音も出ないボッチ大学生である。 「あー、勘違いしないでね? 別に独りで居ることが多い君にどうこう言っているつもりは無いんだよ。ほとんど自分の力だけで進級できている君は立派さ。一人で前に進めるというのは、それだけ『個』の力が強いということだからね。圧倒的な才能、もしくは膨大な努力を受け入れる精神。そのどちらかが、きっと君には備わっているんだろう」 「はは、ありがとうございます。でも、それは過大評価ですよ。俺に秀でた才能なんてありません。自分が特別頑張っているとも思いません」  そりゃあ先輩と知り合って過去問を貰えば、テストは簡単に解けるだろう。バカ真面目に一人でノートとにらめっこするよりは楽だろうさ。同級生を羨ましいと思ったこともある。  だが、過去問を貰うのだって努力のうちの一つだ。人脈を作るのだって誰にでもできることじゃないし、それを否定するつもりも毛頭無い。  俺はバカ真面目に暗記している。他のヤツらは必死に人脈を作っている。過程は違えど、どちらも努力には違いない。努力の方向性が違うだけだ。  形は違えど、みんな頑張っているんだ。俺だけが特別なんかじゃない。 「なるほど。どうりで君は一人でも平気なわけだ。自分と周りを比べないんだね」 「いや、多分他人と深く関わるのが怖いだけなんですよ。利他的な性格のくせに、コミュニケーションは苦手なんです」 【お願いだから、今日はもう、一人にしてよ……!】 「だから……他人の気持ちが、わからなくて。気づかないうちに、誰かを傷つけてしまうこともあります」  何気ない会話だったはずなのに。気づけば俺は、ずっと隣で頑張っていた少女のことを思い出していた。 「まるで今現在、誰かを傷つけているような口ぶりだね?」 「まあ、そういうことになるかもしれません」 「差し支えなければ、詳しい話を聞いてもいいかい?」 「……ええ、まあ、構いませんよ。時間潰しに、お話します」  別に、教授と親しい関係性では無い。だが、俺は話すことにした。  正直、自分の力だけで神楽坂の問題を解決できる気がしないのだ。今回の仲違いは、そう思ってしまうほどに打開策が思い浮かばないのである。  赤の他人からでも構わない。とにかく俺は、現状を打破しうるヒントが欲しかった。 「多分、珍しい話ではないと思うんです。実は今、自分はある女の子と喧嘩しているような状態になっていまして。どこかで何かを間違えて、噛み合っていたはずの歯車が狂ってしまったんです」 「ふむ、確かに珍しい話ではないね。で? その女の子ってのは、どういう子なんだい?」 「自分の主観で答えても構いませんか?」 「もちろん。むしろ僕は君の主観が聞きたいのさ」 「な、なるほど」  言われて一時、思考に耽る。  問.神楽坂繭とはどんな生徒なのか。  考えてみれば、解答候補は無数にある。 【はい、センセーのそういうところがダメー!】  生意気で。 【うん、分かった! アタシ、もっと頑張る!】  でも意外と素直で。 【あははは! センセー、また顔真っ赤にしとるぅー!】  よく笑って。 【アタシは、そんなセンセーが大好きなんだよ?】  ……やっぱり、生意気で。  敬語は使わない。しょっちゅう脇をつついてくる。恋愛教師とかいうよく分からん立ち位置からヤイヤイ言ってくる。他、主張多数のため割愛。  間違いない。今までで一番手のかかる生徒だろう。  ああ、でも。 「普通、ですね」 「普通?」 「ええ、彼女は普通です」 【何もないアタシは、その光から伸びてる影の中にスッポリ入ってるような気分になっちゃうの】 「時々自分を偽って、誰もが抱くような悩みを抱えている。そんな、どこにでも居るような……普通の女の子です」  なかなかどうして。最終的に出た答えは、笑ってしまうほどにありきたりだった。 「はっはっは! なるほど、普通の女の子と来たか! そいつはやっかいだ! なんせ、この世で一番何を考えているか分からない生き物だからね!」  若々しい中年の笑い声が、静寂の海に木霊する。 「ええ、まったくですよ! 何が間違っていたかを教えてくれれば、俺もすぐ直すってのに! 黙って鍵を掛けられたままじゃあ何も分かりやしない!!」  およそ家庭教師としては、最悪の発言だろう。理解を放棄して「何も分からない」と叫んでいるのだ。こんなヤツ、今すぐクビにした方が良い。 「はぁ、ほんっと。分からないことだらけなんですよ。大喧嘩したのは初めてじゃないのに、今回だけは嫌に心が痛むんです。何が悪いか分からないのに、自分が悪いような気がするんです。人間関係ってこうも簡単に崩れるのか、って……正直、もうお手上げって感じなんですよ。はは、科学の力で感情を数値化できたら、こんなに悩まずに済むんですかね?」  何も解決はしていないが、言いたいことを言って少しは心が軽くなった。思いを言葉にするだけで、こんなにも違うのか、と。少しばかり自分自身に驚く。 「つーことは、アレかい? 櫻田くんは、感情を数値化したいと思っているのかい?」  そして。俺の軽い冗談を隣の教員が拾い上げたことにも、多少驚いた。 「まあ、他人の心が分かれば、人とのしがらみで悩むことは減ると思います」 「なるほど。確かに一理ある。だが、こうは思わないかい?」  すると榊原教授は徐に立ち上がり、 「他人が考えてることが分かったら、つまらなくなる、ってさ。僕はそう思うんだよね」  タバコの煙を吐き捨てて、自らの意見を語り始めた。 「不確実な感情というモノが正確に数値化されれば、生きやすくなるかもしれない。相手が何を考えているのかが分かれば、争いは減るのかもしれない。でも、多分それは生きやすいだけだ。そんな世界は、きっとつまらない」 「生きやすいだけで、つまらない……ですか」  「ああ。僕含め、人間は愚かだからね。分からないものがあったら解明しようとするくせに、分かり切ってしまったものには、次第に興味を無くしていってしまうんだ。だから……きっと感情が解明されてしまえば、いずれ人はヒトに興味をなくしてしまう。感情ってのは多分、そういうものなんじゃないかな」 「じゃあ、先生は感情を数値化したいとは思わないってことですか?」 「ま、そうなるのかな。はは、未知を解明する立場の研究者としては、あまりよろしくない考えかもしれないんだけどね?」  言うと最後。教授は携帯灰皿に吸い殻を片付けつつ、 「全部わかっているっていうのは、つまらない。僕は不確実だからこそ、人生は面白いと思うんだよ」  少年のように笑いながら、空を見上げていた。 「おおっと、いけない。お偉いさん方からのラブコールだぁ。名残惜しいけど、現役学生とのお喋りはここまでだね。僕はこの辺で失礼するよ」  鳴動したスマホを手に取り、教授が唐突な別れを告げる。 「あの、先生。なんというか、その……ありがとうございました。溜まってたもん色々話せてスッキリしました」 「なーに、礼なんかいらないさ。僕も君のおかげで有意義な休憩時間を過ごせた。また授業で会った時はよろしく頼むよ。じゃ、またね」  歳の差を感じさせない挨拶とともに手を振り、榊原教授は背を向けて歩みを進める。 「あー! ごめん、最後に一つ!!」  ──と思ったが、彼の足は即座にストップ。再びこちらを振り向いた。 「なんですかー?」  少しばかり離れた彼に、声を張って問いかける。 「君は『何を間違ったか分からない』と言っていたけれど、何も間違えてなかった可能性もあるよ! 言いたかったのはそれだけ! そんじゃあ頑張れ、若人よ!!」  なんて、笑顔で言い残すと、教授は再びくるりと背を向けて歩みを進め始めた。 「やれやれ、まったく。一体どっちが若人なんだか」  去りゆく背中を見送りつつ、一人呟く。  『人生は面白い』なんて言いながら、大声で一言を言い残す。俺なんかより、よっぽどあの研究者の方が若々しいんじゃないか? あんなアラフィフが居て良いものなのか? まさか不老の吸血鬼ではあるまいな。 「はは、なーんてな」  根本の問題は、未だ解決していない。ヒントは得たが、解決できる確証も無い。 「つーか、あの人……誰かに似てるような……?」  だが、そんなくだらないことを考えられるくらいには心に余裕を取り戻した、とある午前の出来事であった。
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